創作の極意と掟 / 筒井康隆

創作の極意と掟 / 筒井康隆そもそもが創作者に向けて書かれた一冊ゆえ、話題になっていながらもスルーしていたのですが、先日の産経新聞に掲載された書評で伊藤氏貫氏が「読み手にとっても役立つ」と勧めているのを眼にして、今回手に取ってみた次第です。結論からいえば、これは大正解。伊藤氏のいうとおり、自分のような創作に興味はなくても、作者の仕掛けや企図を読み解くことで、物語をもっともっとシャブリ尽くしてやろう、――なんてゲスい考えをもっているひとにも必ず満足できること請け合いという素晴らしい内容でした。

目次からして「凄味」や「色気」、「破綻」など、作者も含めた現代の最先端をいく現代小説の技巧に興味があるものであれば、思わず期待してしまう言葉がズラリズラリと並んでいるわけですが、ここに作者の実作をはじめ、東西の名作の引用を行いつつ、こうした表現にはどのような技巧と作者の目論見が隠されているのかをかなり子細に説明してくれているところがイイ。もっとも、実作を引用しながらその技法について語るという内容については、ミステリ読みであればこうしたものの名作・傑作は、例えば巽昌章氏の『論理の蜘蛛の巣の中で』や、福井健太氏の『本格ミステリ鑑賞術』など枚挙に暇がないわけですが、作者自身も「揺蕩」の項目で述べているとおり、「小説家というのは理論家ではないことが多い」という事実を踏まえて、小説家である作者がその技巧について創作を意識してかなり突っ込んだ説明をしているところが本作の見所でしょうか。つまりは『過去の創作』の解析を前提に、『未来の創作』に向けた提言が作者ならではの言葉によって述べられているというところが本作の大きな見所でしょう。

個人的にはやはりミステリ読みとして伊藤氏が指摘していたような「読み手にとっても役立つ」部分、――なかでもミステリの読者として「役立つ」「使える」ところがないかと探してしまうわけですが、ミステリをものにしながらも実験と前衛を至上として現代小説の最先端をひた走る作者ならではの視点というのが、本作にはふんだんに鏤められており、軽く引用してみると、例えば「迫力」について述べた項目では、「小説には迫力がなければならない」としながら、その後に続く文章ではまずミステリ読みの多くが思い浮かべるであろう冒険小説というジャンルについてバッサリと斬っており、

内藤陳を信奉する冒険小説の愛好家やこれから書こうとしている人は眼を吊りあげるかもしれないが、予定調和に終わる冒険小説というものが最も古い小説の形態であり、文学の先端からは最も遠いところにあるジャンルだということくらいは心得ていただきたいものである。その上で今までない冒険小説をと志す人がいるなら、小生にも文句はない。

ここで、ミステリ読みとして興味深いのはやはり作者が文学は先端をいくべきである、という信念を強く持っているところでしょうか。考えてみれば自分が好きな本格ミステリなどは、謎―推理―解決という構造を必然とした、いかにも「予定調和」な文学ジャンルの典型ともいえるわけで、新本格から”こっち”、――現代本格などはそうした構造を周知しつつ、そこからいかに新しい物語を創出していくかの格闘であると考えることも可能だし、またその形式の内部で読者の存在を意識したメタレベルの仕掛けを作中に織り込んでいく貪欲な前衛性などなど、――作者がこの中で述べている技巧を参照しながら、仕掛けや技法を相当に意識して書かれたジャンルである本格ミステリというものを、文学の先端に引き寄せて考えるための素材が本作にはふんだんに盛り込まれています。

先端、前衛、実験とこうした言葉は「かつての」現代本格の中では重んじられてきたはずで(『名探偵の証明』から”こっち”は完全に風向きが変わってしまったという感覚があるので、ここでは敢えて過去形で)、そうした視点からも項目ごとに実作を引用した解説が詳しく述べられている本作の内容は示唆に富むものが多く、必然としての形式・保守と、実験・前衛・先端とのせめぎ合いのなかから新しい物語を創出していく宿命にある本格ミステリというものの未来について、本作は色々と考える機会を与えてくれる一冊といえるのではないでしょうか。最先端の文学にしか興味がない人だけではなく、自分のような本格ミステリ読みでも思わず引き込まれてしまうこと請け合いです。オススメでしょう。