名探偵の証明 密室館殺人事件 / 市川 哲也

名探偵の証明 密室館殺人事件 / 市川 哲也第23回鮎川哲也賞受賞作を受賞した『名探偵の証明』の作者の新作にして、その続編。鮎川賞受賞作としてはかなりの問題作であった前作と同様、本作も相当に物議を醸しそうな一冊で、本格ミステリとして読めば噴飯物にしてゴミ確定という地雷本ながら、本格ミステリではなく、『名探偵の証明』の続編にして、あるテーマを内包した物語として読めばそれほど腹は立たないというか、――個人的には最後の最期で愉しめました。まあ、逆に言うと、九割方は怒りと苦笑とともに読み進めていったわけで(爆)、このあたりについては後述します。

物語は、トリックメイカーを誇る(?)ミステリ作家の自宅に監禁された男女が、デス・ゲームの参加を強いられ、ミステリ作家がこれから行うコロシのトリックを見破らないと死ぬことになるわヨ、と脅される。果たして彼ら彼女たちの運命は、そして参加者の中の一人である名探偵は彼らの命を救うことができるのか、……という話。

イマドキのミステリ、……というか、角川ホラー文庫でもデス・ゲームネタはないんじゃないノ? と、ダリオ氏の作品を読んできた自分などはこの時点で首を傾げてしまうのですが、監禁された彼らが本格的にこのゲームへの参入を強いられてからは脱力に次ぐ脱力で、メンバーの一人が披露する推理のクダらなさや、唐突に挿入される恋愛ネタとそれに絡めたセラピー推理に思わず悶絶することしきり、途中で読むのをやめてしまうおうかと思ったものの、そこはジッと我慢の子で残り一割(キンドル本なので、ページ数は不明)というところで、現代本格のネタとしてはあまりにアンマリな真相を披露してハイオシマイとなりかけていたところ、後日譚が始まるや雰囲気は一転、前作を読んでいた自分としては、あるモチーフを際だたせて次作へと繋げるこの幕引きにいたって、ようやく本作を最後まで読んでヨカッタと安堵した次第です。

確かに、物語の九割を占める部分で語られるトリックと謎解きはもう、新本格ミステリも知らない、黄金期のミステリ「だけ」しか読んでいない風変わりなビギナーであっても「これはひどい」の一言で本を閉じてしまうのではないかという、小粒感ありまくりというネタの連打が延々と繰り返され、さらには前作の鮎川賞受賞作を「本格ミステリ」として読んでいたフツーのミステリ読みの仏心を逆なでするかのごとく、ミステリネタを並べているところが相当に痛い。このあたりを軽く引用すると、

そのとおりだ。それもこれも、名探偵とやらが本質的には無能だからだ。後手後手の対応しかできないのに、偉ぶっている人種。猫柳十一弦を見習え。

「衝撃の連続だったはずなんスけど、全部ふわ~とやりすごしてるんスよね。あのスルースキルは世界七不思議っスよ。千反田えるちゃんじゃなくても気になりません?」

「すごいっスよ。まるでミステリの宝庫じゃないスか。『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』の日焼けぐあいに古びた感じ、『虚無への供物』なんか幻の塔晶夫名義っスよ。まさか三冊とも初版なんじゃないっスか」

「こっちは江戸川乱歩……クロフツに西尾維新まであるっスよ。国内外の有名どころはコンプリートしてるんじゃないスか。これは血が騒ぐっスね~」

「あ、ほらほら見てください、これ。江戸川乱歩賞の受賞作がコンプリートされてますよ。横溝正史ミステリ大賞にメフィスト賞……あ、鮎川哲也賞も全部そろってるっスね。アタシのオススメは『体育館の殺人』なんスけど、読みました?」

名探偵だからと結べばそれまでだが、『神様ゲーム』の鈴木君ではないのだ。なにかしら論理的な思考の道のりがあったに違いない。

乱歩に『ドグラ・マグラ』、『虚無への供物』といった聖典のみならず、現代モノもさりげなく紛れ込ませているところが、先輩作家に色目を使っているようにも感じられて、読んでいるこちらとしては何だか背中のあたりがムズムズしてしまうのですが、極めつけはコレ。

「……去年の鮎川哲也賞のやつなんか歴代最高のトリックだと思うんスけど、あんま売れてないみたいっスね。そういうのが逆に応援したくなるんスけど」

もちろん、現実世界とこの物語世界が地続きでないことは明らかで、――実際、本作の中でも平行世界なんて妙チキリンな言葉を持ち出して、こうした先輩作家への色目遣いにも取られかねないアレな台詞回しや自作に対する(?)自虐的にして扇情的な物言いに関しては「これはあくまで小説の中だけのお話ですからッ!」というエクスキューズが用意されてはいるものの、相当に不愉快な言葉遣いでダラダラと語られるこうした本格ミステリネタに苛つく読者も少なくないのではと推察されるのですが、いかがでしょう。さらにはだめ押しとばかりに、探偵の口からそのトリックのクダらなさについて「トリックが低水準なのは当たり前です。なぜなら、これは現実なんですから」と語らせてしまう作者の剛胆さにはもう、怒りを通り越して敬服するしかありません。

実際、自分もそうした中の一人であったわけですが、上にも述べた通り、最後の最期、後日譚として語られる残り一割弱の逸話にはかなり心惹かれました、――といっても、これについて賛同いただける読者はかなり少ないのではないかと思われます(爆)。自分の場合、いくら鮎川賞受賞作家の二冊目とはいえ、処女作の風格からして本作を本格ミステリとして読み進めていなかったゆえ、こうした愉しみ方ができたのだと思います。その点について以下、説明します。一応ネタバレを避けるため、ところどころで文字反転していきますが、――

まず後日談の前に本作の探偵によって明かされる真相にも、現代本格としては見るべきところはあって、例えば、物語の開始早々において”犯人”を明かし、その展開をデス・ゲームという鋳型に嵌めたかたちで進めていくことで、読者がフーダニットへと意識を向けることを封じた趣向は秀逸です。もっとも、この「犯人」がゲームの参加者に対して謎解きを行うべきは、トリックメイカーたる「犯人」がどのようなトリックによって犯行をなしえたのかという、「ハウダニット」であると高らかに宣言しているわりには、探偵を含めた参加者達がそうした「犯人」の言葉をガン無視して、参加者同士のミッシングリンクを探しだした挙げ句、ホワイダニットを推理してみたりという甘さが感じられるところはちょっとアレ。

こうした甘さは、犯人の本来の企図を隠蔽するため前面へと押し出された「ハウダニット」においても顕著で、開陳されるコロシのトリックも小粒感だけはハンパないという代物ゆえ、読者を誤導させる要素たりえる「ハウダニット」が甘く、深読みに長けた読者には寧ろ、作品の意図するところはハウダニットとは別のところにあるのでは、……という勘ぐりを許してしまっているところがかなり惜しい。もっとも、こうした作品全体に漂う甘さは、探偵の推理によって、現実世界と小説世界との相違を際だたせ、トリックメイカーたる犯人の凋落という悲劇を演出することで一応、回収されるには回収されているのですが、デスゲームに偽装しているとはいえ、本格ミステリを標榜した事件に没入していた読者にしてみれば、噴飯物であることにはかわりありません。

とはいえ、これが真相のすべてではなく、一応のどんでん返しとして現代本格では定番ともいえるアレを持ち出すことで、この事件の「真犯人」が明かされる、――というのが残りの一割のところで描かれる後日談でありまして、個人的にはこのネタは、前作からの続編として見るとなかなかよくできているのでは、と感心した次第です。

東京創元社のサイトにある本作の説明に曰く、

デビュー作は名探偵の「老い」をテーマに、そして今作では「宿命」に真っ向から挑んだ意欲作といえます。

とあるのですが、自分は前作を『名探偵の証明』というタイトルとは裏腹に、――“名探偵”の物語ではなく、その真相と構図から“ワトソン” の物語として読んだクチで、デス・ゲームという事件の様相ゆえに、ワトソンが不在で進んでいく本格ミステリらしくない本作の趣向にはやや違和感を覚えつつページをめくっていったのですが、最後の最期で語り手がある決意を表明するシーンですべての合点がいった次第です。つまり前作を”ワトソン”の「退場」とすれば、本作は”ワトソン”の「誕生」を描いた物語ともいえる。それと同時に、この後日談で明かされる真犯人はもしかすると、名探偵の”宿敵”にもなりえるのではないか、……そんなことを考えながら、次作はどんなカンジになるのか、と妄想してみるのも一興では、と思うのですがいかがでしょう。

――というフウに、本作は、デス・ゲームに擬態することで、「名探偵」の「宿命」描いた「本格ミステリ」に見えながら、その実、「本格ミステリ」に擬態して、新たなる「ワトソン」の「誕生」を描いた「探偵小説」だったのではないか、というのが自分の感想でありまして、……作者本人がそこまで考えて自分のようなひねくれた読者をこの結末に導いてくれたのか、それともこうした読み方そのものが作者の企図からはまったく外れたもので自分の妄想に過ぎないかはこの際おくとしても(爆)、東京創元社からリリースされた鮎川賞受賞作家の第二作であり、さらには出版社の作品紹介ページにおいても『探偵の「宿命」に真っ向から挑んだ意欲作」なんて書かれているものですから、お人好しの読者はすっかり出版社に欺されて、本作を正統な「本格ミステリ」として読んでしまうこと必定という問題作ながら、上にも引用した通り、作者が登場人物の口をかりて、「アタシのオススメは『体育館の殺人』なんスけど」と述べているとおり、そのようなフツーの本格ミステリが読みたい読者は、四の五の言わずに、青崎有吾だけを読んでおけ、ということなのでしょう。

そんなわけで、トリック、謎解き、真相の低水準ぶりに対する怒りや落胆とは裏腹に、「探偵」小説ならではのモチーフと続編ならではの幕引きにモヤモヤしつつも納得してしまうという、不思議な読後感を味わうことが出来た本作、前作『名探偵の証明』には怒りと落胆しかない、あんなもモノは本格ミステリじゃない、と断じてしまえる読者ではあれば取扱注意というか手に取らない方が賢明でしょう。ただ、自分のように『名探偵の証明』を東京創元社が明示した取扱説明書とは異なる読み方をして意外と愉しめた、という方であれば、もしすると本作も同様に愉しめるかもしれません。次作はかなり不安、……なんですが(爆)、暇があればまた手に取るカモしれません。