カマラとアマラの丘 / 初野 晴

傑作。しかし、これほどまでにジャケ帯に違和感を覚えた作品というのも初めてでは、――というほど惹句と物語の作風との乖離が激しい(爆)。「”ハルチカ”シリーズで人気の著者が描くせつなすぎるミステリ」ときて、「別れの時、動物と言葉を交わせたら」とあれば”癒やし”の”泣ける”物語だとイメージするのが当然でしょう。しかし、実際はというと、ハルチカシリーズとはまったく異なる、イヤミスにも近い、異形にしてグロテスクな一冊でありました。

収録作は、亡骸を埋葬してもらおうと秘密の楽園を訪れたものの逸話から、あるものとあるものとの反転が明かされる「カマラとアマラの丘」、精神を病んだ夫婦がとらわれた復讐に現代本格的な仕掛けを凝らしてもう一つの復讐を重ねた構図が素晴らしい「ブクウスとツォノクワの丘」、ハウダニットが明確な密室に隠された壮絶な愛のかたち「シレネッタの丘」、土地売買に絡んだ醜悪な人間どもの姿に動物ホラー的なおぞけを重ねながら、最後に悲哀の反転劇を見せる「ヴァルキューリーの丘」、人間と犬の絆の真意を痛烈に問いかける、収録作中唯一フツーに泣ける一編「星々の審判」の全五編。

最後の「星々の審判」を除けば、いずれもミステリ的趣向を凝らした物語をズラリと取りそろえた一冊ながら、ある程度現代本格を読み慣れた方であれば、「カマラとアマラ」に「ブクウスとツォノクワ」で明かされる仕掛けにはかなりの既視感を覚えるのではないでしょうか。

とはいえ、そうした仕掛けが見慣れたものであるといっても、本作の価値が減じるわけではなく、むしろそうした仕掛けをむき出しにすることで、ファンタジーの情景を痛烈な現実へと転換させる結構が見事で、「カマラとアマラの丘」では、『人は人でありつづけ、人として生きていくために生まれたきたということを』という冒頭の言葉を伏線として、仕掛けの開示が悲哀を生み出すことに成功しています。

既視感があるという某短編の作者もまた、ある意味初野氏にも近い感性の作品を書いていて、かつその作品でもこの仕掛けと同様、犬が使われていたという点に難癖をつけるマニアがいるのではないかと危惧されるわけですが、あっちはあっち、こちらはこちらでそれぞれに素晴らしい出来映えです。どちらを先に読んでいても没問題ではないでしょうか。

「ブクウスとツォノクワの丘」では、夫婦二人の証言のいずれかが偽であるという前提を見せながら物語が展開していくのですが、その言葉に狂気を臭わせつつ、幻想の科学が徐々にリアリズムを伴っていく展開がある意味怖い。真偽の検証とはまったく違うところから不意打ちのように明らかにされる仕掛けは強烈で、これまた某作家の某傑作長編をはじめとして多くの本格ミステリ作家が手がけたものではあるものの、本編では、臓器移植というテーマにおいて単なるモノに過ぎない臓器提供の主体が後景に退いているからこそ、この仕掛けによって語られるあるものの心情が最後に悲痛な叫びとなって読者の胸を打つ結構となっています。

前二編が、ミステリ的な”事件”のにおいを極力消したかたちで進行していき、後半でその仕掛けが唐突に明かされることで、物語の風景を一変させるという風格であったのに比較すると、続く「シレネッタの丘」は密室殺人のようなあからさまな謎を早くから提示しているところが異なります。とはいえ、密室とくればまず最初に読者の興味の対象となるであろうハウダニットについては早々に手の内を明かして、フーダニットへと傾斜していく物語の趣向がいい。しかし本当の驚きはその動機で、ある行為をなしたあるもののの真意が幻視とともに明かされる最後のシーンは強烈な印象を残します。収録作中、もっともミステリとしての濃度は高く、また驚きの構図に注力した一編で、初出が『メフィスト』というのも納得、でしょう。

「ヴァルキューリーの丘」もまた構図の反転に趣向を凝らした一編で、ハーメルンの笛吹き男を下地にしながらも、土地売買という生臭いリアルをそこに重ねて、さらには人食い鼠というホラーっぽいおぞけをスパイスに添えた展開が素晴らしい。真相が次々と明かされていくごとに人間のおぞましさとゲスっぷりが暴露されていくのですが、ある動物の言葉によってすべての情景が反転する仕掛けの強度は「シレネッタの丘」と並ぶ素晴らしさ。

全然”せつなすぎる”物語ではないし、人間のおぞましい側面を読者に突きつける作風はかなり読者を選ぶのではないかと推察され、小説に癒やしを求める初な本読みの方々がジャケ帯に騙されてもう大変、という被害が今日時点でどれほどのものなのかと危惧されるものの、現代本格の読者であれば、「シレネッタの丘」と「ヴァルキューリーの丘」は、今年の短編の収穫としてまず外せないだろうし、不条理さえ感じさせる黒いメルヘンとして「ブクウスとツォノクワの丘」という傑作もまた貴重、……というわけで、癒やしならぬイヤミスの読者であればまず大満足、現代本格の読者も既視感溢れる仕掛けとグロテスクな真相の連関にニヤニヤしてしまうという一冊といえるのではないでしょうか。繰り返しますが、くれぐれもジャケ帯のぬるい惹句には騙されないよう。