第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (5)

第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (4)」の続きです。何だか、このシリーズだけで五日を費やしているんですが、今日から取り上げる誠品書店でのトークショーをテープ起こししていたら、これまたえらく長くなりそうなので、陳浩基、冷言、陳嘉振三氏の発言も含めた全文のテープ起こしは、黒蜘蛛倶楽部のメンバーが「島田荘司+Black Spider Club」に挙げるのを期待して、ここからはとりあえず御大の発言だけは全文を取り上げつつ、それに関連した三氏の発言についての説明を簡単にくわえていく、という構成でいきたいと思います。

RICOH GXR + GR LENS A12 50mm F2.5 MACR

ちなみに会場となった誠品書店の信義店は台北101のそばにある大型店舗で、ミステリーだけでなく、世界各国のあらゆるジャンルの本をズラリと取り揃えた、本好きにはタマらない書店であります。で、そんな本屋の一角にオープンなかたちで会場が設えられ、トーク・ショーの声がスピーカーを通して店中に流されている、といったかたちで行われました。

RICOH GXR + GR LENS A12 28mm F2.5

まず最初の質問は、「文学には様々なジャンルがあるが、その中で本格ミステリーを選んだ理由というのは何か」というもので、それに対する御大の答えは以下の通り。

うーん……それは説明がちょっと難しいですね。今となってみれば好きだから、それは確かなんです。しかし本格のミステリというのはあらゆる小説の中で非常に不思議なジャンルなんですね。半分は論文というようなところがある。私は論文を書くのが好きであったというのはあったでしょうね。ちょっと難しい話をしてしまうかもしれませんが、文学の大きな流れというのは自然主義――モーパッサンやゾラのようなありのままに人間を描くという――と本格ミステリーに集約されるようなところがあると思います。

この二つはまったく違うもののように思われていますけれども、実は兄弟のようなところがある。何かといいますと、自然主義というものは、ダーウィンの進化論が登場し、人間も動物の一種である、遺伝の法則の下では囚人も同様であるから、無意味な美化は不必要である。人間をありのままに描こう、というかたちでモーパッサンやゾラなどが登場し、自然主義という文学形態が現れたわけです。本格ミステリーというのもそういうところがありまして、微物収集、血液型、声紋、そういった科学的な捜査方法というのが現れてきて、それまで捜査官が勘に頼って被疑者を捕まえてきて自白を強要して、事件を解決するという方法を否定したわけですね。そしてスコットランドヤードが生まれた。そういうところから出発しているわけです。

それまでアングロサクソン世界には、陪審員裁判という制度がありましたが、そのころ1840年頃、十九世紀の半ばに、陪審員制度というのが充実してくるわけですね。スコットランドヤードの登場、科学的捜査の登場、そしてポーの『モルグ街の殺人』の登場、これらは同時なんです。これも科学の進化の下に生まれ落ちた素晴らしい文学形態であったと思うわけですね。

より科学論文とか科学の知識を必要とする文学形態は、本格ミステリーであったと思います。私はそういう科学、あるいは論文といったものに惹かれていましたのでね、本格ミステリーにより惹かれたというところがありました。

このあと、三氏にそれぞれ「ミステリー小説を読み始めたのはいつか、また創作のきっかけは?」という定番の質問がなされるのですが、この中で冷言氏が「色々なことをやってきて、一番最後まで自分が興味を持つことができたのがミステリーだった」という発言を受けての御大のトークが、

今の三人の発言はそれぞれに共感にできます。時に冷言さんの発言、非常に共感できるところが多かったです。アインシュタインという人がこう言ったんです。「教育というものは、そこで教わった様々な知識をすべて忘れたとき、その人の心に残ったもの、それが教育の成果である。人はそれを使って社会貢献を始めるのだ」というようなことを言いました。多くの小説を読んだとき、いろんなジャンルの小説を読み、一番好きなものとして本格ミステリーが残ったとしたら、それはその人が本格ミステリーに対する資質があったんだろうと、私は思いますね。そしてね、あらゆる不思議な現象、社会に起こる現象というのは、全て「謎―解決」という公式を持った探偵小説だと思うんです。例えば鳥インフルエンザがなぜ香港ばかりから出てくるのか、鴨と豚とアヒルが接近した場所ばかりから鳥インフルエンザが現れるというような事件が起こる。そしてそれを解決していき、その解決の過程を論文に表す。こういう医学者の仕事というのは、探偵の仕事と同じですね。

次の質問は、「ミステリ小説を書く条件として、その小説が好きであるということ以外に何が挙げられるでしょうか」というもので、これに対する御大の答えは以下の通り。

それは難しい質問ですね。それを真剣に答えようとすると、学校の授業みたいになって皆さん退屈かもしれません。本格ミステリーというのは、謎―解決という公式を必ず持っています。不思議な現象が現れる、神秘的な現象、常識では説明できないような現象を表現するものがミステリーです。そしてミステリーをミステリーのままで愉しんでもらおうというのがミステリー小説だと思うんです。これは優越じゃないんですよ。このジャンルでも大変な傑作がある。ブラッドベリイの『十月はたそがれの国』――ミステリー、ファンタジー小説でもあります。これは大変な傑作だと思います。

そういう神秘的な現象を必ず十人のうち、九人までが理解できるような、常識的な説明をして解決をつける、結末にそれがある小説のことを本格のミステリーと呼びますよね。(九割まで解決したような小説のことを……?)いえいえ、そうじゃなくて、百パーセント解決するんです。だけど、その解決に十人のうち十人が納得できるとは限らないですね。しかし十人のうち九人までが納得できるくらい、蓋然性高く説明しなきゃいけない、という意味で言ったんです。

つまり謎が――魅力的な謎があり、最後に解決がある。本格ミステリーというジャンルの小説で解決がないという小説は一つもないんです。つまり本格のミステリーを書くためには大きくわけて二つのものが必要ですね。廻りから、あるいはどこでもいいんです、周囲から不思議なものを発見する力、そしてそれを説明する論文力ですね。

もちろん小説ですから、文学力ですね、いわゆる人間描写といったこういうものも必要ですが、重要度はその二つより下がると思います。つまり本格ミステリーを書くにはその二つが必要だと思います。廻りから不思議なを見つけ出す力、そし論文を書いてそれを解決する力ですね。

こういう作品をたくさん書いていくためには、あらかじめ多くの材料を持っていることが必要かもしれません。これは本格ミステリーに限らず、どんな文学ジャンルにおいても必要なことでしょうね。

ちょっと長くなったので、今回はこのくらいで。これでだいたい三分の一くらいでしょうか。まだまだ続きます。というわけで以下次号。

第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北(6)」に続く。