楽園の蝶 / 柳 広司

楽園の蝶 / 柳 広司『ジョーカー・ゲーム』と時代背景を同じくしながらも、本格ミステリの超絶技巧を駆使した結城中佐シリーズとは異なり、その風合いは非常に淡泊。むしろ本作は映画というモチーフを巧みに活かした虚実の反転を堪能すべき一冊と感じました。偏愛。

物語は、脚本家になりたいボーイが赤狩りの激しい日本を逃れて満州・新京へとたどり着くところから始まります。何とか満州映画協会に潜り込むことに成功した彼は、美人監督からの提案で、現地の中国人とタッグを組んで懐かし探偵小説風味の脚本を仕上げることになるものの、現場では奇妙な幽霊騒ぎがわき起こり――という話。

ミステリで幽霊が出てくれば枯れ尾花という定石を踏襲しつつも、本作におけるこの騒動はいうなれば主人公のボーイを探偵役へと昇格させるための逸話のひとつに過ぎません。彼が探偵役を請け負うことになってからが本筋で、美人監督に甘粕、石井といった怪しい”配役”を活かした陰謀劇が展開されていくわけですが、だからといって甘粕の姿に『ジョーカー・ゲーム』シリーズの結城中佐を重ねてみせるのは御法度で、本作におけるこうした歴史的人物もまた物語という幻の駒に過ぎません。

それゆえに『ジョーカー・ゲーム』のような作風を期待した読者ほど本作の感想はおそらく物足りないというものになるのではと推察されるものの、映画という虚構、満州という虚構、さらには主人公たちが作り上げていく脚本という虚構――こうした虚構を、読者のいる現実世界から眺めたとき、その重層化された二重、三重写しの物語がどう見えるのか――作者の戦略はいうなればこうした虚実を意識した構造に焦点がおかれてい、それゆえに『ジョーカー・ゲーム』のようにエンタメとして物語に浸るといった楽しみ方とはまた違った鑑賞方法が求められているような気がします。

映画というものが虚構であるがゆえのはかないものであることが、登場人物の口から語られるシーンがあるのですが、主人公は満州という現実世界に蠢く陰謀劇の中に投げ込まれるや、自らのよって立つ現実世界と映画という幻世は残酷な反転を見せます。そして幽霊騒動に端を発した満州映画協会での事件の真相が明かれた刹那、逆に虚構として構築された映画は永遠の物語へと昇華される――この幕引きの美しさはエンタメという虚構に浸った『ジョーカー・ゲーム』ではけっして見せることのできない外連でしょう。何となく芦辺ミステリの志にも通じる華麗さで、本格ミステリ的な技巧こそ希薄ではあるものの、重厚さばかりが求められる現代本格において、この淡々と進んでいく物語だから生まれ得た淡い余韻は貴重でしょう。

確かに甘粕、石井という”役者”を揃えたのであればもっと重厚でコッテリした物語を構築することも可能だったはずですが、あえて重層化された虚構とその反転劇に注力し、コンパクトな作品へとまとめあげたことで魅力的な物語にできた――ともいえるわけで、柳ミステリの中でもおそらく『ジョーカー・ゲーム』を期待した読者の評判は今一つであろうと推察されるものの、個人的には偏愛したい一冊です。過剰な期待は禁物ですが、読者自身が『ジョーカー・ゲーム』の軛から逃れることができれば、ほっこりと愉しめるのではないでしょうか。