アールダーの方舟 / 周木 律

アールダーの方舟 / 周木 律偏愛。講談社ノベルズの”堂”シリーズとは異なる『災厄』が思いのほか素晴らしかったので、本作も電子版が出るのを長い間待ち続けていたのですが、ようやくリリースされました。で、内容はというと、『災厄』がパニック小説の外観を備えながら、その”災厄”の生起に思わぬ仕掛けが隠されていたりと、ミステリとしても一級品の工夫が凝らされていたのと同様、本作も山岳小説かといったカンジで延々とノアの箱舟調査隊がアララト山の山頂を目指す描写が続くものの、転落事故と思われる人死にが発生してから、物語はキリスト教とイスラム教の蘊蓄も添えて俄然、ミステリーとしての風格を強くしていきます。

アララト山という宗教的にも曰くありまくりな土地を舞台に、調査隊の連中がキリスト、イスラム教徒としても一癖も二癖もありそうな連中で、特にキリスト教の上から目線で殺人の動機を匂わせる行為をしでかした野郎がご臨終を果たしていくという展開そのものに、絶妙な誤導を凝らした仕掛けが素晴らしい。

後半に現れるテントの密室に関しては、黄金期の某名作を思わせるトリックをほとんどの人が想起するかと想像されるものの、ヒロインの娘ッ子がさらりと披露してみせたトリックがそれなりに説得力があるものですから、そうなのかなァ……と油断していると、いよいよ本丸の探偵が舞台に上がっての謎解きが展開される後半では、キリスト教とイスラム教の宗教的対立の陰で暗躍していた意想外な人物が犯人であることが明かされていきます。

正直、この犯人の背景についてはまったく考えてもいなかったので、フーダニットの仕掛けとしてはかなりイージーなものかと思うのですが、自分は見事にヤラれてしまいました。シンプルな仕掛けながら、それを気取らせないためにこの人物の背景を二重、三重に隠蔽して見せたキャラ立ちがもう、見事の一言で、さらには実際のトリックに関しても読者のイメージした通りの立像に回帰していくという趣向も心憎い。

しかし本作のキモは、歴史ミステリーというよりは、伝奇小説にも近接したその趣で、無神論者ならぬ否神論者である探偵が、アララト山で見つけた箱舟とおぼしきブツから壮大な文明の謎を解き明かしてみせる後半部ではないでしょうか。トンデモといえばトンデモなのですが、道を誤った犯人を諭すように、この人物の立場からはとうてい受け入れることの出来ないある「事実」を突きつけてセラピーを施してみせる幕引きもステキです。

殺人というあまりに人間的な行為の愚かさも吹き飛ばしてしまうほどの、スケールの大きな文明の「事実」を明かしてみせることによって犯人の悔悛をうながす探偵の無類の格好良さ、心地よさ――読み始めた当初は、「本で得た知識を滔々と語っているだけジャン。これじゃあ、堂シリーズの探偵と五十歩百歩じゃないノ」なんて小馬鹿にしていたんですけど、トンデモない。正直、この探偵にはかなり惚れてしまいました(爆)。

これは是非ともシリーズ化を期待したいところであります、――というか、正直、作者は一刻も早く早く講談社ノベルズの”堂”シリーズを早々に終わらせ、この探偵をフィーチャーした次作に取りかかっていただきたいと強く希望する次第です。コレ、もしかしたら星野之宣の宗像教授のごとき息の長いシリーズにもなれる可能性を秘めていると思うのですが、いかがでしょう。

歴史ミステリに興味がある本読みの方はもとより、正統なミステリマニアでもかなり満足できる逸品だと思います。オススメでしょう。