私はフーイー 沖縄怪談短篇集 / 恒川光太郎

私はフーイー 沖縄怪談短篇集 / 恒川光太郎傑作。タイトルには「沖縄怪談」とありますが、極上の恒川ワールドにどっぷりに漬かれる名品揃いで堪能しました。正直、素晴らしい!の一言で今日は終わらせたいくらい、キーをタイプしている今も読後の恍惚に浸っているのですが(爆)、簡単ながら感想を。

収録作は、「弥勒節」、幼少時の記憶の混濁を恐怖ではなく美しき幻想へと見事に昇華させた「クームン」、奈落に墜ちた男がこれってクトゥルー?みたいな触手モノに魅入られてさらなる煉獄へと突き落とされる「ニョラ穴」、パーラーでウリをさせられているイマ風のアーパー女に関わった男の不条理にしてブラックな奈落「夜のパーラー」。

冥界とこの世、現実と幻を往還しながら圧縮された時間軸の中で展開されるお伽噺「幻灯電車」、時空と幻想が奇妙な捻れを見せた物語世界にささやかなボーイミーツガールの趣向を添えた傑作「月夜の夢の、帰り道」、転生する魂の寓話を沖縄の歴史に託して壮大にして美しきマジック・レアリズムへと仕上げた大傑作「私はフーイー」の全七篇。

恒川小説にハズレなし、という法則がまたもや証明された一冊で、七篇はいずれも強烈な幻視と心地よい酩酊を引き起こす名作ばかりなのですが、個人的に一番のお気に入りはやはり表題作である「私はフーイー」でしょうか。余所モンの魔物女が沖縄の地に馴染んでいくものの、宿敵が現れ、――という対立軸を据えた人物配置によって、転生していく魂の宿業を描ききった一篇です。

前世と今世の意識が混交しているヒロインの心の機微を丹念に描きながら、沖縄の時代に翻弄されるヒロインと宿敵との運命的な出会いを後半に配置して、すわバトルの始まりかと思っていると、作中で神話として語られていた虚構が現実へと変化し、静謐にして幻想的な幕引きを迎えるラストも美しい。何となーく『火の鳥』のある一シーンを思い浮かべてしまったのですが、沖縄の歴史とヒロインの意識の転生の物語を圧縮された時間軸のなかで見事に描ききった技巧はもう完璧の一言。傑作でしょう。

「月夜の夢の、帰り道」も非常に印象に残った一篇で、祭りの日に魔物から恐ろしい未来を告げられた少年のその後の物語かと思っていると、舞台は唐突に沖縄から埼玉県へと飛んだあと、ある人物の物語が語られていきます。暴力と唐突な死というのは本作に収録されているいずれの作品にも感じられる風格なのですが、本作ではこの人物のワルッぷりからその雰囲気がより色濃く感じられます。やがて男は沖縄へと渡り、ある女と知り合うことになるのだが、――と、ここで冒頭の少年のシーンとの繋がりが明かされるのですが、SFでは定番中の定番ともいえる趣向を怪談めいた極上の語りの中でまったく違う見せ方によって、いままで語られていた物語そのものを幻へと反転させてしまう技巧には完全にノックアウト。これもラストがいい。

「夜のパーラー」は収録作の中ではもっとも幻想味が薄く感じられる一篇ながら、主人公の男が関わることになる娼婦のあっけらかんとしたアーパーぶりが、男の身に降りかかる不条理な出来事によってブラックな恐怖へと転化する幕引きにニヤニヤしてしまいます。

「ニョラ穴」もまた、突然に降りかかった不幸から奈落へと墜ちた主人公が、完全犯罪をもくろんだばかりにさらなる地獄へと墜ちていくという物語なのですが、キ印男の宿業を背負うことになってしまった主人公が魅入られてしまった魔物の造詣がマル。ヌルヌル系みたいなのですが、ここはやはりどうしてもクトゥルーをイメージしてしまいます。

「クームン」はタイトルにもある異様な存在を、幼少時の記憶の混濁という趣向によって幻想へと昇華させた物語で、このネタであればホラーにも転化できるものの、いたずらな恐怖を煽ることなく、極上の幻想譚へと構築してみせた恒川マジックの素晴らしさに感心することしきり。

それと傑作という点では、『怪談列島ニッポン』に収録されていた「弥勒節」もまたとんでもない傑作ゆえ、こちらをお見逃しなきよう。後半には「弥勒節」の旋律がちらっと出てくるのですが、どの作品のどのシーンかは是非とも実際に本作を手に取られて確認いただければと思います。

ジャケ帯には沖縄民話の世界とありますが、確かに舞台は沖縄ではあるものの、沖縄というよりは読み慣れた恒川世界の雰囲気の方が濃厚に感じられる一冊ゆえ、『夜市』から作者の作品を追いかけているファンであれば大満足できるのではないでしょうか。オススメです。