またまた眼の調子が悪くなってきたので読書ペースを落とそうかと思っていたのですが、買い逃していた本作がReader™ Storeにあったので迷わず購入(Readerだと文字拡大して読めるので、少しくらい眼の調子が悪くても没問題なのであります)。
従来の作品に比較すると、地の文で描かれる風景描写がとても鮮やかで、登場人物たちの内面描写を周りの風景に託した筋運びはミステリというよりは普通小説に近く、ミステリ的な技法は用いられていないかと思ったていたら、後半になってやや意想外な展開となるところが道尾流。ただ、本作の場合、そうした誤導の技法は読者を驚かせるためではなく、別の効果のために動員されているところに要注目でしょうか。
物語の冒頭、ある人物の告発文めいた手紙の断片とともに、バスに乗り合わせてどこかへと向かう人物たちの描写が続くのですが、このバスの描写はいうなればミステリでいう仕掛けアリのプロローグ。死のムードが色濃く仄めかされ、そこからある人物が自殺を決意するまでを描いた中盤は、とにかくこの人物の悲壮さが辛い。文化祭の準備をこなしていく主人公とその友人、そしてハレの場であるべきその場所で行われる陰惨なあること、――といったふうに、自殺を決意するこの人物と主人公の”いま”の差異を際立たせた構成は見事です。
主人公とこの人物はしきりと過去を振り返ってみせるのですが、追憶という行為は同時に主人公の周りにいるもう一人の人物を最後にある行為へと引き寄せていき、この三人の結託によって後半、プロローグのシーンから始まっていた誤導の真意が明らかにされるわけですが、主人公を軸にして重なりあう二人の人物のその後の対照は、『何かが解決するのと、何かをすっかり忘れてしまうのと、どう違うのだろう』という言葉によって、読者に重い問いを投げかけてきます。
複数の登場人物たちの追想によって記憶と逸話を重層化していく結構ゆえに、いままでの道尾小説の中ではもっとも深みとコクのある作品だと思うのですが、あくまで個人的な感想ながら、不思議と読後感はアッサリしてました。これはプロローグから始まる、いかにもミステリらしい誤導の種が、後半に入るなり早々に明かされてしまった云々ということとは別に、この仕掛けの効用がミステリ的な驚きや感心ではなく、むしろ安堵といったものに近いからだと思います。
読者の心を鷲摑みにし、喉元に刃の切っ先を突きつけられるような強烈な感情を引き起こすためにミステリ的な仕掛けを用いる、――というのが、いままでの道尾小説の様式だったわけですが、本作ではむしろ仕掛けが明かされるまで持続していた不安が、仕掛けのもたらす反転によって安堵へと変わるという、いままでとは逆のベクトルの効果がとられています。
何も感情を大きく揺さぶる小説ばかりが絶対的に正しいというわけではなく、何となーくなんですが、……感動とか泣けるとか、昨今の小説の効用として第一に求められているそうしたものに、道尾氏はちょっとウンザリしていて、本作を書いたんじゃないかな、……とか邪推してしまったのはナイショです(爆)。
ミステリ的な読み方でしか小説を愉しめない自分のようなボンクラよりは、むしろ純文学的な手法で作品を読み解くことに長けた本読みの方が本作の魅力をもっと端的に説明できるような気がします。ミステリの仕掛けの効用という点では従来の作品とは趣を異にする本作、小説に感情の振幅を求める御仁にはやや物足りなさが感じられる一冊かと推察されるものの、じっくりと味わうという点では今までで一番のコクのある物語といえるのではないでしょうか。