あの夜にあったこと / 大石 圭

大石氏の最新作は、ブルジョワではなくダメ人間がダメなことして奈落に堕ちるというイヤ小説。大石小説を形容するのに使われる『絶望的なハッピーエンド』とはやや異なる、ハッピーエンドのない幕引きを予感させた結構など、自分のような大石ワールドにドップリ浸かっている人であるほどそれなりの苦行を強いられるという一冊です。

物語は、ハケンの若者二人が、俺たちにだって幸せになる権利があるッとばかりに、金持ちボンボンの家に強盗に押し入るものの、ノッケから大失敗をしでかしてしまう。ヤケクソとばかりに鏖を決意した二人の運命は、――という話。

ミステリアスな雰囲気を横溢させたタイトルではありますが、事件当夜の出来事は後半も後半にかなりの駆け足で語られていくという構成で、どちらかというとその前、――二人が犯行を決意し、実行に移すまでの方が本軸という気がします。

とはいえ、性急な展開を見せる後半と、殺す者と殺される者との心情と葛藤をじっくりと書き込んでみせた前半とにしっかりと明暗を凝らしてあるところは見事で、特に主人公二人の鬱屈した内心を様々な逸話も添えて静的性的に綴った前半は、舞台がいきものがかりで有名になった厚木という、ほぼ地元ということもあって、かなり興味深く読むことができました。

執拗に繰り返されるアブラゼミの鳴き声と基地から飛びたつ飛行機の爆音とが、登場人物たちの日常に対する苛立ちや葛藤と重なり、そのなかから犯行へと突き動かされていく二人の姿の輪郭をよりはっきりと描き出していくという技法も巧みで、前半はもっぱら二人の内心を、そして中盤には殺される者の心情も添えて、それぞれの暗い思惑が”ある夜”へと収斂していく展開が素晴らしい。

犯行の夜、いきなり大ポカをカマしたことで坂道を転げ落ちるようにヒドいことになっていく後半部は、一転してスピーディーな流れとなり、ここでは同一のシーンを、殺す者と殺される者との両側面から繰り返して、それぞれの思いを鮮やかに描き出すという、――『檻の中の少女』で大きく開花した大石小説の技法を存分に堪能できます。

各章冒頭に添えられた関係者の証言が、主人公二人の悲劇的な運命を暗示しているところがかなり辛く、おそらく二人はこのまま絶望的な運命へと堕ちていくことは確実と読者に思わせてしまうところもやや異色で、傑作『人を殺す、という仕事』では絶望的でありつつも、おそらく主人公は生還できそうなにおいを残していたのに比較すると、本作は徹底してダウナー系。

深読みをすれば、彼らが犯人であったことはすでに明かされているとはいえ、彼らが捕まったとは一言も書かれていないわけで、二人はこのまま逃げおおせることができたのかもしれない、……と、いう解釈もできないわけではありません。いずれにしろ、『絶望的なハッピーエンド』がにおいたつ大石小説ならではの余韻は薄く、このあたりも大石ファンの中では好みが分かれるところではないでしょうか。

好みといえば、お約束のエロは、母と息子の近親相姦とはいえ、どちらかというと母親の方が息子を誘惑して、いまじゃ攻守逆転して母が息子のいいなり、みたいなかなり特殊なシチュエーションゆえ、口虐といってもママじゃねえ、……と、ノンケにとってはこのあたりも、いつもと違ってのめり込むことができませんでした(爆)。とはいえ、母子の近親相姦”的”な妄想を想起させるという点では『殺人勤務医』を典型とする大石小説の定番でもあるし、中年女萌えもまた大石小説の中では繰り返されているモチーフでもあります。

ミステリアスなタイトルから物語をイメージするとやや意外な構成に戸惑う方もいるかもしれませんが、金持ちボンボンやスノッブを住人とする、いうなれば大石小説では定番の”表”の世界の”裏”にある、暗く淀んだ世界を描いた本作は、傍流でありながらも強い自己主張が感じられる一冊といえます。ただし、今までの作品のファンほど拒絶反応もまた激しいかと思われるので、そのあたりは要注意、ということで。