五覚堂の殺人 ~Burning Ship~ / 周木律

五覚堂の殺人 ~Burning Ship~ / 周木律個人的には、現時点でのシリーズ最高作、――というと褒めすぎですが、お馴染みの館に凝らされた仕掛けや伏線など、三作中で一番丸わかりながら、雰囲気も含めて一番好みでしょうか。ネットでの評価をチラ見するにつけメタクソにけなされていたりもするので、まあ、このあたりはあくまで個人的な偏愛というにとどめておきます(爆)。

物語は、例の黒幕に呼び出されたシリーズ探偵が、現在進行中とおぼしき怪しげな館での殺人事件を録画したビデオを見せられる、果たしてその殺人事件の真相は、――という話。かなりバッサリ要約してしまいましたが、狂気の建築家がこしらえた館で、黒幕の人物に操られたものどもが連続殺人に手を染めて、――という明快な展開を本作でもトレースすることで、読者の興味を奇矯な館に隠された仕掛けとそれを用いた殺人事件のハウダニットへと引きつける手際はお馴染みながら、本作では前二作以上にビギナーを意識して設計された館の造形と判りやすく開示された見取図、さらには手慣れたマニアの思考を先読みして、「その通り」の趣向と真相を明かしてみせる親切設計に注目でしょうか。

まず毎回恒例の館の見取り図なのですが、ほとんどの読者はこの館の形を見た時点で、「あ、これはココとこのあたりが動くんじゃないか? 動くといってもこの形からすると、このあたりがこう、回転して……」と思い浮かべること必定で、実際、作者もそのあたりは考えてい、早くも前半で黒幕が「五覚堂。この建物は『回転』します」とあっさりネタバレをカマしてくれます。

もっともここで探偵が(聴衆たる読者を意識してか)優しく「回転? どういうことだ? どこが? どんなふうに?」と問いかけてみせるのですが、ここでは作者の優しさをくみ取って、読者も「どういうことも何も。この形からすればアソコがこういうふうに『回転』するに決まってるんじゃん!」と軽くツッコミを入れてあげるのをお忘れなく。実際、読み進めていくうちに、この『回転』については確信に変わり、探偵の推理もその通りだったわけですが(爆)、――フツーの本格ミステリであれば、ここで「ふざけんな!」と壁に叩きつけるのが定石とはいえ、本作の場合、不思議と腹が立ちませんでした。

それは作者がマニアである読者の思考を先読みし、マニアな読者が考える通りの展開と真相を開示していくことで、いうなれば読者は作者の思考と「共振」しているからではないかと個人的には思うわけですが(苦笑)、……実際、本格ミステリを読み慣れた読者にとっては、読み進めていくごとに、定石、定石、定石の嵐が吹き荒れるお約束づくしの展開にはある種のほほえましささえ感じられます。

マニアからすれば減点要素となりえるイージーすぎる伏線など本作の特色については、少し見方を変えてみることも必要で、たとえば「ぼく、『占星術殺人事件』も『十角館』もまだ読んだことないんです……」なんてモジモジしながら告白をするビギナーの視点から見てみれば、「大いに結構。だったらまずはこの『五覚堂』を基本ドリルとして読んでもらえば、本格ミステリの伏線とかそういったものの使い方はだいたいマスターできるから安心したまえ」と胸を張れる「加点要素」へと昇華されます。

そうした視点から、本作の様々な定石通りの伏線を見渡していくと、たとえば現場が密室状態であることを明かしたすぐあとで現場から「五センチ角の、白いスポンジ」が発見されるのですが、この場に似つかわしくないブツが転がっていれば怪しいと思うのは当然ながら、作者はここで「メンガーのスポンジ」なる本シリーズにふさわしいジャーゴンを添えて読者を煙に巻く「フリ」をしてみせます。ここでは敢えて「フリ」と書いて見せましたが、それも、このあまりに「わかりやすすぎる」伏線の背後に、作者の艶っぽい目配せが感じるからで、ここはやはり問題の「出題者」である作者と、すでにそうした問題が収録された「過去問」や「基本ドリル」をいくつもこなしてきた先輩ともいえる読者としては、「判っている」もの同士、互いに意味ありげな目配せを交わしつつ『十角館』も知らないビギナーが捻りはちまきでこの問題に取り組んでいる姿をあたたかく見守ってあげる、――そんな鷹揚な態度で挑みたいものです。

意味ありげなものについてはジャーゴンによって煙幕を張るという「定石」の技法のほか、「人魂」や「奇妙な物音」などの「怪異現象」をトリックの伏線とする「定石」ももちろん健在で、この人魂に関しても「アレかな……」、そして「ピシッという音についても、もちろんアレがアレするときの音だろ……」と考えていると、実際にその通りのドンピシャな真相を最後の最期に明かしてくれるのですが、もうここまで作者の考えと「共振」してしまうと、むしろその考えが同じであることから作者に奇妙な「親近感」を覚えてしまう、――これこそが作者のマニアに向けて目論みだとすれば、数学のみならず、心理学にも知悉した作者の企みには感嘆するしかありません。いや、褒め殺しではなく、自分は本気でそう感じております(爆)。

メンガーのスポンジのほか、コッホ曲線、ハウスドルフ次元、マンデルブロ集合など難しい言葉がズラリズラリと登場しますが、そうした言葉がチンプンカンプンなボンクラの自分でも、館の見取り図を一瞥しただけで、おおよそのトリックは想起できたくらいですから、このあたりは軽くスルーしても没問題(ただ、「フラクタル」という言葉についてはちょっと注意を払っておくことをオススメします)。

過去の事件と現在の事件が連関をみせ、ある人物の意図と館の構造がそれによって美しい重なりを見せる趣向は、過去作も含めた三作の中ではもっとも美しく、ここである人物の文章に込められた暗号の真意が明かされるのですが、これについても動機の転換とともに事件の構図が反転するところで、「うーん……クラニーだったら、これも二重の暗号にして、もう一つの意味を隠しておくだろうな……」とブーたれていたら、最後の最後でその通りのことをしてくれたことに、またもや作者の思考との「共振」を感じてニンマリしてしまいました。

事件とモチーフの重なりなどすべてを無駄なく配置して余剰を残さない結構が推奨される本格ミステリにおいて、本作は、そうした本格ミステリの主義趣向とはある意味対立するフラクタルというモチーフを扱っているわけですが、探偵の推理によって事件はフラクタルに抗うかのごとく収束し、すべての謎は解明されてしまいます。しかしこれまた最後に、ある人物の口から、過去の事件に関して意外な事実が暴露され、物語そのもは未来の事件へと向けて混沌とした余韻を残して幕となります。このあたりの次作に向けた伏線が巧みで(ここで『だったらトリックの伏線も、もう少し進歩しろや』というマニアのツッコミは慎むべし)、早くもシリーズ第四作を期待してしまいます。

たしかにマニアが眦をつりあげてツッコミを入れるべき箇所は多岐にわたるものの、むしろここはそれを減点要素とするのではなく、作者の思考との「共振」を大いに愉しむべきだと思うのですが、いかがでしょう ――とここまで書きつつ、賛同してもらえないことは判っているのもアレですが(爆)、個人的にはなんだかんだいって買ってしまう、読んでしまう作家の一人であります。次作はこのシリーズではないようですが、タイトルからして篠田節子っぽいお話を期待できそうなので、こちらも手にとってみたいと思います。