「第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北 (7)」の続きです。第二回島田荘司推理小説賞授賞式から、その夜のパーティー、翌日の台湾大学での講演、そして誠品書店でのトーク・ショーと続けてきたレポートも今回が最終回。で、今回も長いので自分のクダらない前口上はこのくらいにして、さっそくいきます。
最初の質問は『再見、雪國』の作者・江成氏からで、これまた質問をするまでの話が長かったりるのですが、ざっくり纏めると、「中国の創作者は小説を書いても自分の生活を維持できない。こういう状況の中で、果たして中国人は華文ミステリを支えていけるのだろうか」というもの。これに対する御大の答えは以下の通り。
そうですね。大きな問題だと思います。中国は十三億四千万人もいます。しかし、富裕層が日本と同じ、日本の人口と同じ、一億五千万も現れていますね。富の分配がうまくいっていないのかもしれない。これはちょっと、ミステリーとは別の問題ですけれども、大きな問題ですね。しかし、いずれは水準は上がってきて全体的に向上すると思っています。そういう時代はそんなに遠くはない、意外に早くやってくるんじゃないかと期待しているんですけれどもね。
これは本当に難しい問題ですよ。イデオロギーの問題とも関係があるかもしれない。平等主義というものが自由競争とどう関わるのかという問題もあるかもしれない。来年秋の党大会とも関係があるかもれしれない。それは簡単には言えないことです。予想するのは大変難しいです。ですが、五十年単位、百年単位で見れば、時代が動いている先は見えていると思っています。
かつてヴィン・ダインが、中国人を登場させてはいけないというようなことを言いました。これは中国人が、魔法を使うようなイメージを持っているからではなく、経済の問題であると思いますね。これは大きな間違いです。ですからそのような意味でも華文に頑張ってほしいというふうに思っているんですけれどもね。しかしまあ、言ってみれば経済が豊かにならなければ、本格のミステリーが生まれにくい、というのはその通りだと思います。
次の質問は、「御手洗はずっと外国にいて石岡君は寂しがっている。御手洗はもう日本に帰ってきて、石岡君と一緒に仕事をしたりはしないんでしょうか」というもの。これはいわば定番の質問で、確か二年前の第一回島田荘司推理小説賞授賞式の後に行われた台湾大学でも講演のときにも、同じ質問があったような気がします。で、これに対する御大の答えは以下の通り。
それは前からよく言われるんです。あの、もう答えるのも大変ですし疲れてきました。こういう質問、久しぶりに受けました。ですからやはり考えなきゃいけないな、と思います。ですが、もしかしてそれは御手洗の才能をね、やはり押さえつける形に繋がるかもしれない。だからまあ、厳しく言えば、石岡君が英語を勉強しないのが悪いんだと思います。
しかしまあ、ちょっと補足的なことを言いますと、先っきミステリーと本格ミステリーの話をしましたが、ある現象をミステリーであると認定するものは何かというと、人間の脳なんですね。ミステリーの本質、二十一世紀ミステリーのメソッドにもかかわるかも知れませんが、今までミステリーを現出しようと思うと、霧を出してきたり、湖のほとりで怪しげな屋敷を出してきたり、黄ばんだ光を出してきたりしましたけれども、そうやって大道具を地面に据えて頑張るよりも、脳のハードをいじる方が早くミステリーは現れるかもしれませんね。
『ネジ式ザゼツキー』などというのはその成果であったわけですけれども、御手洗さんという才能が脳科学の最前線にいるということは、今後も新しいミステリーを彼が支えてくる可能性を持っているということではあるんですね。横浜に帰ってきたらその可能性が途絶えてしまうかもしれません。
次は女性キャラに対する質問で、「レオナや吉敷の妻である通子などはかなりエキセントリックである一方、里美は純真なところがある。こういう女性キャラクターはどのようにして考えるのか」というもの。
判りませんね。ただやってくるんです。ただ、私は小説を書いていますと、女性を尊敬するようになりました。物語を書き進んでいて、これは退屈だな、ちょっと書いているのも疲れるな、と思うと、女性を出してくるんです。そうしますと、勝手に彼女たちが泣いたり、叫んだりして物語を引っ張ってくれるというところがある。
特に変わった女性が好きということはないんですが、今までの自分の人生を考えてみると、確かにあまりおとなしい、まともな女性はいなかったように思います。たとえば私の母親の話をしましょうか。この前亡くなったので、してもいいのではないかと思いますが、料理洗濯がまったく駄目なひとでした。浴室に入ると、洗濯機のうえに洗濯物がピラミッドみたいになっていて、ちょっとも減る気配がありませんでしたし。冷蔵庫を開くと、中に入っていた牛乳はいつも腐っていました。掃除というものをまったくしませんでしたので、キッチンの壁にある換気扇は油汚れの中に埋まってしまっていて、どこにあるのかも判らなくなってしまいました。彼女の部屋に入ると、足下を綿埃がくるくるとダンスをするというようなこともありました。
まあ、決して頭がおかしいひとではなかったんです。歴史が大好きでね、ペン習字をやらせたりなんかすると大変上手でした。しかし、主婦としての才能がゼロであったことだけは確かですね。私は今までたくさんの料理を食べてきたし、多くの人たちがつくる料理を食べましたが、母親の料理より下手な人は見たことがありません。
中でもとくにまずかったのは味噌汁でした。だから私は大学生の時に母親に言って聞かせたものでした。「まあ、そこに座りなさい」と言ってですね、「息子というのは、母親の料理が懐かしくて家に帰ってくるもんなんだよ。もっと気合いを入れて味噌汁をつくってみたらどうでしょうか」という提案をしたんです。そうすると母親が言いました。「よし、今夜の味噌汁をみとれ」と。で、その夜なんですが、その夜に飲ませてもらった味噌汁が一番まずかったです(会場爆笑)。濃くて飲めない、お汁粉のようなありさまでした。気合いが入りすぎて、味噌を入れすぎたんでしょうね。で、さすがに私もこれはまずいとは言えないものですから、悪いけどこれは濃すぎるよ、というふうに言いました。そしたら母親はそばにあったお茶を味噌汁の中に入れました。それで飲めと言ったんですね(会場爆笑)。
全然答えになってなかったかもしれませんが、私の付き合いがあった女性はそんなひとたちばかりでした。だから小説の中で女性を登場させるとすると、頭のおかしいひとばかりが出てくるみたいです。それから探偵役をつくりました時もね、吉敷という人は、女性のために書くつもりで、ハンサムで眼が大きくてというふうに書きました。で、御手洗の方は男性のミステリーマニア向けのつもりで、ちょっと頭のおかしい、偏屈な変人というふうにしました。ついでに頭のおかしいレオナという人を絡ませたりしたんですね。しかし不思議なもので、ハンサムな吉敷の読者は男性が多く、頭のおかしい御手洗とレオナの読者は女性ばかりだったんです。
最後の質問は「小説の中の謎は自然に思いつくものなのか、それとも色々と考えた結果として作り出したものなのか」というもの。これについては、
それは両方あります。ありますけれども、だいたい謎というものは、これはまあストーリー全体もそうなんですが、空から降りてくるというようなかんじですね。謎の風景というようなものが、向こうからやってきます。自分から謎の風景をひねり出したというようなことは、根本的にひねり出したというようなことは、多分ないんじゃないでしょうか。謎をさらに深める、さらに面白くする、という意味で頭を使ったことはありますけれどもね。
で、このトーク・ショーを終えたあと、御大と黒蜘蛛倶楽部のメンバーたちは皇冠のスタッフとともに、タクシーに乗ってジャズ喫茶へ。店の中はこんなかんじで、スタンダードナンバーを演奏していました。何でもこのあとに登場するのは日本からやってきたミュージシャンということだったのですが、さすがに疲れたので自分は退出。帰国となる翌日は、皇冠のスタッフと台北市内の観光を愉しまれたそうです。
最後は、帰国の日、松山空港のモスバーガーで、「島田荘司+Black Spider Club」のサイトについてミーティングをしている御大と黒蜘蛛倶楽部のメンバーを隠し撮りした一枚。
というわけで、「第二回島田荘司推理小説賞レポート in 台北」のシリーズはこれにて終了。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。次回からはフツーの読書日記+雑記に戻ります。それでは、また。