届け物はまだ手の中に / 石持 浅海

届け物はまだ手の中に / 石持 浅海 石持氏の新作は倒叙ものとはやや異なる切り口によって、犯行後の出来事に巧妙な誤導を凝らした一編で、自分は素直に騙されました(爆)。物語は、恩師をキ印野郎によって殺害された公務員が積年の恨みを晴らさんと犯行を終えた後、自分を裏切った親友の豪邸にある『届け物』を手にアポなしで突撃するのだが、――という話。

タイトルにもある『届け物』を親友にプレゼントするため周到な準備をしていたはずが、彼の豪邸に歓待されるも、肝心の主はいっこうに姿を現す気配がない。それどころか建物の中では「何か」が起こっているらしく、……というところから、殺人犯が転じて、屋敷の中のホワットダニットを探偵となって推理していくというのが本筋です。

主人公を招き入れた美女たちの企みを、彼女たちのふとした仕草や言葉から推理していく展開は石持ミステリの真骨頂で、疑惑の端緒となる二つの台詞の矛盾から、三人の美女のそれぞれの思惑の違いなどを辿っていく推理の見せ方は期待通り。とはいえ、本作は『扉は閉ざされたまま』のように、犯行発覚の経過にサスペンスを織り交ぜた展開ではなく、犯人でありながら犯行現場とは関係がない場所で探偵行為に及ぶという意想外な設定が面白い。

「探偵」が自らの企みがばれることを恐れているのは当然として、そうした疑心を自覚した上で、周囲の状況をキチンと把握しながら絶妙な気づきを見せていく、――という、パンピーだったら絶対に無理だよねという超常設定は石持ミステリの持ち味ながら、今回は長編といっても結構コンパクトにまとめられた一冊ゆえ、復讐を決意する主人公と親友、さらには恩師の逸話が間章でさらりと語られるのみで、いまひとつ復讐を決意するまでの心の変遷がハッキリとしないところが不満といえば不満、でしょうか。

とはいえ、よくよく考えてみれば、『セリヌンティウスの舟』のキモチ悪すぎる集団心理など、いくら言葉を尽くしてキモチ悪いものはキモチ悪いわけであって、『耳をふさいで夜を走る』の主人公の動機はもとよりその絶倫ぶりにしても、「いいかッ!とにかく勃起なんだよッ!」と言われれば、読者としては、へえその通りでござい、と頭を下げて作者の豪腕に従うよりほかはないわけで、むしろ本作では、主人公のキモチ悪い倫理観を「長編といってもコンパクトだからそのあたりの背景については説明をはしょったヨ」というアリバイによってすっかり覆い隠してしまっている作者の戦略を称えるべきでしょう。

後半はこれまた期待通りの展開ながら、すっかり作者の手のひらの上で踊らされていた自分はちょっと驚いてしまいました。とはいえ、誤導の末の真相については、この奇妙なシンクロはいったい何なのか、はたして言葉を語らずともアレをしたあとはああしようぜ、と申しあわせていたのか、……そうした経緯がいっさい不明であるため、かなりホラー。

これが三津田ミステリであれば、絶対にこの共時性を恐怖へと転換させた幕引きとなるものの、石持ミステリでは登場人物の全員が『当たり前』のこととして受けいれているところが何とも薄気味悪く、それに加えて、石持小説の永遠のテーマともいえる「女は怖い」「女は強い」という強烈なメッセージを添えてジ・エンドとなる本作は、石持ワールドでは、キモチ悪い倫理観はホラー的な要素をも凌駕するということを明確に示した一冊といえるのではないでしょうか。

イヤに明るい幕引きを軽妙と見るか、それともホラーと見るか、――自分は上に述べた通りホラーと受け止めたのですが、「みんなツ! 仲間だよッ!」なんて涙を流しながら『セリヌンティウスの舟』を癒やし系小説として愉しめたセンチメントな女子であれば、また違った感想を持たれるのカモしれません。