傑作。アマゾンの内容紹介には「魂を揺さぶるミステリー小説の傑作」とありますが、中心人物の一人である検事の苦悩にイヤミス的なカタルシスを感じてしまった自分はかなりアレ(爆)。「魂を揺さぶる」といっても、感動で涙がチョチョ切れてモー大変!というよりは、表向き硬質な社会派を気取りつつ、実はかなりアレなイヤミスと覚悟して読まれた方が楽しめる逸品です。
物語はいきなりの裁判シーンから始まるのですが、この犯人である<彼>が、次章から始まる本編では誰なのかというフーダニットが大きな眼目であるものの、自分は完全に油断していたのでアッサリ騙されました(爆)。このあたりの貫井小説にも通じる仕掛けは大胆にしてシンプルながら、眉に唾をつけてかかれば案外アッサリと見抜いてしまう方も多いかもしれません。
前半は、キリスト教的倫理観にドップリ漬かったやり手検事と、彼と同級生だった介護会社のモーレツ社員からなる二つの視点の重なりが面白い。検事のキリスト教的考えを偽善と思っているモーレツ社員は、社会の偽善的システムと自らの上昇志向の板挟みにあって奈落へと落ちていくのですが、この堕落にオレオレ詐欺や老人問題など現代世相をしっかりと絡めて展開させている作り込みも盤石です。
やがてこの奈落に堕ちた人物のしでかした事件から、キリスト検事が介護の現場で発生していたとおぼしき連続殺人事件に気がつき、統計的数字から「だけ」でその隠されていた事件の全貌をあぶり出していくのですが、この推理がまたスリリングで、本格ミステリの謎解きとはまた異なる面白さで魅せてくれます。また、検事の視点からなる事件への気づきと、犯人である<彼>の失策からなる事件の発覚とを併走させ、後半の検事対犯人への対決へと流れていく展開もいうことなし。
真犯人が明かされるところには、上に述べた通りの技巧が活かされているのですが、真犯人が発覚したあとの、キリスト検事の「犯人はサイコパスで間違いないッ!」という確信が音を立てて崩れていく展開にはイヤミス的清々しささえ感じられ、さらにはいちいち聖書を引用しながらその偽善ぶりを晒して悦に入っていたキリスト検事が、ついには聖書に書かれた闇を感知し、この真犯人の生き様にキリストを重ねてしまうという逆転の構図が(イヤミス的に)心地よい。
アマゾンの内容紹介には「正義にしがみつく偽善者」なんていう言葉がさらりと書かれていて、……どう読んでもこの偽善者というのは、上にあげたキリスト検事以外には考えられないのですが、このこの検事が「偽善者」と感じるのは、物語に登場する真犯人と、本作のような「魂を揺さぶる」作品であってもイヤミス的感性で愉しんでしまえる邪悪な読者のみであり、フツーの人が読めば、このキリスト検事を「偽善者」と感じることはありえないでは、……と考えると、内容紹介でこの検事をして「正義にしがみつく偽善者」と書いてしまった担当編集者の悪ノリぶりは相当にアレ(爆)。
いったい「魂を揺さぶる」感動作なのか、それとも邪悪なイヤミスなのか、――いうなれば、本作は読む者の感性をはかるリトマス紙ともいえるのではないでしょうか。後半で明かされる仕掛けの驚きも本格ミステリとして貴重ですが、個人的には通奏低音としてのキリスト教的趣向が最後の最後で検事の信念を打ち砕き、一気にイヤミスとしての企みを大爆発させる後半の展開の方に俄然、惹かれてしまいます。まあ、貫井小説で判ってはいたことですが、やはりこの仕掛けとイヤミスは親和性が高いんだなァ、……と会得した次第です。
繰り返しますが、決して「魂を揺さぶる」単純な感動モノではありません。社会派としての重すぎる切っ先を読者の喉元に突きつけ、それでいて本格ミステリ的仕掛けやイヤミス感溢れる後半の反転には軽やかな遊び心さえ感じさせる本作、――作者は一筋縄ではいかない才能の持ち主に違いなく、次の作品を大期待してしまう新人の誕生、といえるのではないでしょうか。オススメです。