月刊『PLAYBOY』での連載を収めた一冊。月刊『PLAYBOY』は当時、本屋で見かけて面白そうな記事があればたまに手に取るという程度だったので、この連載もすべてを追いかけていたわけではないのですが、あらためて一冊にまとめられた内容をこうして眺めてみると本当に素晴らしいの一言。取り上げられている”美女”をズラッと挙げると、――本上まなみ、牧瀬里穂、田丸麻紀、内山理名、堀北真希、中山エミリ、辺見えみり、持田香織、中島美嘉、土屋アンナ、水野美紀、相武紗季、岩佐真悠子、関めぐみ、真木よう子、戸田恵梨香、石川亜沙美、小島聖、浅見れいな、坂井真紀、ミムラ、佐藤藍子、酒井美紀、中越典子、優木まおみ、村川絵梨、白石美帆、さとう珠緒、佐藤江梨子、安めぐみ、仲間リサ。
各”美女”のインタビューそれぞれの終わりに、「あの日の印象」と題して、金子達仁がインタビュー当日を振り返った文章が掲載されているのですが、これがいい。『美女という生き方』は月刊『PLAYBOY』の2002年10月号から2009年1月号までに連載されていたコラムで、連載が終わった2009年からはもう月日が経っています。少し昔ともいえるその当時と今を照らし合わせて、各美女の足跡を振り返ったり、あるいはインタビュー当時の出来事を取り上げて美女の時代性や個性に言及してみたり、――金子氏の筆致はあくまで軽くありながら、練達したインタビューアならではの各美女の言葉を真摯に受け止めようとする人柄が感じられます。
“美女”の人選についてはいずれも当時の「時代」を感じさせるもので、個人的には牧瀬里穂や内山理名、田丸麻紀が名前があったりするあたりに、何とも感慨深いものがあるわけですが、今や純白の下着姿を晒して男衆を驚喜させた堀北真希が、『ケータイ刑事』やあの当時の雰囲気そのままにまだあどけない表情で写っている一方、真木よう子などは今と印象がまったく変わらないのが凄かったりというふうに、ホンの少し昔の写真ならではの比較を愉しめるのもタマりません。
しかし女優やアイドルのインタビューとグラビアという内容からすれば、金子達仁に小林紀晴という組み合わせはおおよそ「らしくない」わけですが、この二人が選ばれたいきさつは、小林氏の文章「写真と、金子達仁さんのこと。1」に詳しい。少し引用しておくと、
……結局、その撮影をやらせていただくことにした。別の日に田中さんにお会いした際、私は最初に訊ねた。どうして私なのですか? と。
「小林さんは女性を撮ったことがないと思ったので、あえてお願いしました」
リスクの高いことをするなあ、と単純に驚いた。
「書き手は金子達仁さんにお願いしています。やはり女性をほとんどインタビューしたことも、書いたこともないと思います」
ちなみにこにある”田中さん”というのは月刊『PLAYBOY』の編集長で、小林氏の文章によれば「そこに当時、編集長になったばかりの田中さんから電話がかかってきたのだ」とあることから、この『美女という生き方』は田中氏が編集長になってから企画されたものであることが判ります。で、この逸話で思いだしたのが、今年の六月に参加できた藤原新也のトークショー『藤原新也と表現力』でした。
ここで氏は、『全東洋街道』の連載を始めることになったいきさつを語っていたのですが、――と、このトークショーの感想を書いた記事にはこの逸話については言及していなかったのでここに書いてしまうと、……藤原氏は当時の編集長と現在のソニービルがある一階のバーで待ち合わせをし、そこでまず月刊『PLATBOY』の目玉グラビアである金髪美女のヌード撮影を行いたいという話を持ちかけられたそうです。当時は(というか今でもそうですが)ヌードにはほど遠い、シルクロードやアジアといったイメージの強い自分になぜそんな企画を?――という疑問に対して、『PLAYBOY』の編集長は「そういう仕事をしていない藤原さんだからこやらせてみたい」というようなこと(テープに録音していないので細部は曖昧)を話したといいます。結局、このヌード撮影の仕事は、藤原氏なりのこだわりがアメリカ本部に受け入れられず、ついに実現することはなかったのですが、その代わりにと始められたのが『全東洋街道』の連載であったと――。
この藤原氏にヌード撮影を依頼したといういつさつと、『美女という生き方』の連載に対して「女性をほとんどインタビューしたことのない」金子氏と「女性を撮ったことがない」小林氏に依頼した田中編集長の試みには相通じるものがあるような気がします。藤原氏はこのトークショーの中でこの逸話を語るとともに、「何か賞を獲ったり、その人の本が売れると、最近の出版業界の編集者はその売れたものの上澄みやおこぼれをもらおうとする。昔の編集者は表現者のスタイルをいかに壊して新しいものを引き出してやるかということを考えていた」、「雑誌に勢いのあった昔と違って、今の表現者(特に若者)は可哀想だ」などと嘆いていたのですが、月刊『PLAYBOY』でこの『美女という生き方』の連載がスタートした2002年当時、雑誌にはまだそういう冒険心があったということなのかもしれません。あくまで個人的な感覚ではありますが、確かに最近の雑誌は昔に較べるとどれもツマらなくなったなァ……というカンジはします。実際、昔は結構毎月毎週、あるいは定期的に購入していた雑誌もトンと買わなくなってしまいましたし。
というわけで、美女たちの写真と彼女たちの発言を堪能するのはもちろん、まだ雑誌が熱かったほんの少し前の時代の濃密な空気を感じるのもイイのではないでしょうか。オススメです。