冷たい太陽 / 鯨 統一郎

冷たい太陽 / 鯨 統一郎傑作。『あの手でもなく、この手でもない、前代未聞の誘拐ミステリ! 』と惹句にある通り、まさに全体の結構から細部に至るまで様々な誤導の技巧を凝らして逸品でした。

物語は、娘を誘拐された家族と訳ありに点描される登場人物たちを絡めて、犯人に翻弄される誘拐もの、――と聞けば、誘拐ミステリのキモとして身代金の受け渡し方法という点にまず眼がいってしまうのですが、こちらについては冒頭から伏線というには甘すぎるシーンが連続して描かれており、ほとんどの読者がここにいたるまでにアッサリと見破ってしまうことでしょう。したがって本作のキモはそこではなく、冒頭からいかにも怪しげに描かれているシーンと登場人物たちの関わりに注目で、まずもって感情移入を排した、……というか、そうした内面描写がほとんど描かれていない、小説としては妙に”こなれていない”風格にまず吃驚。もちろんそうしたところは誘拐ものに求められるサスペンスを盛り上げていることに寄与しているのも事実ではあるのですが、この違和感を醸した描き方にもシッカリとした理由があるわけです。

やがて一人の関係者が真打ちの探偵に助けを求めるところから、事件の真相が明かされていくのですが、件の違和感の所在から、本作が安楽椅子探偵ものの変形であることが判明する怒濤の後半部は素晴らしいの一言。意外な犯人像と、それを裏付けるために強調文字で次々と引用されていく伏線部分には完全にヤラれたクチで、まさか「あの手でもなく、この手でもない」といっても、誘拐ミステリに”その手”を使うとは(爆)

上にも述べた文体と作風から醸し出される違和感が本丸の仕掛けを隠蔽しており、このこなれていない文体ゆえに登場人物の台詞から地の文に隠されていた伏線をソレと気取らせないイジワルぶりが素晴らしい。”その手”によって隠蔽されていた事実から明かされる犯人像の意外性は、連城作品のアレに通じるものながら、連城ものでは前後半部の切り替えと、犯人側からの内面描写そのものを巧みな誤導へと転化させてしまうという、――まさに連城マジックの真骨頂を体現した作風から誘拐ものの強度としてはあちらの方が上ながら、本作では後半部で安楽椅子探偵ものとしての隠された結構を明らかにしたあと、文体と風格から醸し出される違和感の真相開示を端緒として、文体の端々に隠されていた細部の違和感を引用も交えて明かしていく推理の流れが堪能できます。

ディテールや登場人物たちの複雑な内面描写を極力排した仕掛けアリの外観が、軽い読み口を実現することにも貢献しており、一切の無駄をそぎ落として全体の構成から細部にいたるまでに誤導の妙技を凝らした物語は、まさに連城のあの作品以降、――誘拐ものの新次元の系譜に連なる傑作といえるのではないでしょうか。オススメです。