甘い監獄 / 大石 圭

甘い監獄  / 大石 圭ここ最近のエロさ満点の風格に、今までの大石ワールドではちょっと考えられなかった、いうなれば”らしくない”登場人物たちを配して構築されたエロとホラーの融合が素晴らしい短編集。収録作は、ごくごくフツーの男が被虐心溢れる地味女に惹かれた挙げ句、タマヒュンな煉獄をさまよう超絶ホラー「いじめたくなる女」、パーマ屋の女がヒョンなことから関わることになった奇妙な夫婦の人情小話「愛されすぎた夫」、見合い結婚を果たした夫が妻の不貞を告げ口する手紙に翻弄される「妻への疑念」、美人妻を娶ったメタボ男が、スワッピングを提案する妻に従うままマシュマロ女子とのセックスに挑むことになる「他人の妻、他人の夫」の全四編。

いずれも夫婦をテーマに据えた作品ながら、本作が新機軸といえるのは、まずその登場人物の造詣で、大石小説といえばセレブな、――しかし相当に頭のイカれた男と女というのが相場ながら、本作ではごくごくフツーの、どこにでもいそうな男女がちょっとしたきっかけで大石ワールドの変態世界に誘われるという趣向です。そうした展開をホラー度マックスに仕上げてみせたのが、冒頭を飾る「いじめたくなる女」で、主人公はいやいやながら見合いすることになるものの、今回の見合い相手は地味ながらどこか違う。彼はその女が放つ被虐の芳香に誘われるまま、見合いが終わってからすぐに女をホテルに連れ込み、大石小説では定番のSMシーンへと転がっていくのですが、本作では被虐女によって心の奥底にあるサド心を誘発され、お互いハッピーに、――という、今までの大石小説に期待されるオチには転びません。結婚したあともSM生活は続けられるものの、登場人物の属性を巧妙な伏線として、男としてはかなーり怖い結末が待ち構えています。これはもう、文句なしに大石小説のオチとしては一番怖い(但し、男性に限る)。

続く「愛されすぎた夫」は、これまたモデルなどを顧客に据えたセレブ相手のヘアサロンを目論んだ女性が事業をあえなく失敗、結局地元のパーマ屋へと成り下がったまま細々と営業を続けていたのだけれど、そこへパート募集の張り紙に惹かれてある女が訪ねてきて、――という話。この女が喋り散らす旦那とのオノロケが相当に痛いのですが、やがてそのグータラな旦那がパーマ屋に姿を見せたところから平山ワールドを彷彿とさせる奇妙な変態世界へと物語は変容していきます。平山小説ほど、世界の最底辺の人間模様を活写するようなものではありませんが、どこか哀愁漂う結末はいままでの大石小説の質感とは異なる妙味を感じさせます。

「妻への疑念」は、見合い結婚を果たしたフツー男が、妻への不貞を告発する手紙を受け取り、――という、ミステリでもありそうな展開に、中盤から妻の視点も交えた描写を織り交ぜた結構が面白い。旦那が妻を指弾するシーンに、大石小説でのサンプリングをふんだんに活用したいつものSM描写が流れてジ・エンドかと思いきや、妻の視点でこの手紙の差出人を推理していくなかで、もう一人の異様な人物を物語の表舞台へと浮上させていく構成がいい。さながらメビウスの輪のごとく、旦那の視点から描かれてきた物語が一回りするうちに妻の怨念と憎悪へと転化していくプロセスが見所でしょう。

「いじめたくなる女」と「妻への疑念」がブラックなオチを添えたホラーだとすれば、「他人の妻、他人の夫」は「愛されすぎた夫」と並ぶイイ話。マドンナを娶って浮かれていた主人公の男もいまやメタボの中年へと成り下がり、――と、ここでもセレブ・ワールドを活写してきた大石小説らしからぬ造詣の主人公が出てくるわけですが、妻は四十を過ぎてもスタイル抜群で美人という、まさに大石小説の女性ですのでご安心を。で、この妻が夫婦の倦怠期とメタボ男子へと堕落した夫への不満をさらりと述べたあと、スワッピングを提案してくるのですが、いやいやながらも妻の要求を受け入れてしまう主人公の悲哀がなんともいえません。スワッピングの相手となる向こうの夫婦が、主人公夫婦とは裏返しの、イケメン夫に、マシュマロ妻という組み合わせであるところがミソで、主人公の嫉妬心と躊躇いをないまぜにした内心の描写が素晴らしい。やがてマシュマロ女子とコトを及ぶにいたって、安心の大石SMワールドが展開されるわけですが、スワッピングが終わったあとの、甘くも切ない続きを予感させる幕引きがいい。

従来の大石ワールドではちょっとありえない人物造詣も交えて、よりフツーの人がふつーに愉しめるお話に近づいたともいえる本作ですが、それと同時に絶望的なハッピーエンドを典型とした大石小説の結構と結末にも大きな違いが見られるような気がします。例えば「いじめたくなる女」の、明らかに「オチ」と受け止めることができる壮絶にして静謐な、それでいて精神的にはかなりキている結末などは、いままでの大石小説ではあまり見られなかったものですし、下町人情譚のような幕引きを添えた「愛されすぎた夫」なども、より普通小説に近接した作品といえるのではないでしょうか。

そして「妻への疑念」の、ミステリ的趣向を添えることで、前後半で奇妙な捻れをみせる構成など、短編小説としての技巧が存分に活かされた作風も新機軸だし、「他人の妻、他人の夫」の、異常な行為を通過儀礼のように扱い、登場人物の心の変遷を細やかに描いた作品など、とにかく今までの大石小説の視点から見れば「らしくない」といえるものながら、ふんだんなエロ描写をフックにして大きな変化・変容を遂げた本作、将来は作風の幅を拡げることになった作者の代表作と評価されているような気がします。自分のような作者のファンであれば勿論、案外、「作者の作品はたくさんありすぎてどこから入ったらいいのか分からない」というビギナーにもあっさりとオススメできる一冊といえるのではないでしょうか。