幻坂 / 有栖川有栖

幻坂 / 有栖川有栖傑作。非常に明快な怪談物語で、この世ならぬものとの出逢いをアリス式の郷愁叙情溢れる筆致で描き出した逸品をズラリとそろえた一冊で、堪能しました。

収録作は、死の報せに不吉ながらも美しいものを重ねた怪談の様式美が際だつ「清水坂」、作家を目指した二人を穿つ女の死に、男の心情の揺らぎと郷愁が幽玄の再会を引き寄せる「愛染坂」、とある別荘での幽霊騒ぎに、探偵が怪異の存在を前提にした転倒推理が素晴らしい「源聖寺坂」、アリスらしからぬエロをタップリとまぶして、この世ならぬ世界への一線を越えてしまったがゆえの脱怪談式幕引きがおぞけを誘う「口縄坂」。

幽霊との出逢いと感動的な別れを綴った美しすぎる恋愛譚の傑作「真言坂」、幽霊との歴史モンをまじえたまったりトークが極上のセラピーへと転じる「天神坂」、”視える”ひとである演劇バカの、視たくてもみることができないあるものとの邂逅を感動的筆致で綴った「逢坂」、俳人の死にまつわる怪異の出来事「枯野」、これまたアリスらしからぬ重厚な歴史ものでしっかりと締めくくる「夕陽庵」の全九編。

収録されているのは、ジャケ帯にもある通り「ジェントル・ゴーストーストーリー」で、本格ミステリ作家としての作者のファンにはどうかな、――と思ってしまうわけですが、そんな中でもしっかりと本格ミステリらしい仕掛けのキレと転倒が味わえるのが「源聖寺坂」。幽霊が出るという別荘に招かれた者たちの前にある怪異が出現し、それを風変わりな探偵が推理してみせるという流れながら、怪異の存在を前提としたからこその黒幕の存在と隠されていた真相が明かされたときの反転にあっと驚かされるという逸品です。

幽霊が出てくれば、そこには必ず黒幕がいて、結局は幽霊の正体見たり枯れ尾花となるのが本格ミステリ世界での常識ながら、本編では怪異はあるからこそ、その怪異が噂となって広まった所以とそこに隠されたある真相と企みには仕掛けがあるという結構はまさに本格ミステリのソレ。怪談といってもまずは本格ミステリっぽいのが読みたい、なんていう方であれば、まずこの一編から取りかかるというのもアリでしょう。

ジャケ帯にある通りの「ジェントル・ゴーストストーリー」らしい風格をご所望であれば、まずオススメしたいのが「愛染坂」でしょうか。幽霊とくれば舞台が大阪であっても、いや大阪弁の似合うダメ男が主人公となれば(失礼)、やはりその相手となる女が幽霊となるのが定石でしょ、というかんじで、実際「愛染坂」の主人公の野郎も心にねじくれたものを持った輩なのですが、不思議と憎めないというアリスワールドの住人であれば、女幽霊との出逢いが感動ものの結末を迎えるのは期待通り。下りと上りがある坂を舞台に据えた出逢いだからこそ際だつ静かな余韻に浸りたい逸品です。

「逢坂」もまた演劇バカのダメ男なのですが、こちらは”視える”人であるというところがミソ。視えるのに肝心な視たいもの――つまり死んだ女なのですが、これが視えない。で、演劇に打ち込みつつも色々とあって……というところから、いよいよ舞台が始まるのですが、「逢えない」という下地があれば最後に「逢える」ことで怪談としての物語が成立するわけで、本作の幕引きでは一瞬の出逢いと対照させた最後の一文が素晴らしい。

しかしジェントル・ゴースト・ストーリーとしての一番の好みを一編挙げろと言われれば、ここは文句なしに「真言坂」を推したいところです。あの世のものとの一瞬の邂逅を怪談として成立させていた前二編に比較すると、こちらの出逢いは永続的であるところが興味深い。その出逢いがどのようなものなのか、そしてこの世ならぬものとの関係と二人のいきさつについては直接本文にあたってもらうとして、何よりも主人公があるきっかけで、幽霊との別れを告げる美しい幕引きが印象に残ります。

この世ならぬものとの出逢いは一瞬であり、この世とあの世をわかつ一線を踏み越えてしまえば、それは怪談ではなく別の物語へと転じてしまうというのは、怪談読みであればマストアイテムともいえる東雅夫『怪談文芸ハンドブック』の中でも語られていたように記憶しているのですが、「口縄坂」は、さらにそうした禁忌にアリスらしかれぬムフフなエロも添えて愉しませてくれる傑作です。

まずもって娘っ子が淫夢を見るという設定が冴えているし、さらにはそこへ百合も添えてベーゼのシーンまでしっかりと用意されているというサービス精神がとてもイイ(爆)。果たしてヒロインは一線を踏み越えてしまうのかどうか、というラストでファンタジーとして終わるのかと思っていると、ショッカーなものがバーン!と現れて一気にホラーへと転じる落とし方もうまい。

後半二編は、これまたらしからぬ歴史もので文体まで凝りに凝った趣向で見せてくれますが、個人的にはやはり珠玉の「ジェントル・ゴーストストーリー」としての「愛染坂」、「逢坂」、「真言坂」――、なかでも「真言坂」は将来、平成怪談傑作選が編まれるとすれば収録されるのは確実、というか、絶対に外しちゃダメッ、というほどの素晴らしさです。また本格ミステリ的な技巧を凝らした「源聖寺坂」や、エロすぎる「口縄坂」も、「ジェントル・ゴーストストーリー」という趣向からは大いに外れた作品ながら、とても愉しめる逸品ではないでしょうか。郷愁と幻視が際だった『赤い月、廃駅の上に』以上に、正統怪談の骨法に則って書かれた本作、怪談読みであればかなりオススメです。