ハッキリいって”端正”でありながらも先鋭的な現代本格の一作ともいえる『犯罪ホロスコープII 三人の女神の問題』のような作品を読んだあとだと、レトロ風味さえ感じさせる本作、正直、技巧としては大きく取り上げるべきものもないし、外連を効かせた事件の構図が組まれているわけでもなし、――と、本格ミステリをテクニックの面から”のみ”評価するような石頭で前半は読み進めていたのですが、そんな思いを見透かすかのように本格ミステリのロマンを見せつける後半の『除夜を歩く』で、見事に心臓を射貫かれてしまいました(爆)。大傑作というわけではないものの、かえってこういう”佳い”作品こそが後生まで読み継がれていくんだろうなァ……としみじみ。
収録作は、ノートの盗難事件というシンプルに過ぎる謎に有栖川式ロジックをさらりと効かせた佳作「瑠璃荘事件」、ある人物の奇妙な行動の心理を推理する展開が真相開示の一撃で叙情ロマンへと転じる外連が見事な「ハードロック・ラバーズ・オンリー」、線路の上の変死体に鉄ちゃん式トリックを添えた定番もの「やけた線路の上の死体」、キモメンの倒錯した愛情が有栖川式の情緒溢れる筆致によって美しき物語へと変幻する「桜川のオフィーリア」。
ワイガヤの推理が怒濤の展開を見せるなかに現代本格の趣向をピリリときかせた心憎い一編「四分間では短すぎる」、幽霊が出ると噂の屋敷での青春ドタバタ騒ぎ「開かずの間の怪」、奇妙な誘拐の真相に倒錯した動機と事件の構図を巧みに重ねた「二十世紀的誘拐」、大晦日の京都を練り歩きながら本格ミステリへの熱き思いがイッパイに語られるアリス式本格ミステリ論「除夜を歩く」、イキナリ気前が良くなりすぎた古本屋オヤジの奇怪な行動の背後に見え隠れする不穏「蕩尽に関する一考察」の全九編。
何しろ収録作のスパンが長いことと、学生アリスたちの日常に起こる些細な事件が物語のモチーフになっていること、さらには時代が昭和であることから、先鋭的な技巧を尽くした現代本格を読むような気持ちで挑むと、ひどく古くさく感じてしまうであろう本作、しかしそれじゃあダメかというとそんなことはなくて、……むしろこの直球のレトロ風味とアリスたちの出会いの逸話を描いた物語として読むと何ともいえない感慨があります。
直球という意味ではハッキリとコロシが出てくる「やけた線路の上の死体」がベタベタの一編といえるわけですが、事件が発生するまでのいい旅夢気分なアリスたちのはしゃぎぶりなどが微笑ましく、この前半部分だけでも頬が緩んでしまうのですが、事件が発生してもガイシャや犯人がそれほど身近な人物ではないということもあってか、物語は重くなることはありません。ロジックというよりはトリックを優先させた構図ながら、二人の容疑者のいずれが真犯人かというフーダニットの消去法はスマートで、トリックとロジックの調律具合が短編ということもあってスッキリ決まっているところも好印象。
「瑠璃荘事件」も事件という点ではノートの盗難という些細なものながら、アリバイを検証していくなかでフーダニットを検証していく上での前提となるある事柄に疑義を唱え、犯人の行動を突き詰めていくロジックは明快です。この二編はいずれもそのストレートな結構ゆえにレトロ風味さえ感じさせる風格を持っているのですが、「ハードロック・ラバーズ・オンリー」は敢えてロジックによって真相を突き詰めていく趣向を後退させ、ある人物の奇妙な行動を繙いていくのにその心理面からロジックを構築しつつ、最後に明かされる推測はある種の唐突さをもって語られています。しかしこの一撃めいた帰結から、前半に描かれていたこの人物の醸し出していた雰囲気や挙措を振り返ってみせることで、物語の叙情を増幅させるという、――本格ミステリらしい小説的技巧は、『女王国の城』でも強く感じられたところでもあり、やはりこのあたりは見事というしかありません。
「桜川のオフィーリア」は、死体写真という物騒なブツからある人物の行動と心理を繙いていくという結構で、高尚な言葉でいえば哲学的、キワモノマニア的視点からみれば単なる変態、――といっては身もふたもないお話ながら(爆)、それをオフィーリアというモチーフと結びつけて美しき物語へと昇華させてしまうところが秀逸です。
「蕩尽に関する一考察」は、日常の謎っぽい切り出しかたで、その背後に実は事件が進行していて、――というベタな展開ながら、「四分間では短すぎる」はそうした定番の転化を見事に裏切る展開で見せてくれます。
ふと耳にしたある人物の言葉の真意をワイガヤで推理していく中で、トンデモない事件の端緒を摑むところになり、――という、途中までは日常の謎ではお約束ともいえる展開を見せるのですが、本作のキモは、そうした定番の展開に隠された現代本格の趣向でしょう。『点と線』に関する考察がネチっこく続いたりするところが巧みな伏線となっており、この趣向に気がついてニヤニヤしてしまうこと請け合い。あまりにうますぎるロジックの流れにコレを絡めてスッキリと大風呂敷を畳んでしまう豪腕がスマートに感じられてしまうところにも妙味があります。
「二十世紀的誘拐」は、『犯罪ホロスコープII 三人の女神の問題』の「ガニュメデスの骸」の後だと、どうしてもレトロ風味の方が強く感じられてしまうのですが、盗まれたものの倒錯ぶりと、その動機のひねくれぶりが、犯人の背景と見事な重なりを見せていてキワモノっぽく突き抜けているところが面白い。
「除夜を歩く」は、作中作っぽく素人の犯人当て小説を挿入した結構で、この小説のダメっぷりを指弾するところからはじまり、やがてはそれが本格ミステリの魅力そのものが孕む謎にまで話が膨らんでいく怒濤の展開がイイ。『アンチ怪談であるミステリは対立するどころか両者はある地点で再会する。この二つだけが、死者の想いに手が届くんや』、『殺人事件がミステリの中心的モチーフになることには必然性がある。当たり前に響くやろうけど、被害者が絶対に証言できない、というのが重要なんや』、『名探偵の推理は、殺されて物言えぬ被害者の声を聞くのに等しい』、『それはな、人間の最も切ない想いを推理が慰めるからや』など名台詞がテンコモリの一編で、本格ミステリの中でも特に有栖川ミステリの放つロマンティシズムの魅力を端的に表したもののように感じられるのは自分だけでしょうか。
現代本格的視点で読めば物足りないんじゃないノ? なんてブーたれながら読み進めていったのですが、読了してみれば心地よい読後感にウットリという不思議な一冊で、このロマンが有栖川ミステリの大きな魅力なのだな、と再確認。頭デッカチになった自分のような偏屈マニアにこそ手にとっていただき、本格ミステリの根源的魅力とは何だったのか、ということに思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか。オススメです。