第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (3)

第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (2)」の続きです。さて翌日十日は、午後二時から台湾大学で講演がありました。講演のタイトルは「我的作家生涯」で、内容の方は幼年時代の記憶を辿りながら、様々な逸話を織り交ぜて本格ミステリー作家になることを宿命づけられたある秘密などを明かしていくというものでした。そうしたエピソードが、台湾での新刊『涙流れるままに』や『占星術殺人事件』の情景へと繋がっていくという構成で、御大ファンであれば必聴もの。

RICOH GXR + GR LENS A12 50mm F2.5 MACRO

で、実際の講演内容の方は、黒蜘蛛倶楽部がテープ起こしした完全版を「島田荘司+Black Spider Club」の方にあげてくれると思うので、ここではばっさりと割愛し、簡単に聴衆からの質問についてメモしておく程度にとどめておきます。

RICOH GXR + GR LENS A12 28mm F2.5
RICOH GXR + GR LENS A12 28mm F2.5

御大の講話自体はだいたい一時間三十分弱で、質問タイムはそのあと三十分くらいをかけて行われました。ちょっと時間がおしていたこともあって、質問できるのは、三、四人ということで始まった質疑応答ですが、最初の質問者は若い女の子で、質問は二つ。ざっとまとめると、「島田先生の小説の中は海外や日本など、様々な場所が舞台になっているすが、小説の舞台を選ぶのはどのようにしているのでしょうか。まず場所を決めて、ここに事件を起こそうと考えるのか、それともあの場所に赴いたときに、ここを舞台に小説を書こうと考えるのでしょうか」というもの。

RICOH GXR + GR LENS A12 50mm F2.5 MACRO

で、これに対する御大の答えは以下の通り。一応、会場の雰囲気も伝えるためにテープ起こししたものをそのまま掲載しておきます。

つまりどこかの場所に行ったときに物語を構想するか、それとも物語が先で、場所を後から選ぶかですね。あの、それはですね、作品によって違います。ですから必ずそうであると言うことはできませんですね。『ロシア幽霊軍艦』にしても『漱石と倫敦ミイラ』になどはあそこではなくてはいけないわけですね。だからそこで、物語を構想してからそこに取材に行くかどうかです。うーん……だいたいそういうことが多いように思います。それからその場所に行って、ここにこういう物語をつくろうと考えることはあるでしょうが少ないです。

次の質問は「もし街中で読者からサインしてください、と尋ねられたらしてくれますか?」というもので、御大の答えは一言「もちろんします」。「ただ、ペンがなかったりしたらできませんよ」と(笑)。そこで再び話は最初の質問に戻り、御大の話は続きます。

それから先ほどの話はある意味大事なんです。材料ということですね。たとえばそれは場所……舞台になる場所というだけではないんです。たとえば『ロシア幽霊軍艦』というものを生み出す史実もそうですし、それから『ネジ式ザゼツキー』の記憶障害とか、さまざまなDNAや発生生物学の事柄など、あらかじめ材料として頭の中に持っておく方が良いです。その方が様々な物語を構築しやすいですね。何か作品を書こう、あるいは依頼されてから物語を書こう、それから取材に行く、どんな材料があるだろうというのを考えていたら、必ず良い作品も良くない作品もまざってくることになってしまいます。一定量以上高い水準を維持するためには、多くの材料をあらかじめ持っておき、用意をしておくということが大事ですね。

これはおとといね、たまたま台北にやってきてホテルで見ていたら、日本のNHKの番組をやっていました。その中である車のデザイナーが言っていたことなんですけれども、車のデザインの発注を受けてからスケッチを描いていたら駄目なんだと。あらゆる車、あらゆる車の方向性のジャンルのスケッチを数限りなく書いておき、発注が来るまでの準備をしておくんだと言っていました。これも同じですね。

次の質問者も若い女性で、「島田先生は自分の作品に対して偏執的なところはあるでしょうか? たとえば自分の書いた作品の改稿を何度も繰り返したり、あるいは編集者に本の装幀なども含めて様々な注文をつけたりとかといった、こだわりのようなものはありますか?」というもの。これに対する御大の答えは、

それはですね、イエスでありノーなんですね。作品によって不満が残ることがあります。これはもう、いつまでも追いかけていって直すということをしたことがあります。でも今はもう百近い作品を書いてきて、そういうことがあったのは数えるほどですね。これは良い作品を書いていく、あるいは作家を長く続けていくということの”こつ”にも繋がる問題ですけれども、私の場合はある作品が仕上がり、一次出版の本が出たら忘れてしまいます。それは何故かというと……忘れてしまいますというよりも、本が出たらもう読みたくないです。もう数限りなく読んでいるので、ページを開いて読み始めたらうんざりしてしまう、というようなことがある。

それともうひとつは、次々に忘れることです。それが次に良い先品を書く”こつ”なんですね。まあ、自分の作品に対して、そういうような自惚れとかそういうのとは別の話ですよ。筋論として、これは良い傑作ができた、あるいは素晴らしい名作だったな、などと自分で思っていたら、次の作品を書くときの障害に繋がります。作品を書いたらすみやかに忘れることです。

これもまた一人のね、俳優の話を思い出すんですが、ある俳優が、日本人の俳優ですけれども、かなり大きな賞をもらったんですね、テレビに出て、その感想について述べている番組がありました。そのとき彼はこういうことを言ったんですね。「この賞はありがたい。だが明日には忘れて次の稽古に入る」と言いました。これは多分同じ事を言っているんだと思います。

次の質問は男性で、質問は「台湾を舞台に小説を書く予定はありますか。あるとすればそれはいつでしょうか」。

それは最初にやってきた時に書きたいと、そう思いましたよ。それから……思い続けています。どこを舞台にというのは、ちょっと場所の名前は思い出せないんですが、屋台が並んでいたり、住宅が密集している場所でした。そこにね、自動車がぎっきり詰まって停まっているんです。これ大変だろうな、と思いました。停めるのも大変なら出るのも大変だろう。これ、住宅の入り口まで塞いでいるようなところだった。「大丈夫なんですか」と訊いたら、「車関係のトラブルはそれほど多くないんだ」と。車の中に電話番号を書いておいたりして、この電話に連絡をしたら、はいはいと言ってすぐ動かしてくれるんだ、と言っていたような場所がありました。これは大変素晴らしい、住民の智恵だと思いました。こういう場所でハードボイルドなんて面白そうだな、あるいはハードボイルドよりのものが書けそうだなと思ったことがありました。

それから台湾には、高層建築物がありますね。ずいぶん古い、だからずいぶん昔から建っているんだろうと思う、そしてこのベランダが、サンルームに改造されてガラスが嵌まっているものがありますね。これがとても古ぼけていて、いい味が出ています。ここに盆栽が並べられていたりする。雨の日にホテルの部屋の窓から眺めていると、とてもいい感じなんです。あそこに行ってみたいなと思い、サンルームでね、何か事件が起こるというのをイメージしたりしました。

それからその時に旅行をしまして、台中の方へ行って、日月譚を観て、台南へ行って、魚屋で魚の揚げ物を食べたりしました。一番南の方へ行くともう、別の国ですね。インドネシアに行ったような感じがしました。二つの国のような、それが一つのね、この国の中に入っている。そういうありようが大変気に入ったんです。まあ、台湾っていうのは前から好きでしたけれども、それで帰る間中、それはカッパノベルズ――吉敷のシリーズを出しているところの出版社の編集者だったんですけれども、帰る間中、飛行機の中で、それから成田からタクシーに乗ってからも、台湾で新しいシリーズを書くぞ、と宣言したりもしました。そして新しいシリーズキャラクターもつくって、そして東京、台北、北京を結ぶような、壮大な物語が出来たら良いよね、絶対書くぞというふうなことを言いながら帰りました。

この話をした編集者は、名前を言えば東京の編集者なら誰もが知っているような有名な男で、大いに盛り上がっていたんですが、それから何ヶ月かして入院してしまいました。それでその話は立ち消えになってしまいました。ですが、いつか書きたいと思っているんですけどね。

あともう少し質問が残っているのですが、ちょっとこの記事が長くなりすぎたので、次に廻したいと思います。次回は残りの質問の答えについてと、誠品書店でのトークショーについて簡単にまとめてみたいと思います。こうご期待。

第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (4)」に続く。