襲名犯 / 竹吉 優輔

襲名犯 / 竹吉 優輔 第59回江戸川乱歩賞受賞作で、ジャケ帯に東野圭吾曰く「プロなら逃げ出す題材だ」。氏の推薦文が添えられた乱歩賞受賞作というと、覇王の『プリズン・トリック』が頭をよぎり、読む前からトンデモない不安に押しつぶされそうになってしまうわけですが、ある意味そうした悪い予感はモロ的中(爆)。ただ(悪い意味での)逸材というには派手さに乏しく、キワモノマニアが諸手を挙げてダメミスと賞賛するほどのパワーに欠けているところがかなり惜しい。

あらすじはというと、その昔とある地方都市で発生した猟奇殺人事件を模倣したと思しき連続殺人事件が発生。犯人はかつての連続殺人犯『ブージャム』を名乗るも、当のブージャムはというと、死刑執行がなされたあとで地獄に落ちている筈。やがて過去の事件では被害者だつた双子の片割れに、ブージャムを襲名したと嘯く犯人からのメッセージが届き……という話。

これは東野圭吾が選評で述べていることなのですが、「そもそも『ブージャム』というのが殺人鬼のニックネームとして魅力的だろうか」という指摘には自分も完全同意ながら、とはいっても殺人鬼の名前が「ひょっとこ」だろうか「ムーニャン」だろうが、読者も納得のカリスマぶりを作中で発揮してくれればいいわけです。しかし本作の場合、冒頭の死刑執行のシーンからして踏み台が外された瞬間に、件のカリスマ殺人鬼が思い浮かべた言葉が「まあ、いいか」ですから推して知るべし。

しかしこのブージャムの死に際の伝言ならぬ辞世の句が「まあ、いいか」という投げやりな一言であることは意味深で、本作の作風から展開、さらには最後に開陳される事件の構図から真相に到るまでにこの「まあ、いいか」という言葉によって体現される投げやりスピリットを浸透させた透徹ぶり――これはもう、生半可な意志力で成し遂げられることではありません。

実際、カリスマもヘッタクレもないブージャムはもとより、本作の登場人物はこれすべて深みもコクも感じられない上滑りの輩ばかりという作風は、「プロなら逃げ出す」どころか「プロでも書けない」ほどの凄まじさで、主人公であるべき双子の片割れの精神錯乱ぶりにいたっては、「もしかしてこいつがキ印で真犯人なんじゃないノ?」とこちらが心配してしまうほどのアレっぷり。

さらにこうした上っ面だけのキャラの代表格ともいえるのが、この双子のボーイの友人である作家先生で、自作を批判する連中に関しての反論がなかなかに素晴らしいのでさらっと引用しておくと、

「リアリティ! 世界一嫌いな言葉だね。馬鹿は理解できない物をすべてリアリティがないという言葉で片付けたがる」

「日常は極めてリアルだ。ただ、それは自分の尺度でしか測れない。五十年前の人間に今日の日本の新聞を見せてやれよ。こう言うだろうさ。リアリティアがないってさ」

しかしそもそも「五十年前の人間に今日の日本の新聞を見せ」るにしても、いったいどうやって? タイムマシンでもないと無理じゃないノ? っていうか、そもそもそういう突飛な仮定そのものに「リアリティがない」んじゃないのかなァ……と思わず苦笑してしまうわけですが、しかしこの作家先生の詭弁は中盤、ブージャムの妻であるキ印女とのディベートで大いに発揮されることを考えれば、この人物の上滑りもまたある種の伏線ととらえることも可能でしょう。

シーンの折々にブージャムとある人物との交流が描かれ、また犯人の視点からその行為と内心が明かされていくのですが、何しろカリスマ力ゼロの殺人鬼を『襲名』しても、シリーズもの映画のパート2はだいたい悲劇的な駄作で終わるという法則のごとく、師に近づこうと奮闘する二代目のブージャムの行動にはどこか違和感がありまくり。

そもそも襲名といっても、師匠が死んでしまったあとで勝手に二代目を名乗っているわけですから、こういうのって襲名とはちょっと違うんじゃあ……とか、襲名というくらいなら、女の生首でも手に持って「本日は皆様方のお尊顔を拝し奉りまして、恭悦至極に存じ上げますッ! 今日よりさらなる殺人技芸を極め、精進させて戴きたく、皆様方におかれましては二代目ブージャムをどうかお見捨てなきようご贔屓にお引き立て下さいますようよろしくお願い申し立て仕りますぅッ!Im BOOOOOOOJUM!!」みたいな襲名披露口上を熱っぽく語った犯行ビデオを警察や報道各社に送りつけるくらいの剛毅なところを見せてくれないと、こちらとしても今ひとつ引き込まれないところがかなりアレ。

もっともこうした違和感や皮相ぶりは、主人公のノイローゼ一歩手前の惑乱ぶりを晒して読者の苦笑を誘い、「もしかしてこいつが犯人かもよ?」という誤導させる技法にも通じており、これだけをもってして巧拙を判断することはできません。

実際、犯人の視点から描かれるパートで仄めかされていたある趣向がぬるく明かされたあと、本丸の真犯人がついに明かされるところでは「やっぱりコイツが犯人だったか……」という落胆とともに、もしかしたら本作のすべてに皮相的な展開や登場人物の造詣は、これすべて上に引用した「リアリティがない」という批判に対しての作者なりの回答ではないか、――という気がしてくるから不思議なもの。

そもそも作中でカリスマ殺人鬼ブージャムは「ブージャムの異名を持つ日本最大の猟奇殺人犯」というふうに語られているのですが、”こちら側”の読者にしてみれば、津山三十人殺しに宮崎勤などをさしおいて「日本最大の猟奇殺人犯」とはこれまた大きく出たねえ……とここでもまた苦笑してしまうわけで、本作の登場人物たちがこうした歴史上の殺人犯を知らないというのもまた不思議な話。もしかすると、そもそもここに描かれている物語世界は、我々読者がいるこの現実界からは完全に断絶された異世界ではないのか――。

そう考えると、異世界においてはリアリティという言葉の意味合いや本格ミステリの評価軸も大いに異なってくるわけで、「おまえが犯人なんだろ」と指摘された真犯人がヤケクソたらしく「だけどそれは……BOOOOOOOOOO!」なんて絶叫し、「そして、沈黙」という一文でシメてしまう本作のごとき作品が、乱歩賞史上最大傑作!なんて絶賛されている平行世界がこの宇宙のどこかに存在しないとも言い切れない。

個人的には犯人が最後に「だけどそれは……BOOOOOOOOOO!」なんてわめき散らすような作品が今後もまた乱歩賞を受賞するようなことはちょっと考えられない、というか考えたたくないので(爆)、そういう意味で乱歩賞の黒歴史を塗り替えたともいえる本作、「乱歩賞だから価値がある。いや、乱歩賞における黒歴史だから価値がある」といってしまうと身も蓋もありませんが、面白いミステリを読みたいという方には完全スルーを強力にオススメするものの、ダメミスアンテナの感応力が高いキワモノマニアであればまずは必読ともいえる一冊ではないでしょうか。あくまでマニア限定、取扱注意のブツということで。