長女たち / 篠田 節子

長女たち / 篠田 節子傑作。電子本になるかナーと思って今の今までずっと買わずにいたのですが、半年を過ぎてもマッタクその傾向が見られないゆえ、遅まきながら購入。相当にヘビーで、三つの短編が収録された一冊ながら、読み終えた今は長編小説を三冊読んだような軽い疲労感に頭がクラクラしています。

収録作は、頭にキちゃったボケ母の介護に翻弄される長女の生き様をエンタメ要素も交えて鮮やかに描き出した「家守娘」、異国の僻地で尊敬していた医者男の後継者たるべく、田舎モンの村人の生活習慣を改めるべく奮起する女の挫折と再生を描いた「ミッション」、糖尿病を患った母親の介護に明け暮れる長女の恐怖と戦慄「ファーストレディー」の全三編。

冒頭の「家守娘」は妹がいる長女が主人公で、勉強のできない妹に比較すれば、自分は仕事もバリバリやっているキャリアウーマンだと思っていたのが、結婚も失敗して実家に出戻りをしたあげく、ボケた母親の介護の負担に息も絶え絶え、――というお話。ここでは主人公と妹という二人の”女”の対比が秀逸で、バカなのに愛想がよい、いかにも男ウケする妹が地元のボンボンとあっさり結婚してしまったのに、自分は離婚。結婚を失敗しても仕事はバリバリやっていたのが母親の介護に時間を取られて、ヒロインは人生の糧だった仕事も辞めなければならないハメに陥るのですが、この挫折の連続が、母親の見る幻覚・幻影によって思わぬ方向へと転んでいく展開が面白い。

全体としては『女たちのジハード』風の味付けがされていて、長女の恋愛エピソードなどもまじえて物語はいかにも小気味よく進んでいくのですが、コレ、もう少し視点を変えたらホラー、否、――ミスディレクションの仕掛けによって明かされるある真相を考えると、もしかしたら怪談としても成立しえる物語なのかもしれません。いかにもフツーの展開に見せながら、最後に意想外な展開と真相開示で読者をおどろかせる技巧がチラチラとうかがえるところも篠田節で、災い転じて再び介護の生活へと立ち戻ってしまう主人公の未来を絶望的に描くのではなく、主人公がもう一花と奮起する予感で締めくくった明るい結末も『ジハード』的で、これはハッピーエンドといってしまっても良いでしょう。

続く「ミッション」は三編の中ではもっともお気に入りの物語で、あることで知り合った大望ある男に憧れ、導かれるまま医者となった主人公が、彼の死地となった異国で非近代的な生活習慣を続ける村人の考え方を改めるべく奮起する、――という物語ながら、その内実は現代を生きる日本人が当たり前と思っている価値観と異文化とを対比させるという、『ゴサインタン』や『弥勒』といった重厚な長編にも通じる篠田ワールドの真骨頂。

「家守娘」のような絶望の中の軽妙さといった風格は希薄ですが、主人公が異国の民に抱いていた先入観が次々と引きはがされ浄化されていくプロセスは、さながらミステリのどんでん返しを彷彿とさせます。価値観の転倒を物語世界の中軸に据えた作品としては、半村良の『妖星伝』のアレにも通じる小気味よい衝撃の連打が心地よい。生きること、健康であるということ、そして死生観など、多分に倫理的・哲学的な主題を扱いながらも物語はイッキに読ませる迫力を持っており、その重厚さはまさに長編一冊にも匹敵し、読んだあとは心地よい疲労感に包まれること請け合いという一編です。傑作でしょう。

最後を飾る「ファーストレディー」は、人間心理の暗黒面をネチっこく描き出したホラーとしても堪能できる恐さがミソで、「家守娘」が幻覚・幻影を怪異と見なせば怪談として読むことができるといった趣向とは異なり、普通小説に見えながらも、主人公を苛む母親の暗い内面がじわじわとにじみ出してくる後半の展開が恐ろしい。「家守娘」では美しい過去が怪異の真相を明かす伏線となっていたのに比較すると、本作では母親の暗い過去が主人公を苛む受難のエクスキューズとなっており、旧世代の女性像を体現した母親の哀しみを読者に共有させてハイオシマイかと思っていたら、そこは篠田小説、そんな生ぬるい終わり方をするはずがありません。最後はゾーッとするような母親の一言と、それに立ち向かう主人公との暗い葛藤が描かれ、当たり前に感じていた”幸せ”ないまの生活から抜け出すヒロインの決意をにおわせるラストで締めくくります。これを逃亡とみるか、それとも名誉ある脱出とみるか、――なかなかに考えさせる幕引きでした。

この「ファーストレディー」は、前の「ミッション」を読んだあとだからこそ、死生観や健康というものに対しての価値観の転倒が容易に行われ、主人公の葛藤がより読者の心に染み渡るという仕掛けになっているゆえ、個人的には短編集とはいえ、「ミッション」を読了したあとで「ファーストレディー」へと進むことをオススメしたいと思います。「家守娘」との対比から見えてくる母娘との関係、”受容”と”拒絶”、――そして「ミッション」との比較によって明かされる健康や死生観の転倒など、三編が一冊にまとめられているからこそ、それぞれの物語世界が共鳴・反響しあい”何か”を訴えかけてくる、――そうした意味でも大変にヘビーな一冊でした。近作ではより顕著になっている文章の密度も相当なもので、短編集というよりは長編を読む覚悟で挑まれた方が良いかと思います。オススメでしょう。