皇冠のサイトに公開された第四回噶瑪蘭島田荘司推理小説賞入選作紹介の第二弾。『H.A.』に続いて、今回は『熱層之密室』を取り上げたいと思います。作者はバンクーバーフィルムスクールを卒業した俊英で、『H.A.』の作者と並ぶ理系の人。実はもう一編の入選作『黄』の作者も数学が得意な理系だったりします。このあたりの作者の出自の共通性も今回の大きな特色といえるカモしれません。
地球から遠く離れた「熱圏」において、死体は無重力状態となった密室で発見される。死体から滲み出した赤い血はさながら色鮮やかな美しい花のようだった……
[あらすじ]
2010年1月1日、アメリカの物理学者であるブラアン・ハウエル博士は、密室状態となった「地球宇宙ステーション(U.S.S.)」のLU-3エクスプレス補給キャリアの中で死体となって発見された。「無重力状態」に浮かぶ死体の周囲にはおびただしい暗褐色の血滴が浮遊し、それら血滴の一粒一粒は死体頭部の傷口から滲みだしたものと見て取れた。
距離にして地球からおおよそ347から360キロも離れた大気圏中の「熱圏」にとどまる「地球宇宙ステーション(U.S.S)」には、六カ国の地球連盟機構が建設した重力実験施設があり、一万七千百キロの速さで地球の周りを回っている――これは、おおよそ一日で地球の外周軌道を十四周している計算となる。
この無重力状態の密室空間においては引力の制限もないため、前後左右といった地球上では当たり前とされる物理概念も適用されない。したがって二本足での歩行も不可能であるし、何かを取るにしても宙に浮かんでいるものを摑むしか術はない。ここにおいては地球上で通用する物理法則も、捜査に必要とされる科学的な鑑識方法も通用しない。そうしたものはすべてこの無重力状態の空間においては意味をなさないものであった。
LU-3のエクスプレス補給キャリアには、アメリカが管轄する密閉室が設置されている。金属製のドアによって厳重に密閉されたこの部屋を通り抜けることはもちろん不可能であるし、ドアの入口と出口もそれぞれが異なり、部屋への進入にはパスワードの入力が必要とされる。
事件発生時、LU-3エクスプレス補給キャリアの実験室は、内部からパスワードによって完全に閉ざされており、ステーション内には国籍の異なる五人の乗組員が搭乗していた。事件現場となった実験室を外からロックするには、ドアの外にある指紋認証機を用いるか、パスワードの入力を行う必要があり、内側からドアを直接ロックすることはできない。
ステーションの乗組員の一人であるロシア人指揮官イゴール・トヴスキーは、今回の密室事件には「天使の姿をした宇宙の光」の伝説が関わっているのでないかと疑っていた。この事件が発生する前、彼はステーションのキューポラから不思議な光を目撃しており、それは1985年にソ連のサリュート七号の乗組員たちが目撃した「天使の姿をした宇宙の光」と同じものではないかと感じていたのだ。
しかし「無重力状態の密室」事件の被害者であるブライアンの死体と、イゴールが撮影した「天使の姿をした宇宙の光」の映像は、彼らが地球に帰還する際に搭乗していた宇宙船・フィクリス号が爆発事故を起こしたことによって、一切の証拠を残さないまま、国際宇宙連盟によって闇へと葬られてしまう。
2018年4月13日、LU-3エクスプレス補給キャリアで、またもや無重力状態での密室事件が発生する。被害者はアメリカ国籍のカミーラ・ラピン教授で、この事件と過去の事件との間には八年の隔たりがあるものの、事件現場の状況は酷似していた。瓜二つとしか見えない死体の状況、そして死体に認められた傷口の部位――唯一異なるのは、宇宙ステーションの乗組員だけだった。
カナダ原住民の富豪で「微笑みの呪術師」という異名を持つアフーヌは、三千万ドルを費やしてロシアの宇宙開発研究で訓練を受けたのち、史上九番目の「宇宙旅行」客となった。彼はゲーム業界のCEOという肩書きのほか、原住民の呪術師としての特殊能力を持っていた。彼は嗅覚を『聞く』ことができるその能力によって、事物の発する思念を認めることができるのだ。彼はこの超常能力にも等しいこの力によって一連の事件の謎を解き明かそうと試みる――。
彼が宇宙旅行に旅立ってから十日後のこと。アフーヌは自らGoProを装着して、宇宙ステーション内での生活ぶりを映し出した映像をリアルタイムで地球のユーザに向けて放送していた。しかし彼がLU-3のエクスプレス補給キャリア内を映そうとした刹那、死体となったカイラの映像が地球に送り届けられてしまう。この不慮の事故をきっかけに、地球上ではこの映像を巡って様々な議論がわき起こり、アフーヌは事件の真相を解き明かそうと決意する。そしてこの事件は、彼がこの宇宙旅行に参加した「真の目的」とも深い関わりがあった――。
イゴールの息子であり、宇宙工学の天才・ヴィクター・トヴスキーは、地球に帰還する直前の父から奇妙な電子メールを受け取っていた。そのメールに綴られていた奇妙な文言をためつすがめつしながら、彼は幼いころ、父と二人で暗号パズルの解読をして遊んだことを懐かしく思いだしていた。やがて彼は、「転置式暗号」と「換字式暗号」という二つの方法によって、イゴールの電子メールには「天使の姿をした宇宙の光」に関する内容が綴られていたことを解読する。
彼は、「天使の姿をした宇宙の光」が、イフィクリス号爆発事故と大きな関わりを持っていると確信すると、学会発表が目的で渡米したおりに、ヒューストン宇宙センターを脱走し、アメリカで逃亡生活を続けながら、以前に宇宙ステーションへ搭乗していた人物たちの家族調査を開始する。そして彼は、ブライアンの娘から『顫音』という不可解な詩に関する情報を手に入れることに成功する。
ヴィクターが地球上で「2010年無重力密室事件」についての調査を進めている最中、アフーヌは宇宙ステーションの内部で「2018年無重力密室事件」の捜索を続けていた。やがて彼らは、宇宙ステーション内部で発生したこの二つの事件と「天使の姿をした宇宙の光」という怪現象の背後には、地球を激しい危機に陥れるほどの陰謀が隠されていたことを突き止めるのだった――。
[作者紹介]
提子墨
台北生まれ、現在はカナダに在住。
バンクーバーフィルムスクール、3Dアニメーション&ビジュアルエフェクト科を卒業し、現在はサンフランシスコ『品』にてグルメとファッションのコラム、ニュヨーク『世界周刊』のコラムを担当する。本格ミステリー小説「箴言12:22」が、第十回台湾推理作家協会賞に入選。この作品が選考委員であった陳浩基から高く評価されたことをきっかけに、第四回噶瑪蘭島田荘司推理小説賞への参加を決意する。
[解説]
小説家 張國立
密室殺人と探偵小説の歴史は時を同じくして始まった。
1841年に出版されたエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」は、二人の死者が鍵の掛かった部屋から見つかるという物語である。それゆえに探偵小説は、ポーの顔を立てんとばかりに、まずは密室殺人でなければということになっていくわけだが、実際、クリスティの『オリエント急行殺人事件』でもまた、死者の姿は大雪の広野を走る列車の一等車に出現する。そしてこの現場もまた鍵のかかった密室であった。
密室殺人において、その謎は非常にはっきりしている。したがって読者は作者の描き出す展開に身をまかせ、そこから物語がいったいどうなっていくのかを考えていけばいい。
島田荘司の「本格ミステリー」では、特にその「トリック」に重点が置かれている。その構造とはすなわち、「推理によって、前段における謎と解決との二点を繋ぐことで驚きを喚起する人工装置」というものだが、この理論は、紀元前四世紀にギリシャのアリストテレスが提起した「三幕構成」にまで遡ることができる。人であれば誰しもが持っている好奇心は、一連の物語の中に隠された謎を見出し、そこからサスペンスが生みだされる。そしてそれが最高潮に達したところで最後に発見がなされ、物語は解決へと導かれていく。十九世紀末のロシアの劇作家チェーホフが、第一幕で拳銃が置かれているのであれば、それは第二幕において発射されるべきであると述べていることも同じであろう。
島田荘司は何よりもトリックの設計に格別の注意を払っている。そして謎から解決へといたる過程に設えられたトリックは、謎解きと伏線の回収によって解き明かされ、大きな驚きをもたらす。
『熱層之密室』は物語の舞台を宇宙においている。2010年アメリカの宇宙ステーションの乗組員が、暗証番号を入力しなければ進入することできないエクスプレス補給キャリアの中で死亡し、さらに2018年にまた一人の乗組員が同じような死体となって発見される。
密室に死体、そして容疑者たる宇宙ステーションの乗組員とすべての条件は揃った。しかし作者はまだ足りないとばかりに、ここへさらにもう一つの謎を設えてみせる。父親が息子に遺した「これが、伝説の天使の姿をした宇宙人だ。見てご覧」という謎めいた言葉。そして宇宙ステーションの乗組員であった父親が娘に遺した不可解な詩の存在――「天の子よ、地の童よ、同じ母より生まれし双子は、七つの空の下でひとつになる。天の子は、慈しみの眼差しをもて遙けき者の姿を見守っている。地の童は、崩壊の轟きを耳に振り返る。悪魔の左腕の肘に、希望の芒星は現れるであろう」というのがそれだ。
もちろんここには探偵の存在も欠かせない。その一人は死者の息子で、彼は宇宙工学の研究に身を投じ、父親の死の秘密へと迫っていく。しかし現場に赴くことはできず、彼がその謎を解くことはかなわない。そこでもう一人の探偵の登場となるわけだが、彼は金にものをいわせて、この宇宙ステーションに乗り込むことになった観光客という設定だ。彼らはお互いに協力し合いながら、まずその不可思議な詩に隠された秘密を解き明かし、そこからさらに犯人へと迫っていく。そして凶器と事件の背景にある動機を明らかにするのである。
[選評]
小説家 張國立
作家であれば、人の心を動かす登場人物や場面をあれこれと考えるものだ。読者の興味をそそるようにと思いつくものといえば、まずSF。それから宇宙人。そして最後には密室トリックの捻出にと力を注ぐことになるわけだが――とはいえ、もちろん小説においてはトリックの他にもっとも重要な要素がある。それこそは人と人との交わりであり、本作『熱層之密室』では、父親と息子の情愛を描き出し、政治というものの邪悪な意志が最後には人間性と対峙する様相を描いてみせる。もっとも恐ろしいのは宇宙人ではない。地球人なのだと――。
本賞に入選した作品は、いずれも思いもつかないようなトリック、素晴らしい筆致と構成力、そして豊富なイマジネーションに満ちている。作者が紡ぎ出す想像の世界に浸り、その喜びを分かち合う。これこそは小説というものが持つ、人を惹きつけてやまない最大の魅力であろう。