『アノニマス・ライフ 名を明かさない生命』+ パフォーマンス「模像と鏡像 ―美容師篇」@NTTインターンコミュニケーション・センター[ICC]ギャラリーA

現在、初台のNTTインターンコミュニケーション・センター[ICC]ギャラリーAで絶賛開催中の『アノニマス・ライフ 名を明かさない生命』。今日はあの鬼才・石黒浩教授のリプリーQ2″出演”のパフォーマンスがあるということで見に行ってきました。簡単ながら感想を。

今回のパフォーマンスについてはサイトなどで以下のような説明があったわけですが、

パフォーマンス『模像と鏡像 – 「美容師篇」』
2012年12月15日(土)15:00~
会場:東京都 初台 NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 特設会場
作・演出:齋藤達也
協力:石黒浩(大阪大学大学院教授)
出演:
リプリーQ2(アンドロイド)
小林慎(美容師)

美容師篇と言われても何が何やらというかんじでしょう。今回の演し物を簡単にまとめてしまうと、ホンモノの(多分)美容師がアンドロイドの髪をカットする――とただ”それだけ”のもの。しかしこのただ”それだけ”がアンドロイドというかなり特殊な”役者”を配することで非常に興味深いパフォーマンスになっているところが面白い。

会場に入ると舞台にはアンドロイドのリプリーQ2がやや俯いた姿勢で硬直しており、その前には大きな姿見がつり下がっています。どこから見るのがベストかな、と考えたのですが、とりあえず”彼女”の表情が姿見に映り、後ろ姿を眺めることができる右側の席をキープして、始まるのを待つことに。”彼女”の前面にはそれらしいミッドレンジ級のサーバが据え置かれ、LEDが明滅しており、どうやら”彼女”はそのシステムに繋がっているらしい。

ちなみに会場に入るときに手渡されたグレーの厚紙は二つ折りにされていて、表紙には今回のパフォーマンスの作・演出、監修、出演、技術協力者の名前がリストアップされているのですが、注目するべきは、見開きで掲載されている文章で、「そのロボットは、うまくできていた」から始まる物語はお懐かしや、星新一の『ボッコちゃん』ではありませんか。

「としは」
「まだ若いのよ」
「いくつなんだい」
「まだ若いのよ」
「だからさ……」
「まだ若いのよ」
「なにが好きなんだい」
「なにが好きかしら」
「ジンフィーズ飲むかい」
「ジンフィーズ飲むわ」

というふうに同じ台詞を繰り返したり、客の言葉をそのまま返すやりとりを、今回のパフォーマンスにおける出演者のひとりであるリプリーQ2もしっかりと”演じて”みせるのですが、この盤石な”仕込み”と、アンドロイドによるパフォーマンスをよく把握していないもうひとりの出演者である美容師の小林氏とのやりとりが今回の見所です。

照明が落とされると、左右に据え置かれたモニターに映し出されたのはとある美容師の店内で、美容師である小林氏が「アンドロイドの髪をカットをしてもらいたい」という質問を訝りつつも軽いノリで受け入れてしまい、今回のパフォーマンスに出演させられるまでの舞台裏が映し出されていきます。アンドロイドといっても初めは意味を把握できず、「ロボット?」「最近、集まってた、あれ?」(多分、『アベンジャーズ』みたいなものだと誤解してる(苦笑))というような言葉を返していた小林氏がしずしずと舞台右手から登場し、舞台上のリプリーQ2に暖色の照明が当てられると、いよいよパフォーマンスのスタート。

アンドロイドの髪をカットといっても、どう進めればよいものかよく判っていない小林氏は、どんな髪型にすればいいのかをスタッフに尋ねるのですが、「本人に聞いてみてください」と返されてしまう始末。仕方なく”彼女”に髪型を尋ねると、「短めでお願いします」というリクエストがあり、小林氏は美容師らしく”彼女”に言葉をかけつつ手慣れた様子でカットをしていきます。

「はい」「うーん」「冗談ですよ」みたいな短い台詞から、「私、同じことを何度何度も言ってしまうんです」みたいなかんじの長い台詞もさらりとこなしてしまう”彼女”に、美容師らしく応対してみせる小林氏とのやりとりが進むにつれ、舞台の右手に据えられていたモニターにある変化が現れます。1から23までの数字が並べられ、マウスに置かれた右手が映し出されるのですが、ここで観客は、モニターに映し出されたマウスが数字をクリックすると、”彼女”が台詞を口にしていることに気がつきます。つまり、”彼女”は23の台詞しか持っていないことがここで明かされるわけです。

一方、カットをしながら客である”彼女”に話しかけている小林氏の台詞は様々で、それを”彼女”はたった23の台詞で切り返している。ときおりちぐはぐなやりとりが展開され、それがおかしさを誘うわけですが、個人的に興味深かったのは、小林氏が後半に口にしたある言葉でした。すっかり”彼女”との会話にも馴れた小林氏がふっと「結構、範囲が広いんですね」みたいなことを口にするのですが、二人の会話のやりとりからこの言葉は「意外にたくさんの言葉をしゃべるんですね」みたいな意味であると察せられます。しかし観客には右側のモニターに映し出された種明かしから、”彼女”は23の言葉しか持たないことを知っているわけで、このギャップが面白い。逆にいうと、23の台詞を繰り返しているだけでも、人間のコミュニケーションが成立してしまうということを現しているともいえる。

『ボッコちゃん』みたいな水商売の女性と客という立場であれば、ぶっちゃけ、客の男に対して相槌さえ打っていれば、場の空気をつくりだすための会話が成り立ってしまうのは納得ながら、今回の『美容師篇』のパフォーマンスは、美容院における女性客と美容師の「世間話」もそうしたものと大差のないことを示しているのでは、……というふうに考えると、何とも複雑な気持ちになります。また”彼女”のカットがアシンメトリーであることを小林氏は繰り返し強調していたのですが、このアシンメトリーという言葉は人間とロボットとの境界を考える上でのキーワードかな、という気もしました(この言葉も含めて、どこまでが演出であったのかは不明です。このあたりは作・演出の斎藤氏に訊いてみたいところです)。

今回の『アノニマス・ライフ 名を明かさない生命』には、渡辺豪の『アエウム』が展示されていたのですが、このインスターレーションは、天井までの細長い壁に、モノクロのアンドロイドめいた顔の表情の変化を映し出していくというもので、限りなく人間的でありながら、それでもこの顔に違和感を覚えてしまうのは、左右のシンメトリーにあるような気がしました。長い時間じーっと『アエリム』のインスタレーションを見つめていると、この顔に一瞬だけ人間らしさが立ち現れることに気がつくのではないでしょうか。表情の変化の中で元の顔とその後の顔が二重写しになる瞬間に垣間見える”歪み”、――つまりシンメトリーという完全性こそは人間とロボットを区別する何かであるということにそこで気がつくわけですが、それでも油断はできないところが今回の展示の面白さです。

「米朝アンドロイド」は、米朝の表情から細やかな挙措までを無理矢理に(ここ重要)再現してみせたもので、無理矢理に再現したがゆえにその動作にはややぎこちなさがあるものの、表情はそのまま実在の人物をまさに”摸像”したがゆえに、近くから見ても、その姿から醸し出される雰囲気は人間そのもの。この米朝ロボットは時に若い女子に受けが良かったようで、皆がニコニコしながら食い入るようにロボットの動きを見つめていたのが印象的でした。実際、今回の展示の中ではもっともインパクト大でしたし、このロボットを見に行くだけでも足を運ぶ価値アリです。

それとチケットを買うときと会場に入る前に「刺激の強い展示があるから気をつけてください」みたいなことを繰り返し言われたのですが、おそらくオルランの展示のことではないかと。まあ、詳しい説明は省きますが、確かに微グロが入っているので、グロ耐性があまりない人は素通りした方が吉、かもしれません。

やなぎみわの作品は、十年以上前の美術手帖で『超・写真芸術!』特集の表紙を飾った風格のもので、実物を眼にしたのは初めてでした。これもヨカッタです。初めてといえば、スプツニ子!のビデオ・インスタレーションを見たのも今回が初めてだったのですが、「Crowbot Jenny / カラスボット☆ジェニー」とかはフツーにYouTubeでも見ることができることを今知りました。スプツニ子!嬢、確かに超美人で好みではあるのですが、現代美術界では松井冬子女史に命を捧げる誓いを立てた自分としては浮気するわけにはいかないゆえ、このくらいにしておきます(爆)。

それと『模像と鏡像 – 美容師篇』のパフォーマンス会場には石黒教授もいらっしゃったのですが、手にしていたカメラは多分、NEX-7だったのではないかと。写真マニアであれば、やなぎみわの大きな写真が見られるし、上にも書いた通り、米朝ロボットだけでも見る価値ありです。オススメでしょう。