人間の顔は食べづらい / 白井 智之

人間の顔は食べづらい / 白井 智之傑作。あらすじをざっと読んだときにはその設定の突拍子のなさから、ギャグを織り交ぜた軽妙なミステリかと勘違いしてしまったのですが、これは素晴らしい。あまりに無理筋な設定を活かしてここまで見事な本格ミステリに仕上げてしまうとは脱帽です。個人的には今年読んだ新刊の中でもかなりの出来映えで、堪能しました。

物語は、とある病気が蔓延し、肉食不可能となった日本において、自分のクローンだったら食べても良いというムチャクチャな法案が可決。その法案の成立に大きく絡んでいた元政治家の元にクローン肉とともに生首が届けられたことをきっかけに、クローン施設で働いていた男が疑われることになり、……という話。

そもそもクローンをつくりだす目的が肉食のため、という、SFをも突き抜けて、何だかホラーの方に大きく傾いてしまっている人工的な設定からしてムチャクチャなんですけど、そんな物語の筋立てと裏腹に、冒頭では二時間サスペンスドラマ式に陳腐な殺人事件が明かされるという倒錯が面白い。そして物語は、基本的に男性と女性の二人の語りを交錯させながら進んでいくのですが、この男性がとある事件の容疑者にされてしまうところから、冒頭で明示された事件にもチラリと登場していた奇妙な人物が探偵めいた活躍を見せたかと思うと、中盤からは思わぬ方向へと話が転がっていきます。

まずクローンを取り上げたコロシであれば容易に想起される事件の構図を退けるかのように、クローンの存在意義を食肉に据えた趣向が秀逸で、また男性の語り手が巻き込まれる事件でも純然たるコロシが謎となっているわけではなく、クロフツ流というべきか、生首が箱の中に入れられたタイミングはいつだったのか、そしてそれができたのは誰だったのかという点に焦点が当てられていきます。

冒頭に語られた自殺・事故に見せかけた殺人事件を後景に退かせたまま物語が進んでいるように見せておきつつ、後半では意想外な人物が真打ちの探偵となって登場し、傍点付きで第一の殺人とも言うべき冒頭の事件の全貌から、生首事件、そしてクローン施設の爆破事件などなど、様々な謎が一つに繋げられ「真犯人」の姿が明かされる推理だけでも十分に素晴らしいのですが、これだけでは終わりません。

ここで明かされる真相と事件の構図も相当に素晴らしく、仮にこれをホンモノとしても、例えば男性と女性の二人の視点から描かれる結構を基本線としながら、ある事実を読者に明示するためだけに別の視点からあるシーンを描いてみせるフェアプレイにまで目を配った周到さなども大いに評価されるべきなのですが、この推理にもしっかりと穴を用意しておき、ここからすべてをひっくり返すかたちで、クローンをモチーフとして取り上げた戦略とその大風呂敷が明かされる後半はもう最高。

ここでは探偵と犯人が渾然とした形で巧妙な操りが明かされていくのですが、ここで初めて物語世界でクローンが食肉とされていた無理筋な設定が本格ミステリとしての説得力を持つだけでなく、男性と女性という二人の語りから立ち上る奇妙な違和感の所以が繙かれていきます。こうした物語の結構のみならず、同時に生首事件も含めた事件の「見せ方」にまで巧妙な騙りが隠されていたことは想定の範囲内ながら、個人的にはこの真相に着地するまでの過程で描かれていた物語の無理筋な設定すべてが、この仕掛けを成立させることに奉仕していたというその人工性と構築の巧みさには完全に脱帽でありました。

いまチラっとアマゾンでのレビューを覗いたんですが、「感情移入ができなかった」という評価があるのにも大いに納得で、それは本作の真相と事件の構図から当然帰結されるべき感想だということは留意しておくべきでしょう。あまりにムチャクチャな設定とノリから醸し出される雰囲気は、第32回横溝正史ミステリ大賞を受賞した『さあ、地獄へ堕ちよう』の作者に近いのですけれど、こちらの方が本格ミステリとしての技巧と戦略は遙かに上。風俗嬢に施設で働くダメ人間、陰謀劇など、ときに平山ワールドを彷彿とさせる奇妙な世界を展開させながらも、存外に読み口は軽く、それでいて二人の語り手を配して読むものの思考を先読みして、無理筋な設定を見事な仕掛けへと転化させてしまう豪腕ぶりなど、その実力はかなりのもの。正直、その設定の突飛さからあまり期待していなかったのですけれど、これは思わぬ掘り出し物でした。いったい次作はどんな手を使って読者を欺そうとしてくるのか、ちょっと作者の手の内が読めないのですが、期待して待ちたいと思います。オススメ、でしょう。