ブラックボックス / 篠田 節子

ブラックボックス / 篠田節子大きなイベントも発生せず、ただひたすら長い、――普通であればおそらくツマらないということで切って捨ててしまう風格ながら、敢えてそうしたエンタメ系の結構を忌避したかに見える本作、篠田ワールドのファンであれば、今までの作品に照らし合わせながらいろいろと思うところがあるのではないでしょうか。個人的には確かに長かったものの、読了してみれば、いつもの作者の小説としては定番の、ささやかな希望と登場人物たちの再生を描いた幕引きに大満足、フツーの意味での傑作では決してありませんが、かなり愉しむことができました。

物語は、都会でキャリアウーマンとしてブイブイいわせていた女子が会社のスキャンダルで失墜、逃げるようにして田舎に出戻ってきたものの仕事もなく、結局不法滞在の外国人もいる深夜の野菜工場で働くことに。天候にも左右されない、害虫被害も一切ナシというハイテクを駆使した件の夢工場にはしかし思わぬ落とし穴があって、……という話。

このヒロインに栄養士の幼馴染みや農業男子の二人を絡めて、彼らの奮闘と挫折が描かれていくわけですが、とにかくタイトルにもある通りに『ブラックボックス』化した工場が不気味。会社の人間は誇らしげにその技術を語る一方でできあがった野菜はというと、最初は何やら毒毒しい色の溶液にズバーッと浸したりと、やっていることは隣国の農薬漬け野菜と変わるとこナシというギャップが凄い。もちろんそんなモンを毎日モグモグしていれば当然体に変調が生じるのは必然で、工場で働いている人間にも様々な異変が起こるわけですが、工場側はハイテクにはありがちの、――何か問題が発生すればモグラ叩き式に解決策を提示していく。しかしそれでもまた新たな疑惑が発生し、……ということで、人体の変調の真相についての謎解きが繰り返されていきます。

しかしそうした工場の裏事情を知らない消費者たちは、農薬を使っていないだけで「安心、安全」とはやし立てるあたり、何やら昨今の放射脳とも通じるところもあり、そうした視点から本作の舞台である件の怪しい工場を眺めてみれば、その高度にブラックボックス化された様態や、強権を用いてマスコミの口封じにかかる会社の体質は何やら某電力会社サマを彷彿とさせます。

冒頭からその怪しい工場のブラックな勤務体質などが社会派的な筆致で語られていき、冒頭から外国人労働者の非情な状況などにはかなりの逸話も添えて描かれているのですが、だからといってそうした外国人を酷使している会社側を一方的な悪と断罪するのではなく、そこに男と女の艶事を添えて、人間というものの悲喜劇へと昇華させた手際が素晴らしい。またそうしたひとつひとつのエピソードに登場した人物たちが最後の最後で繋がっていき、希望へと導かれていく構成もいうことなし。

以前の篠田小説であれば、前半は登場人物の逸話の数々を並べてその人となりとを読者にしっかりと印象づけたのち、後半はこの工場でトンデモないことが発生してパニック状況へと一気に盛り上がりを見せるところながら、本作ではそうしたエンタメ小説に期待される展開に流れることはありません。もちろんこれだけの大問題を抱えた工場であればもちろん最後に待っているのが崩壊であることは間違いなく、実際にその通りになるのですが、それが作中の大きなイベントして描かれることはありません。

工場がブラックボックス化されているがゆえの脆弱性を暴き立てるように最後の最後でその様子は語られるものの、あくまでアッサリ風味で、そこに大きなカタルシスはありません。したがって極限的な状況から生み出される人間の修羅やその行動から物語は展開されることはないという風格ゆえ、従来の篠田ワールドに期待されるパニック小説としての趣は薄く、このあたりは評価も分かれるところかもしれません。

強いて旧作から似ているものをあげるとすれば、『夏の災厄』に近いカモしれません。ただ、あそこまでヒーロー不在と登場人物を神の視点からのみ見据えた客観性を最後まで持続しているわけではなく、転落したヒロインが再起を行うラストと、それとは対照的に描かれるある人物の奈落が対蹠される見せ方や、さらには外国人労働者の問題とヒロインたちの希望が最後に繋がり底辺でもがいていた人たちが再生を誓う趣向など、ヒーローになろうとしてもなりきれない一庶民に過ぎない登場人物たちを見つめる作者の優しいまなざしが印象に残る一冊といえます。

かなりの大作でじっくり挑めば読了には時間のかかる一作ながら、腰を据えて読み進めていくことで、登場人物たちの奔走と、それでも底の見えないブラックボックス化された工場の不気味さをよりいっそう堪能できるのではないでしょうか。オススメながら、エンタメ小説として見れば明快な作風では決してないのでそのあたりはご注意のほどを。