傑作。『『神様ゲーム』の神様こと鈴木太郎が復活』とある通りに、冒頭で神様がバッサリと「犯人は○○だよ」とネタバレしてしまうという仰天の展開で幕をあける驚きの連作短編集。収録作は、神様こと鈴木太郎と、物語の語り手を含めた少年探偵団のお披露目作「少年探偵団と神様」、神様が語る”真相”に疑念を抱きながら始めたアリバイ崩しがねじれた事件の構図を明かす「アリバイくずし」、「ダムからの遠い道」、語り手にとっての意外な犯人を明かした神様の真意に翻弄される「バレンタイン昔語り」、すわ神様と霊感少女の対決か、との期待が思わぬ方向へとねじれていく「比土との対決」、神様の消失後に明かされるあるものと企みと隠された真相とは「さよなら神様」の全六篇。
冒頭で傑作、と断言しながら、正直に告白すると、前半の三篇はやや退屈で、「こんなモンかなー……」と思っていたのですが、四篇目の「バレンタイン昔語り」からの急転に思わずのけぞってしまいました(爆)。とはいえ、冒頭の三篇も退屈、凡庸といいつつも、「さよなら神様」までを読了し、あらためて読み返してみれば、あるわあるわ、ある人物に関する不可解な行動がテンコモリ。二度読みでなお作者の企みを愉しめるという趣向は、まさに一冊に収録された物語をイッキ読みできるからともいえます。
本作はまず冒頭の一文で、神様が「犯人は○○だよ」と切りだすところから始まっているため、フーダニットとしての驚きは敢えて退けつつ、――と思わせておいて実はそこにも意外な仕掛けを凝らしてある物語もあったりするわけですが、――基本は神様が指摘した人物のアリバイ崩し、すなわちハウダニットに重心が置かれています。「少年探偵団と神様」は、そうした本作の趣向をもっともストレートなかたちで明示した一篇ながら、神様が犯行に関与していないとムリ、というほどの偶然性に依拠した犯罪の構図がキモ。とはいえ、冒頭で明かされた犯人で落ち着く幕引きは非常に明快で、大きなヒネリはありません。しかしこれは初っぱなだからこそ、もっともストレートであるというだけで、これ以降は、神様が最初に明示する犯人は絶対に間違いないという縛りをつけながらも、巧妙な揺らぎによって真相は時に微妙に、またときに大きくねじれたものとなっていきます。
「アリバイくずし」は、タイトル通りに神様が明かした犯人は本当に件の犯行が可能なのか、――語り手が主導権を握りながら少年探偵団たちが推理を重ねていくという王道の展開をみせながら、一見すると単純な見えた殺人事件が、その周囲に装飾されたある事象によってフーダニットの視点から見ると巧妙なねじれを見せていく後半の展開が秀逸です。この終幕は、ひとえに神様は嘘をつかないという絶対的な前提がありながら、その真相も受け取る側によって事件の構図の見え方は異なり、時に絶対的に見えていた真相さえもが揺らいでしまうことを示しているわけで、このような趣向はこの後もシッカリと継承されていきます。
「ダムからの遠い道」では、ついに語り手のよく知る人物が冒頭でズバリ犯人と指摘され、その意味では前二作よりも語り手の探偵行為はより切実なものとなっています。前の「アリバイくずし」以上に時間を細切れにしてアリバイの成立の可否を検証していくのですが、少年探偵団たちの推理の帰結はどうにも煮え切らないところで終わってしまう。しかしそのあとで思わぬところから、そのトリックと犯行方法を知ってしまった語り手の意識の変化をさらりと描いた幕引きがいい。
そしていよいよフルスロットルで攻めてくる「バレンタイン昔語り」へと至るわけですが、まずもっていきなりアレ系のネタが開陳され、――というか、このテの趣向はまったく意識せずに読んでいたのでまずここでスッカリ魂を抜かれて当惑していると、語り手の過去がさらりと語られていき、フーダニットの趣向を封印して実直に進められていたアリバイ崩しが思わぬ方向へと捻れをみせ、ここで読者は、神様が語る「犯人は○○だよ」という一文をよくよく精査してみれば「犯行方法」や「動機」のみならず「事件」の「背景」さえも語っていないことに気づかされます。語り手の過去語りという時間軸を圧縮した結構が、神様の語る「犯人は○○だよ」というシンプルな言葉では語られていない「背景」があることと見事な重なりを見せる企みも素晴らしい。
本作では神様がフツーの人間とは違うことを知覚できる霊感少女がいることがキモで、前半からこの異分子たる娘ッ子と神様の対決があるであろうことは予想されたわけですが、それが続く「比土との対決」で展開されます。もっともタイトルにある「対決」といっても、実際に神様と霊感少女が直接対決に及べば所詮は人間に過ぎない霊感少女が敗北を喫するのは明らかゆえ、ここでは神様からの神託を疑いつつもその真相の真義を疑う(真相は真相でしかないため、その真義を疑うという言い方もヘンですが)語り手が探偵的行為によって苦い真相へと帰着します。
ここでは神様が絶対性を担保された存在であるがゆえに、その絶対性を利用した現代本格のアレを見ることができるわけですが、この趣向を極限まで推し進めた技法が最後の「さよなら神様」で大爆発。神様が去ったあとの語り手の様子がかなりブラックな筆致で描かれていくのですが、この時間軸の圧縮は、「バレンタイン昔語り」の結構を継承しているようにも見えます。そして「比土との対決」では明かされることのなかった霊感少女の事件の真相が冒頭ではなく、中盤で明かされるのですが、この真相そのものには大きな驚きはありません。しかしその真相の背後に隠された事件の構図を神様は語り手に隠しているわけで、それが最後の最後、「バレンタイン昔語り」から後編から隠されていた全体を俯瞰する形で読者の前に明示されます。
「比土との対決」の中で、語り手と神様が悪魔に関して議論するシーンがあり、ここで語り手は神様のまさに”悪魔的”ともいえる態度から、「じゃあ、君こそが悪魔じゃないのか」と口にします。そこで神様はシレッと「用語は正しく使った方がいい」とはぐらかしているのですが、神様が口にした「犯人は○○だよ」という語りの中にある”犯人”という言葉はもちろん、上にも述べたような事件の”背景”、――ときにはその”背景”そのものこそが事件を引き起こした端緒であり、また”事件”の”本質”であることに気づかされる、……「さよなら神様」の最後で明かされる”真犯人”は、言葉という表層の背後にある事件や物事の”本質”は、それを感知する主体によっていかようにも変わりえることを暗示しているようにも見えるのですが、いかがでしょう。そう考えれば、当然、ここで明かされる真相は相当に苦いものとなるはずで、神様が去ったあとから続くブラックな展開の着地点として幕引きを迎えるのがお約束ではあるものの、最後の最後、「神様ゲーム」の卓袱台返しを彷彿とさせる豪腕で物語は終わります。そしてこの軽やかな意外性に、石持ミステリの永遠のテーマ(?)にも相通じるものを感じてしまったのは自分だけでしょうか(爆)。
本作は相当な癖玉で、ねじれ、ひねり、逆転、――前半の定石を次々と覆していく怒濤の後半は、『神様ゲーム』を読んでいればますます愉しめることは確かですが、神様の絶対性と本シリーズの『お約束』など、いくら言葉で重ねても説得力が増すというものでもないので(苦笑)、「そういうモンなんだ」と納得できるビギナーでも没問題。まさに作者ならではの超絶技巧を堪能したいという読者であれば、まず手に取るべきといえる一冊ではないでしょうか。オススメです。