微笑む人 / 貫井 徳郎

必然的失敗作ゆえに偏愛という一冊、――といっても一体何のことやら、ということになりますが、この意味については後述します。

物語は、とある事件の犯人に『フツーの人っぽいけどもしかしたらこいつ、トンデモないシリアルキラーなんじゃないの?』という疑問にとらわれた作家を語り手として、妻子を奇妙な理由で殺害した男の過去を辿っていくと、……という話。

いきなり津久井とか宮ヶ瀬とか地元の地名が出てきておっ、と思っていると、フツーに秀才なリーマンが何ともな理由で妻子を殺したことが明かされ、語り手である作家がかの人物の周囲に聞き込みを始め、……という展開となっていくのですが、話を聞いていく中で相矛盾した印象が語られていったり、こうした殺人事件から切り離せばごくごく一般人にも起こりえるフツーの逸話が重ねられていく前半は、もしかしたら冤罪なんじゃないか、いやいや、やはりこの男が犯人でという二つの憶測の狭間で絶妙な均衡を保っているのが本作の面白いところ。

過去を遡っていくうちに、かの人物の仕業かもしれない事件が明らかにされ、被害者とその人物との連関も語られていくのですが、ここでもいまだ冤罪の可能性は完全に捨てられることなく、被害者のゲスっぷりなど登場人物に様々な角度から光を当てて、その輪郭を描き出そうとする貫井ミステリでは定番の技法もしっかりと活かして、物語は淡々と進んでいきます。

しかしかの人物というのが、貫井ワールドの登場人物にしては、熱が感じられず、この事件を明らかにしていこうという語り手の作家も、この人物に取り憑かれたような気迫はなく、物語が終始淡々と進んでいくところにはおそらく評価が分かれるところではないでしょうか。真犯人はいるのか、冤罪事件なのか、――こうしたフーダニット的な反転の可能性は物語が後半に進むにつれて薄められていくのですが、語り手が過去へと遡っていくうち、ある人物の登場によって、物語は突然澱みを抜けて流れはじめます。

この人物と事件の中心人物をタイトルにもある微笑と重ねた趣向は綺麗に決まってはいるものの、この人物の証言に多重の意味を持たせて事件の見え方を”真相”から遠ざけていくという技法は、ある意味手垢のついたものという批判もあるやもしれません。また多重解決でさえない本作の何とも煮え切らないラストにダメミス臭を感じる方も多いのではないかと推察されるものの、――もっとも自分のような好事家は、

ほら、本能寺の変だって、どうして明智光秀が謀反を起こしたのか判明してないじゃないですか。傍目には『それほどのことか?』と思えることでも、当人には相手を殺したくなるほど許せないって場合もあります。

と、あえて信長の逸話を出してきたところにダメミスの気配を感じてしまったわけですが、まあそこはそれ(爆)。かの人物の倒錯した動機を巡る上の台詞を典型とした、現実の事件に何かしらの”腑に落ちる”解釈を求めてしまう読者の思考を先読みして、後半、唐突な登場とともに語り手を翻弄させる人物の「……みんな、わかりやすいストーリーを求めてるんですよ。わからないのはいやなんです」という言葉にある通り、本作の趣向はミステリ的な推理や解釈を一切遮断してみせたところにあります。

多重解決であっても、それは”多重解決ものゆえに読者にその推理を委ねる”という解釈が可能であるわけですが、本作では登場人物に上のような言葉を語らせることで、そうした余地も残さずに、読者を置き去りにしてしまう。”腑に落ちる”解釈、あるいはその読者に判断を委ねるにしてもそうした”余地”を残してみせるのがミステリのあるべき姿だとしたら、本作はそうしたところを敢えて否定してみせた、――いうなれば確信犯的な失敗作といえるのではないでしょうか。

ミステリという軛を離れれば、オースターのニューヨーク三部作や『リヴァイアサン』に雰囲気は非常に似ているような気もするのですが、オースターの作品の主人公が自らがつくりだした架空の物語の靄にとらわれていったのに比較すると、本作の語り手は、事件に見える靄の外周をぐるぐると回っているばかりで、自らがその虚構に身を投じることもありません。こうした作風だからこそ、貫井ミステリにしては妙に熱量の低い登場人物たちの造詣も納得がいき、氏の小説にしては……とか、ミステリにしては……といった先入観をことごとく裏切ってみせる本作の趣向には、ミステリとしては失敗作にしか見えない風格とは裏腹に、作者の計算された精緻な巧みが感じられます。

ミステリとして読もうとする読者ほど、本作を失敗作と断じるのは当然であろうし、それはまた計算された失敗作ゆえにやむなし、という何ともひねくれた一冊ゆえ、かなり読者を選ぶ一冊ではないかと思われます。心してかかれば、もやもやとした読後感が逆にキモチイイという、奇妙に倒錯した感覚に酔えること請け合いながら、そうした作品に耐性のない方は遠慮しておいた方が吉。ただ、オースターが好きな人はけっこう愉しめるかもしれません。