「ハラハラ捜査で知られる坂下署の最低刑事コンビ・柴田と高見」だの「ハラハラ刑事が再び帰ってきた」と言われても、そもそもこのハラハラ刑事シリーズを未読だったゆえ、たいした感慨も湧かずに読み始めたのですが、結論からいうと草野ミステリの中ではフツーのダメミスでした(爆)。とはいえ、日々ダメミスを研究していて「いつかは俺ッチもダメミス作家になって東野圭吾を凌ぐ大先生になってみせるゾ!」なんて一攫千金を夢見る御仁にとっては格好の研究資料となりえるであろう一冊、といえるカモしれません。
あらすじを大雑把にまとめておくと、ヒョンなことから銀行強盗犯から大金を受け取ることになったアベックが北海道へ赴いたところ、クマ襲撃に偽装した殺人事件に巻き込まれ、殺し屋たちにつきまとわれることに。やがてハラハラ刑事たちも入り乱れての追跡劇が北の大地を舞台に繰り広げられるのだが、――という話。
そもそも冒頭の一文が、
「今夜の煮魚定食は、まずかったな。まるっきりあぶらっ気がなくて、パサパサしてよ」
という女の一言によって幕を開ける本作は、ここからして「食に対するこだわり」というダメミスの必要条件を十二分に満たしているわけですが、ページをめくると今度は強盗殺人事件の犯人から大金を託されることになるアベックがどれだけの仲なのかを説明するくだりがあり、その部分を引用すると、
もっともデートとはいっても、肉体関係ではオーラスまでいったことはない。ディープキスからオッパイもみもみまで。
と濃厚な昭和臭を感じさせる言葉を添えたホンワカ・ムードで展開していたところから突然、「だが、このときだった。運命という悪戯好きの曲者が、この二人の人生を百八十度転回させるようなに事件で、クライムドラマの幕を切って落としたのは!」と大仰に過ぎる作者の語りで物語は一気に疾走ならぬ迷走を始めます。個人的には、この大げさな語りの中で「オーラス」という麻雀用語を織り交ぜているあたりにも注目したいところなのですが、とりあえず先に進むと、このあとに発生する事件というのが草野ミステリらしくハジけていて、何しろ舞台は北海道。そこで『クマ注意』と大書きされた場所がコロシの現場に設定されていて、B級映画の『グリズリー』も真っ青という熊の襲撃シーンが登場します。ここもまたざっと引用しておくと、
突然左側の熊笹がザワザワと動くと、ウォーッという吠え声と同時に、一頭のクマが飛び出してきた。
それはアッという間に、先頭の古川に襲いかかった。
遅れていた北側と岡野の目に、立ち上がったクマの右手がサッと古川の喉を払うのと、ビューッと噴霧状の血が飛ぶのが見えた。
「キャーッ!」
後ろの女の子と夫婦の悲鳴。
「でたーっ!」
と叫んだ声。
そして、バタバタと転げるように逃げ出す足音。
気の抜けたビールで悪酔いしてしまったかのような、何ともいえないチープ感が草野ワールドらしく、ここでニヤニヤできるかどうかでさらにページをめくって先に進むべきかどうかが試されているともいえます。おそらくすでにこの前半でマトモな本読みの方は静かに本を閉じるなり、本書を勢いよく壁に叩きつけてしまうのではないかと推察されるものの、――そうした方々のために一応、上のクマの襲撃シーンの真相をネタバレしてしまうと、このクマというのはワルが着ていた着ぐるみで、この着ぐるみ野郎が犯行を終えたあと凶器のひとつとなるブツを車に放置していたわけですが、何と、この着ぐるみ野郎の車を、オッパイもみもみまでしかいっていない件のカップルが取り違えてしまったからサア大変。
カップルの車には、強盗犯から手に入れた大金が入っていたからただ事じゃない、――って、車を取り違えるとところからして強引に過ぎるわけで、この後の展開は推して知るべし。アベックを追いかける殺し屋やハラハラ刑事、さらには銀行強盗の共犯どもが入り乱れての追跡劇が繰り広げられるわけですが、何しろ舞台は北海道ですから、ダメミスには必須といえる「食」のネタには事欠きません。「ボリュウムのある札幌ラーメン」から「蟹料理専門店でフルコースの美味に舌鼓」、「朝からトン汁とは、ほんとにありがたいです」と、地の文から脇役の台詞にいたるまで、北の大地のうまいもんを鏤めた挙げ句、
札幌には、うまいもんがいくらでもあるのに。鰊そば、ポテト、ラーメン、アイスクリーム、石狩鍋、鮭鮨、毛がに、まだいくらでもある。
と強調してみせるあたりはもう確信犯。北海道が出てくるダメミスといえば、マニアの間では知らないものはいないであろう呆王の『彼は残業だったので』がレタス畑だったら、こちらは馬鈴薯だぜィ、とばかりに、
北海澱粉工場の周囲には、馬鈴薯畑が広がっている。日本では北海道でないと見られない雄大な眺めだ。
などという描写によってダメミス同士の隠微な共振が行われているあたりにも注目でしょうか。ちなみに馬鈴薯はしっかりと他の場所にも登場し、
『ピザ・サーティ』は、各国のビール、オレンジを眼の前で搾ってくれるジュース、コカコーラと、飲み物はこの三種類だけだが、ピザ・パイは、馬鈴薯、トウモロコシ、カニ、サケ、イカ、エビ、各種の貝などを具にして、三十種類を提供できる。
と説明をくわえれば、すすきのの店の風情溢れる夜の店の描写にかこつけて、「ギターがこれほど妖艶な楽器であろうとは!」「バンドのエスプリの豊かなこと!」とやたらに音楽に関しては熱の入った筆致が添えられ、
オーラというのは、人間電気といったようなもので、ファッション雑誌などで盛んに使い出し、東洋ハムの社員の間で、流行語の一つになっている。
「人間電気」という蠱惑的な言葉を添えてオーラに関する知見を披露したりと、様々なネタを鏤めてよりいっそうダメミスとしての風格を際立たせているところは秀逸です。人間電気のほかにも、
曲はがらりと趣を変え、『フライ・ライク・ザ・イーグル』。シンセサイザーのSF的感覚で処理しており、客たちを、さらにいっそう、日常的な世界から引き離していこうとする。
「シンセサイザーのSF的感覚」という昭和っぽい表現や、それってもしかして『フライ・ライク・”アン”・イーグル』じゃないノ?とツッコミをいれたくなるような、ミステリの謎はアレなんで、どうぞ間違い探しでお楽しみクダサイという食玩的ともいえるオマケを添えたサービス精神も微笑ましい。
ミステリの謎はアレ、なんて上にはその話をする前に書いてしまいましたけど、後半、ストリップありのクラブで毒殺事件が発生するのですが、すわいかなるトリックがッ!と期待していると、被害者がトイレに立った隙を見てタンブラーに毒を盛るという、おトイレ臭いトリックが開陳されるだけですので、このあたりであらぬ期待をするのは御法度でしょう。
確かに驚きの装置を備えたミステリとして読めば本作は噴飯ものの一冊ながら、ダメミスの研究資料として読めば、北の大地はこれほどまでにダメミスと親和性が高いのか、と驚くことしきり、よくよく考えてみれば上の引用にもある通り、「札幌には、うまいもんがいくらでもある」わけで、ダメミスの必要条件である「食に対するこだわり」を盛り込むのでれあれば、ただ北海道を舞台にして、登場人物達の食事シーンをさらりさらりと描写するだけで没問題。こうして見ると、昭和を知らない若い世代の中から新たなダメミス作家が登場するとすれば、土地勘を活かすにはやはり地元民ということで、北海道在住あるいは出身者の中から、次世代の担うダメミスの新たな才能・超新星が現れるのかもしれません。
呆王の代表作ほどの知名度はないものの、ダメミスのエッセンスを十分に備えた退屈なダメミスという点では、本作を反面教師として学ぶところは多く、ダメミス界の東野圭吾になってやる!と意気込むヤングには学術資料としての一読を勧めたいと思います。ようするに気質の人は決して手を出してはダメよ、ということで。