リカーシブル / 米澤 穂信

リカーシブル / 米澤 穂信かなり不思議な小説。何というか、こう、らしくないというか……読んでいる間中ずっと、――いや、読了した今もまだこの小説が米澤穂信という作家が書いたものではないような気がしてならないという意味でも非常に不思議な読後感を残す物語でした。

冒頭から一人称で語られるヒロインと、「弟」であるサトルとの関係がまず奇妙で、「弟」がヒロインのことをずっとカタカナの名前で呼ぶところに読者は違和感を抱くわけですが、それでもミステリを読み慣れた大方の読者は語り手とサトルがどんな関係にあるのかについては察しがつくことでしょう。

しかしその事実はしばらく隠されたまま物語が進んでいくという展開がまた奇妙で、米澤穂信というよりは道尾秀介というか、……そんな感覚を抱きながらもさらにページをめくっていくと、ヒロインの口からやや唐突にこの事実が読者に向けて語られるという結構がこれまた妙にぎこちない。

やがてこの町の伝説と公共事業のキナ臭い話が絡み合い、未来と過去を見通せるという特殊能力の真否と、伝説から現在にいたるまでのタマナヒメの非業の死を謎として物語は俄然ミステリ的な趣を強くしていきます。社会派的なモチーフを伝説と重ねた趣向は半村良の伝奇小説などでもよく見られた趣向ながら、本作の見事なところは、ある人物が行う未来予知の真贋という謎を前面に押し出すことで、伝説の中の死に関わる真実の謎を完全に隠しおおせているところでしょう。

最後の最後、ヒロインにつきつけられたある厳しい現実から、神秘現象の一切を否定してしまう決意が鮮やかで、この反転から未来と過去を見通せるという神秘能力には現実的解が与えられ、そこから隠された真実の謎が浮上してくる結構が秀逸です。ある人物の予知能力は完全に否定されたのに、それとは別の人物のふとした言動と動作が伝説と重なりをみせ、いったん否定された神秘が再び裏返るかたちで幻想へと回帰していく幕引きが美しい。

「うんうん、やはり恩田陸はすごいなあ……って、これ、米澤穂信の小説だっけ」なんて、慌てて表紙を見返してしまったのはナイショですが(爆)、ここでもまた、らしくない雰囲気に眩暈を覚えてしまうことしきり、道尾秀介発、宮部みゆき経由、恩田陸着のようなこの不思議な読後感は、もう少し踏み込んで考えてみれば、実をいうと個人的にはかなりお得な小説ともいえるわけで、道尾小説と宮部ワールド、さらには恩田世界の妙味をイッキに味わうことがてきる小説などそうそうあるものではなく、そうした意味では米澤氏の熱狂的ファンではないけれど、何かまどろみの中で見る夢のような不思議な読後感を醸す物語を所望ということであれば、これはもう、いの一番にオススメできる一冊といえるのではないでしょうか。

ジャケ帯には何故か『ボトルネックの感動ふたたび』という奇妙な惹句があるわけですが、そもそも『生まれたこなければ良かったギャー!』なんて、ジョージ秋山師匠がニンマリしてしまうようなダウナー小説たる『ボトルネック』を「感動」としてしまうところがかなりアレながら、ささやかな希望を添えた幕引きで終わる本作は『ボトルネック』とは対極にある風格で、イヤミスを期待すると爽やかに裏切られるのでご注意のほどを。