映画『共犯』の音楽、――といえば、ほとんどの人はflumpoolが『強く儚く』を中国語で歌った主題歌をイメージしてしまうかと思うのですが、映画の中でpipiこと姚愛寗(ヤオ・アイニン)演じる夏薇喬(シャー・ウェイチャオ)が自分の部屋に引きこもって聴いていた曲が、陳綺貞もメンバーのひとりとして名を連ねるthe verseのアルバム『52赫茲』――これに収録されている「快速動眠」であったことは、先日の記事でお伝えした通り。というわけで、今回はこのアルバムを紹介したいと思います。
THE VERSEのメンバーは陳綺貞、鍾成虎、陳建騏の三人なので、陳綺貞と鍾成虎のカップルが、陳建騏を誘って設立されたバンドかな、と勝手に思っていたのですが、このVOGUEの記事などを読むとそのあたりの事情はやや異なるようで、鍾成虎と陳建騏の二人のプロジェクトに陳綺貞が参加して、という流れのようです。リリース当初から電子楽器を大胆に使用した前衛的、実験的な音楽ということがアピールされていた本作ですが、古くはプログレやシカゴ音響派を通過してきたロートルであれば心地よく耳に入ってくる音といえるのではないでしょうか。
前衛、実験的といわれながらも、収録曲はそれぞれが非常にバラエティーに富んでいるところが本アルバムの素晴らしいところで、たとえば冒頭の「Washing Myself」などはギターの荒々しさを脱色したタメバク系の構成に、音響派の心地よさを加えたポップスとでもいうか、――陳綺貞の声が前面に出ていないためか、もっともこのバンド「THE VERSE」の”電子音”的な質感を堪能できる一曲といえます。
続く「Only Love Can」は冒頭のイントロこそノイズから始まるものの、背後で鳴っている電子音とコーラスが清涼感溢れる一曲で、ここでも陳綺貞の声はかなり控えめ。続く「52赫茲」でようやく陳綺貞の声をはっきりと聴くことができるのですが、浮遊する彼女の声が前面に押し出されているがために、一連のソロアルバムと比較することで、本作の前衛性を感じることができる一曲といえるでしょう。孤独な鯨という、本アルバムのインスピレーションともなったモチーフを際だたせるソナーを模した効果音とピアノ、そしてアンニュイに浮遊する陳綺貞の声の三位一体が堪能できる佳曲です。
「周夢蝶」は収録曲の中でもっともお気に入りの一曲で、この雰囲気にもっとも近いのは、Sigur Rosでしょうか。特に『Valtari』に収録された「Varúð」、――もちろんあそこまで静謐で神々しいものではないのですが、この哀しくなるほどの美しき旋律にくわえて陳綺貞の声のはかなさは、Sigur Rosのファンにも聴いていただきたい一曲といえます。
「碎形」は半音階に突然の転調と、電子音云々以前にメロディと構成がなかなかに実験的な一曲で、続く「Six」は陳綺貞のセカンド『還是會寂寞』あたりに入っていてもおかしくない、彼女の声の可愛らしさが印象的な曲。「Get on The Rain」もギターの旋律から始まる構成は、まさに陳綺貞のアルバムに入っていても違和感がないであろうほどに馴染んでいる曲なのですが、彼女の声ではなくコーラスがメインであるところで、THE VERSEというバンドの音なんだなと気づかせてくれます。
続く「The Verse」は一転してジャジーな音、――とはいっても『讓我想一想』などにも収録されていたストリングス主体の音とはひと味違います。ドラムやピアノ、ブラスといった楽器の音全体が醸し出す音空間と陳綺貞の語りにも似た歌唱法がとても印象的。曲が進むにつれて、ドラムにかけられたエフェクトなどが際だってきて、なるほど(陳綺貞の曲としては)「前衛的」だな、と感じさせてくれる一曲です。
「犀牛」は、「碎形」に近い音、いう言葉が一番この曲の印象をうまく表しているような気がします。そして最後を飾る「快速動眼」はドラムンベースかいッ(爆)というようなリズムにノリノリで陳綺貞が歌い上げる一曲で、上にも述べた映画『共犯』に使われているのがコレ。映画の中では姚愛寗(ヤオ・アイニン)演じる夏薇喬(シャー・ウェイチャオ)がTHE VERSEのライブにも足を運んでいるような映像が一瞬流れるのですが、キーボードを前にして飛び跳ねている姿はシルエットになっているため、果たしてそれが陳綺貞であるのかは確認することはできず(苦笑)。
ライブでは、陳綺貞がベースを弾いたり、メンバーが一曲の中で電子シタールやらリコーダやらを取っ替えひっかえして演奏していたというから驚きです。これまたロートルの自分などは、「Gentle Giantかいッ!」とツッコミを入れたくなってしまうのですが(爆)、これはちょっと観てみたかった。
あらためてこのアルバムを聴いてみると、転調や電子音を大々的に取り入れた陳綺貞の最新作『時間的歌』は、このTHE VERSEでの活動が活かされていたんだなということが判ります。原点回帰によって傑作となった『太陽』から『時間的歌』を聴くと、その変化に驚いてしまうのですが、この二作の間にこのアルバム『52赫茲』をはさむと納得でしょう。――というわけで、陳綺貞のファンで本作を聴いていないひとはまずいないと思うのですが、持っていないのであればマストではあることは言うまでもありません。また映画『共犯』を観たひとがflumpoolの唄う主題歌だけでなく、こちらの曲にも関心を持っていただければ嬉しい限りです。