体育館の殺人 / 青崎 有吾

第22回鮎川哲也賞受賞作。ジャケ裏には「エラリー・クイーンを彷彿とさせる論理展開」をウリにしつつも、巻末に掲載されている選評では選者のいずれもがそのロジックの疵を指摘しているという矛盾が何とも一冊です。結論からいえば確かに自分のようなボンクラでもそのロジックのはしょり方は気になるものの、その「雑過ぎる」(選評での北村薫氏の言葉)ロジックは疵というよりは、もっと別の”何か”なんじゃないかな、という気がしました。このあたりは後述します。

物語は、あるブツを奪うことを目的にコシロを企む犯人のシーンから始まり、さらさらと舞台となる学校の描写がなされたあと、早々にタイトルにもある体育館で死体が見つかります。すわ密室と確定して、刑事たちの検証とともに関係者の聞き込みが行われるところは、”こうした”ミステリでは定番の展開で、自分のようなボンクラは苛々してしまうのですが、天才探偵が登場し、ある人物にかかった嫌疑を晴らすため、黒い傘というひとつの物証から論理を繰り出し、刑事の反証をも次々と論破していく展開で一気に目が覚めました。素晴らしい。

さらにこの黒い傘のロジックからアッサリと犯人を指摘するわけではなく、いったん中断した後、「密室なんて、破る方法は腐るほどありますよ。腐りきって土に還ってその上に森ができるくらいあります」と嘯く探偵が、おトイレ臭いトリックを作って密室を再現しようと試みるもののあっさりと敗北してしまうという、本家クイーンのオマージュとも思える話の展開も微笑ましい。

黒い傘のロジックを中断したあと、ある人物の確信的証言から、もうひとつのブツである盗まれたDVDをとっこに探偵が、事件当日の犯人の行動をトレースしてみせるのですが、実をいうとここのロジックは、前半の傘に比較すると、自分のようなボンクラにもやや荒さが目立つ仕上がり。とはいえ、再び黒い傘へと立ち返って、ついに密室トリックを暴いていくという、ロジックに注力した作風ながらも、要所要所に自らの持ち味である論理展開の見せ場を分散させた構成が秀逸です。

こうした作風のミステリではこれまた定番ともいえる条件の整理と消去法によって、最後は見事に犯人を指摘してみせるのですが、事件が解決したあと、この犯行の奥に隠されていたさらなる真相を喝破してみせるために探偵がしてみせた行動は、個人的にはかなり意外、――というか、この結末は、論理展開のアラ以上に自分のようなボンクラの本読みには評価が分かれるところではないかと思うのですが、いかがでしょう。

選評で、たとえば北村氏は、本作のロジックに対して、「作中の探偵役=論理の天才が繰り出すにしては、雑過ぎるものだった」として、「可能性のひとつを……あっさり切り捨ててしまう」「これは乱暴すぎる」とかなり辛辣な言葉を述べています。自分も確かに、上の盗まれたDVDのロジックを見ている間は、北村氏の言う通り、「雑過ぎる」し、「検討されない」可能性が多くなくね? と感じていたわけですが、探偵がある人物の証言が真実であるかどうかを検証することなく「犯人でないなら嘘をつく必要はありませんし」(292p)と嘯いたあとも真顔で推理を続けていくところを見るにつけ、この探偵の論理が「雑過ぎる」とかいうのではなく、人間というものの不可解を知らない、――ハッキリいってしまえば、この探偵ボーイってただのおぼっちゃんじゃないノ?と 感じた次第(それゆえに、エピローグにおける探偵の行動がかなり意外で、さらには探偵の小物感が増してしまった感がなきにしもあらず)。

大きな挫折も失敗も知らない、さらには一時でもワルに染まったことのないようなおぼっちゃんであれば、まじめな学生がサボッったり遅刻したりすることなどに考えが及ぶ筈もなく、北村氏が選評で指摘しているような「昼過ぎから登校してくる奴もいないでしょう」と断言してしまうのにも納得がいくし、『学校関係者』についても、学校の”中”――さらに限定して先生と生徒以外の人間によって構成される実社会というものの存在に考えが及ぶ筈もありません。そうした世間を知らないおぼっちゃんであれば、あっさりと「犯人でないなら嘘をつく必要はありません」と断言してしまえるのも筋が通っている。

そこでちょっと気になるのが、こうした探偵のおぼっちゃんぶりが、作者の投影なのかどうかというところでありまして、ジャケ帯にも派手派手しく「21歳現役大学生が受賞!!」と書いてあるところから、いうなれば作者は、人間の心が孕む闇も知らない初なおぼっちゃんでミステリとは机上の論理をクイーン流にブチあげてハイオシマイと考えているのではないか、……と、ミステリの鬼である選者の方々が「雑過ぎる」と苦言を呈したロジックの質感に、別のものを見てしまった自分は、いらぬ心配をしてしまうのでありました。

同じロジック派の名探偵である火村英生が自ら深い闇を抱えているのに比較すると、本作の探偵はあまりにピュアすぎるのが気になるところではあるものの、こうした作風を「若さ」と呼ばずに、「雑過ぎる」と、ミステリのクオリティの問題に「すり替え」てみせるのもまた、「大人の対応」ってやつなのかなァ、……などと、ひねくれたボンクラの本読みである自分は感じてしまいます。

とはいえ、本作には上にも述べた通り、傘のロジックを前半に置いて、嫌疑をかけられた人物を救出する見せ場とし、すべてのカードを晒さずに探偵の敗北を中盤に置いたあとで再び傘のロジックによって最終的に犯人を追いこんでいくという、――ミステリ小説におけるロジックの見せ方を最大効率化した結構には新人とは思えないうまさが感じられます。この探偵のあまりに純粋な感性が作者の拙さなのか、いや、むしろここを起点に探偵は事件に関わっていくにつれ、人間のダークサイドを知りながら本物の探偵へと成長を遂げていく……作者はそこまで考えているのではないか。……むしろそんな期待さえ覚えてしまう自分は、何だかんだいってすでにこの作者の小説の魅力にとらわれてしまったのかもしれません(爆)。次作もきっと読むと思います。