そもそもジャケ帯の「退社時刻はみんな揃って17:55。残業なんてしてません」という惹句からして意味不明。もっともオンボロオフィスで日々サービス残業に勤しむ社畜リーマンたちが登場人物というあたりは昭和のリーマンミステリにも通じる設定ながら、主婦のちょっとした告げ口によって今まで和気藹々と社畜仕事をエンジョイしていたオフィスが静かな修羅場に変わっていくという奇妙な味はまさに石持ミステリの真骨頂。
さらには労働基準監督官が調査に来る当日に人死にが発生するという流れがあれば、当然そこから事件の調査へと発展するのが本格ミステリの常道ながら、過労死を疑われるのはヤバいとの発想から、皆でその死体の存在を隠蔽してしまうという社畜心理が恐ろしい。さきほどから社畜社畜とシツこいくらいに繰り返していますが、作中に描かれるリーマンたちは研究職というフツーと少し違う職場ゆえか、彼らにはブラックな会社でこき使われてモー大変といった悲壮感はありません。むしろ過労死が疑われる死体を倉庫にほったらかしにしておいても没問題でいられるという心理が薄気味悪く、このあたりは『セリヌンティウス』を典型とした、斜め上を行く石持ワールドの登場人物の典型ともいえる趣向でみせてくれます。
監督官にバレないよう、死体の隠蔽に奔走、翻弄される彼らの振る舞いがブラックな雰囲気を醸し出しているわけですが、そうした彼らの惑乱ぶりにも絶妙な伏線を凝らして、後半に明かされる物語の転換に活かしているあたりが秀逸で、倒叙ものっぽい展開から一気にロジックを重視した本格ミステリへと流れていく後半は、従来の石持ミステリの風格です。
特に倒叙ものとしてみせていた今までの流れを、探偵役の監督官のある気づきから一気に無化してしまう外連は見事で、そこから伏線回収も交えて精緻な消去法が展開されていくところが素晴らしい。『届け物はまだ手の中に』が読者の思考を先廻りしてシンプルな誤導を極めた作品であったのに比較すると、倒叙ものをベースにして社員たちが隠蔽していた何かを探りあてる探偵の推理という見せ場と、その後の消去法という二つを後半に凝縮した本作の方が、石持ミステリらしいロジックをより濃密に愉しむという点では、初期作のファンにもかなりアピールできるような気がします。
犯人が明かされたあとのシーンも何となーく後味が悪いし、さらにそこへ輪をかけて後日談が添えてあるところなど、石持小説の永遠のテーマである「女は怖い」を際だたせた一冊ながら、本作ではさらに犯人の動機に注目でしょうか。異様な集団内部ならではの『善意』(カギ括弧つき)がその発端であるというところはやはり石持ミステリといえるわけですが、より身近なリーマン・ワールドが物語世界の基盤になっているところや、サービス残業に対する漠然とした慣れの意識など、読者目線からでもその微妙な異様さを実感できるという親切設計にも注目でしょう。
派手さこそないものの、気軽に読み通せるリーマン小説という点で、重厚な傑作ばかりを意識しがちな本格ミステリの作風を、「コンビニ弁当でランチを済ませたあとの気楽な読書タイムや通勤のお供にどうぞ」とばかりに、社畜リーマンの疲れた頭でもさらさらと読みこなせてしまう一冊に仕上げた逸品といえるのではないでしょうか。