【推理會客室】「咬住骨頭就不放的偵探」── 張國立vs.寵物先生,兩位台灣推理作家的對話 (1)

島田荘司推理小説賞第一回の受賞者である寵物先生が、張國立氏にインタビューした記事を日本語にしてみたので、二回にわけて公開します。張國立はこの記事の中でも取り上げられている『棄業偵探』シリーズの作者で、輔仁大學日語系を卒業、『時報周刊』の編集者ののち、様々な文学賞を受賞。文学から軍事、歴史、エッセイまで多岐にわたる活躍を見せる作家です。なお、記事の原文はこちら

寵物先生:『棄業偵探』の主人公である馬可はハードボイルド探偵といったかんじですが、彼の話しぶりは作者自身を投影しているようにも見えます。彼のようなキャラクターを生み出すきっかけのようなものは?

張国立:この本を書きはじめたのは、『時報週間』を辞めたあとでね、当時は「若者たちにいいたい。大企業で安穏としていなさんな」と――そんなことずっと考えていたんですよ。もっと自分自身を顧みろ、会社がすべてじゃないんだと。そうしないと自分を見失ってしまうぞとね。そこでまず馬可は会社を辞めた、オタクなニートということにしようと思ったんだ。つまり彼には当時の私の気持ちが反映されている。

次に、職を失った後、まず訊かれることとといえば「まともな仕事に就かないでどうするんだ?」ということだろう。まあ、誰だって色々と思うところはあるわけで、ああだこうだとぼやきながら、苛々することもある。そんなわけで、物語の中で馬可は「他人の期待に対して刃向かってみせる」わけだ。

『棄業偵探』ではいろいろなストーリーを考えていたから、第一巻ではまず馬可に色々なことをやらせて、その人間嫌いな性格を際立せることにした。そうすることで読者に彼を印象づけることに努めたんだ。馬可と嚕嚕の二人の関係にもかなり紙幅を費やしたから、その一方、推理や探偵といった要素はそれほど強くない。


寵物先生
:登場人物には他にも、たとえば、阿仙、棟哥、老宇がいますけど、やはり彼らにも当時の考え方や思いといったものが反映されている?

:たいていのことは馬可が解決してみせるんだが、ときには警察の助けが必要になることもある。彼に何か意見をするようなことが出てくれば、警察だって登場人物として必要になってるくるだろう。子供のころは中山支局の隣家に住んでいて、そこに少年課の巡査部長がいたんだ。外見はたいしたこわもので、いかにも厳しそうなひとだったんだが、実際は優しいひとだった。老宇には彼の印象が反映されている。

老宇と馬可の二人に共通するところがあるとすれば、それは「仕事」にこだわりがないということかな。老宇は自分を重んじる。昇進などどうでもいいと思っているんだ。警察という組織は上にいけば、いろいろな政治がある。しかしこうしたことは小説にするにはちょっと、な。あとは――二人の記者だ。今は退職して、台北市で喫茶店だのラーメン屋だの餃子屋だのをやっている年配の彼らは頭が切れる。誰だって彼らに「昔新聞記者でもやっていたんじゃないか」と尋ねたくなるだろう。まあ、実際そうなんだが。

寵物先生
:物語の中で、記者という存在はかなり有利な立場にいますよね。警察組織も飛び越えて、司法の観点から事件を眺めるとともに、社会の様々な側面から接することができる。

:記者たちの中にも大変な競争があってね。私は記者になって三日間でそのことが判ったよ。初対面のひとには、親切にするんだが、しかし、それが同じ新聞記者となると、話が違ってくる。向こうさんは何か企んでいる。そんな中で手に入れた特ダネがあったんだ。

あまり話もしたことがない刑事がいたんだが、彼は私が新人だと知ると、私に話しかけてくるや、突然、調書をちらと見せてくれてね、「早く。見られないように」と耳打ちされたものだから、急いでそいつを書き写しんだが、彼はまたいったいどうしてそんなものを私に見せてくれたのかというと……私がちょっと突っ張ったかんじで、おまけに弱小新聞社の新人記者だったからでね、彼はこのスクープを大手には渡したくなかったんだ。そのスクープは「魚槍殺人事件」のものだったんだが、その当時、「凶器は本当に銛なのか、犯人は潜水の経験があるものなのか」ということが争点になっていてね、これが故意のものだったと、かなりの重罪だ。この事件のように、凶器と動機の関係に関心を抱くようになってから日本のミステリに興味を持つようになってね、内田康夫の小説を読み始めたんだ。

寵物先生:記者たちのそうしたスクープ合戦というのは、作中では馬可の恋人だったㄚㄚに絡めて描かれていますね。

:そうだな。誰だって、愛情にしろ何にしろ、仕事に私情をさしはさむことはない。スクープだ記者だといっても、あるときはライバルで、あるときは友達でもある。訊かれればそりゃあ答えることもできるが、向こうが肝心なところを訊いてこなければ、こっちだって答えない。これが記者のルールというやつでね、私は、陰でこそこそすることはできないものだから、同業者と話をしないなんてことはとても無理だった。そんなことをすれば孤立するのは眼に見えている。

昔、あるラジオの記者がいてね、こいつがまたひどいなまけものだったんだ。現場に駆けつけたはいいものの、間に合わなかったときなど、同業の連中に「輸血だ、輸血だ」と叫ぶんだよ。輸血っていうのは、先っき録音したテープをこっちにも回してくれという意味なんだが、いまのテレビ局の記者たちは「輸血」などしない。それよりももっとひどいもんさ。彼らは「もう一度、もう一度」と叫ぶんだ。それで記者会見をもう一度はじめからやり直すんだ。将来はキャスターになるんだからと、テレビ局の記者っていうのは、すっかり天狗になっているんだな。だから私は小説の中で馬可の元恋人のようなキャラクターにそうした役所を演じてもらうことにしたんだ。もっともこれは私の心の奥底にある台湾の業界におけるうわべだけの象徴でね、真実を追求しようとか、そういうつもりはないんだ。

たとえば、テレビ局の記者なんかは、ニュースの最後にこういうだろ。「今後の展開が待たれます」。あんたは記者だろ。答えを見つけて、それを視聴者に伝えるべき立場なのに、何が「待たれる」だ。じゃあ、あんたはいったい何をするんだと。記者がするべきことは、答えを見つけることだ。その答えが正しいかどうかにかかわらずね(く)。