ジャケ裏のあらすじは『恋人にふられたイラストレーター能登は、夜の銀座で同じように人生に失望した若い女と知り合った』という書き出しからはじまるんですけど、この能登という人物が出てくるのは八十頁を過ぎたあたりから。それまでは女が交番に大金の落とし物を届けにやってきたり、タクシーに乗り込んだ老人が突然死したり、疑獄事件を匂わす記述が続いたりと、あらすじとはまったく違った物語が進行していくため、あれれと思ってしまうわけですがご心配なく。解説によれば、本作は中編「大東京午前二時」を長編化した作品とのことで、冒頭に能登が登場して云々というのはおそらくこの「大東京」のことではないかと思われます。
本作では長編化にあたって、複数の事件を織り込んだ構図を組みあげており、能登と謎の女の出会いが大きな二つの軸を繋げる役割を果たしています。疑獄事件を背景にした不審死と男性失踪という流れがあり、これに大金消失事件と謎の女との出会いを重ねることで、一人の男性が疑獄事件に巻き込まれていくという展開はやや強引に思えるものの、大金消失を追いかける刑事の視点から、東京砂漠で失恋した男女が出会うシーンに切り替わると、物語はミステリというよりは、通俗的な恋愛小説めいた趣へと流れていきます。
しかし女の自殺未遂が転じて、男が事故に巻き込まれる、――というか、この主人公の男は巻き込まれっぱなしなわけですが(爆)、とにかく目を覚ますとそこは病院で、自殺未遂を予告した女の行方は知れない。彼は服毒自殺を遂げようとした女を救うべく、おぼろげな記憶を頼りに大東京を奔走する、――というのが話の大筋。
ひょんなことから大金消失事件を追いかけていた警察側と捜査をともにすることになり、昨晩の出来事を反芻しながら女の居場所を推理していく中盤以降の展開は、タイムリミットという縛りもあって非常にスリリング。特にネオンサインの錯誤からビルの場所を突き止めていく推理は面白く、さらに後半にいたると、自殺しようとしている女の側から疑獄事件のワルどもも加わり、どちらが先に女を見つけることができるのかとワクワクさせてくれるのですが、最後の最後で肩すかしなどんでん返しが待っています。
肩すかし、――と書きましたが、本作の場合は、この脱力な真相が男たちの奔走を無化し、本作の風格をミステリからロマン小説へと転化する趣向を持たせているところに注目でしょう。サスペンスフルな展開は浄化され、後日談の中で通俗小説的なハッピーエンドとなる幕引きは、草野ワールドならではの昭和っぽい明るさに満ちたもので、悪くありません。
疑獄事件の中で披露されるコロシが最終的に明かされる構図の中には大きく絡んでこないところや、失踪した男性の行方に暗号めいた謎を添えていながらも中途で投げっぱなしを決めてしまうところなど、能登と女の出会いを基軸にした中編に、疑獄事件というもうひとつの縦糸を絡めた結果、全体の結構が緩くなってしまっていることも事実ながら、こうした緩さも昭和っぽいといえばその通りで、不思議と許せてしまうところが草野小説。
傑作か駄作かというゼロサムでの判定しか認めない最近の厳格主義者には噴飯ものの一冊ながら、かつてミステリが軽い読み物としてリーマンに愛されていた昭和の時代を振り返るには、これまた格好のサンプルといえるのではないでしょうか。そういう自分も読んでいる間は結構のグタグタぶりに途中で読むのをやめようかとも考えたのですが(苦笑)、肩すかしの真相から物語が一気に昭和ロマンへと転換する構成は不思議と憎めないというか。草野ミステリのファンというのも少ないかと推察されるものの、濃密な昭和のミステリを堪能したいという方にはさりげなくオススメしておきたいと思います。