成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その2

前回のエントリである「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その1」の続きです。

SONY DSC-RX1, ISO4000, f4 ,SS1/80
SONY DSC-RX1, ISO4000, f4 ,SS1/80

藤井: あの、『幻肢』を観ていただいた方だったら、あ、こういうスタートだよなと思ったりとか、いろんなことを思うと思うんですけど、これはかなり小説的にプロットっていうものを書きます。映画というのはト書きと言われる事実の列挙ってことがすごくメインにはなってくるんですけど、小説ではここまで……小説のように先生と一緒に書いていくってことで、やはり先生が書いて下さるところというのは、本当に細かくて、自分の中で検証しないと書けないようなところを、先生のアイディアで書けるようになったっていうところがすごく多かったです。

あとこれはちょっと一ネタあるんですけど、主人公は神原雅人とという名前でございます。この友人役で亀井という人間が出てくるんですけども、このプロットを見ていただくと、亀井という人間はまったく出てきません。この友人の亀井の役の名前は最初は酒井だったんですね。で、なぜ酒井から亀井に変わったのかっていうのを、勘が良い方だとちょっと……もしかしてそうなのかな、と思ってしまうかもしれないんですけど、この脚本を書いてた時期が2013年の9月か10月……いや、もうちょっと前ですかね。その当時、『半沢直樹』がすごく流行っていた時期で、僕もすごく見ていて、雅人、神原雅人という名前は決まってはいたんですけれども、亀井になる前にその酒井というのは、多分完全に無意識の中で僕が友人役で書いていたんですけれども、堺雅人になっちゃうってことでなしになりました。これで亀井という名前になったという、ちょっと……はい、小さなエピソードがございます。

で、その中で『幻肢』というものの改稿を経て、十五回くらい台本の方はなおして執筆に入ったんですけれども、その中で執筆っていうのはどういうふうにやっていくかっていうと、まずは一稿(?)というものを僕がシーン1からシーン100まで、シーン120まで、120分のストーリーを……本当はもっと書くんですけれども、今回『幻肢』という映画をご覧になっていただいた方には判ると思うんですけれども、まずは佐野史郎さんの冒頭の独白から映画が始まります。幻肢とはどういうものなんだろうかという説明を佐野史郎さんが行うというシーンがあるんですけれども、そこは相当大幅にカットして十分くらいの尺なんですけれども、本来は十五分以上、台本にありました。そこにTMSとはどういうものかっていうのをすごくこう、細かく書いてくださったのが島田先生で、そこはそのまままるまる台本に使いました。

で、そこ以外の、まずはそのヒロインと主人公やりとりだったりとか、ドラマのものとかっていうのをどんどん書きなおして八稿くらいでだいたい台本の方向性っていうのが定まるんですけれども、そこから十稿ぐらいまでいくにあたって季節が変わっていっちゃうんですね。最初は十一月くらい。紅葉のシーズンがいいんじゃないかということで本を書いたんですけれども、そのときにどんどんどんどん枯れ葉が落ちてしまって、撮影が十二月のちょうど今ごろに撮影をしていたんですけれど、そういうことでどんどん台本を変えたりとか、あとキャストさんが決まっていくうちにどんどんどんどん台詞回しをキャストさんに合わせて変えてったりとか、そういうものをやってついに完成したのが約十五稿くらいで、台本というものが完成いたしました。

で、次ですね。キャスティングというところに今回は触れさせてていただきたいなと思うんですけども、まずは主演を務めたのが新人の吉木遼君という俳優でごさいました。吉木君と僕は年齢は二こ違いですね。彼は八十八年生まれで、僕が八十六年なので、とても年が近くて。彼の舞台を見ていたことがあって、彼のショートフィルムも見ていたりしたことがあって、キャスティングの際に、吉木君に主演が決まったときに僕はすごく(彼の故ことを)知っていたので、吉木君か、って言って、凄くそこで喜んだことを覚えています。で、吉木君はそのときに商業映画の主演が初めてだったので、僕のちっちゃな事務所に吉木君を呼んで一ヶ月間くらい、一緒に芝居の稽古をしました。で、台本にもこれは医学生の役なので、台本にはすごく医療用語が多いんですね。なのでそれにたいしてどういうふうに吉木君が役に落とし込めるかっていうところを、週に一回、二回、一緒に会って、芝居の稽古をするというのがすごく多かったです。

で、ヒロインの谷村美月さん。谷村美月さんは、皆さんご存じだと思うんですけれども、本当に子役の時代から、僕はかなり役の彼女が大好きで、谷村美月さんに決まったときは、とてもおどろき、そして喜びました。今回の映画のなかでも谷村さんの表情がすごく吉木君の表情といろんなことの化学反応を起こしていてですね、すごく……僕の中の満足といえるキャスティングで……谷村さん素晴らしかったです。

そして佐野さん。佐野史郎さんはデビュー作の『オー!ファーザー』という映画を一緒につくらせていただきました。その時には学者の父という役を佐野さんにお願いして。そしたらですね、佐野さん、ここはエピソードあるんですけれども、『オー!ファーザー』というのは、母親がいっさい出てこない映画なんですね。で、四人の父親が高校生の男の子を育てるという映画なんですけれども、顔合わせをしたときに、佐野さんが「もしかしたらこの母親はもう死んでいるんじゃないか。それでこの四人の父親たちでひた隠しにして一人の高校生を育てているんじゃないか」っていうことを提唱しはじめて、現場が大変混乱になったって言う、過去があるんですけれども。そのときにもみんなで「違うって、違うって」って言って。佐野さんはクランクアップしても、ずーっとそれを言ってたときに、この『幻肢』のキャスティングがあったんですね。で、佐野さん、そういう……なんていうんですかね、心霊現象とかそういうものに、すごく興味があって、一回しゃべり出すと、本当に撮影が押すくらいとまらない方なんです。なので、すごくいいのではないかと。皆さんに提案させていだいて。佐野さんには快く出て頂いて、本当に僕の中でも嬉しい経験でした。

あとは宮川一朗太さん。僕と同じ歳の遠藤雄弥君と、本当にメインで出てくる……あとはさつきさんという方。映画は初めてのさつきさんという方。計、本当にメインは六人くらいしか出てこない映画なんですけれども、すごくみなさん仲良く、楽しくできました。で、この『幻肢』という映画はすごく短い期間でつくられた映画なんですけれども、自分の中ではすごく思い入れのある、いろんな……撮影監督でしたら、照明監督、そして録音、音楽、すべて自分が2011年に映画を撮ったときからずーっと同じスタッフでやってた人たちと今回この『幻肢』という映画を撮れた。これって本当に実はすごく珍しいことで、映画をつくるときっていうのは、若手の監督が現場に行くと、まあ、撮影監督とか、照明、もちろん美術だったり、いろんなものっていうのが決まっていることが多いんですね。このスタッフでいきましょうってところに監督として入るってことがすごく多いんですけれども、今回やるにあたって、プロデューサーに是非自分の今までやってきたスタッフでやらせてほしいということを言って、今回は自分たちのスタッフでやることができました。これはすごく僕の中では大きなことではございます。

で、キャスティングが無事に決まってから、映画の中ではそれと同時並行で助監督さんがスケジュールを切ったりとか、ロケ地を探したりとか、いろんなことをします。で、この右下に(スクリーンの右下を示しながら)……これは助監督ですね。助監督が実際にTMSを受けている状態ね。TMSっていうのは、実際、これは鬱病の患者さんたちじゃないと受けちゃいけないとか、まあ、そこまで大きな決まりはなかったと思うんですけれども、あまり、ふらっと行ってやってくれるものではないんですけど、今回ちょっと撮影のために、彼には実験台になっていただいて、磁気刺激を頭に受けていただいたんですけれども、こういうのをロケハンとキャスティングと同時並行でやりました。

で、今回この予算と撮影日数もないところで、自分の母校――日大芸術学部というところをですね、主人公の雅人が通っている医大の教室に見立てて撮影をしたりとか、いろいろな試行錯誤をしながらやったんですけれども、これも映画を見ていただいた方にはちょっと判る部分なんですけれども、おっきな石が出てくるシーンが真ん中の方にあるんですね。

これは主人公の二人の思い出のシーンとして出てくるけれども、実は、これは裏話をしてしまうと、石になったのは撮影の一週間くらい前ですね。一週間前、十日前くらいに石になりました。その理由は――ここのシーンは、また別のシーンで林檎が出てきたのを覚えてらっしゃる方もいらっしゃると思うんですけれども、本当は、二人の思い出の場所は石がある場所ではなくて、林檎園なんですよ。ただ、林檎が思ったよりこのシーズンは枯れるのが早くて、林檎園にロケハンにいったら、林檎はおろか葉っぱが一枚も生えてなかったっていうので、これはどうしようってことで島田先生に相談をしながら、ロケハンに行きました。

この右上の写真のような場所に何度も何度もあたって、これは自分の中で色々と調べたところで、やはり雷が石に落ちると磁気を帯びるとか、そういうことが昔の幽霊話であるとかっていうのを色々いろいろ調べた中でこういう仮説だったらどうですか、っていうのを先生と一緒に決めながら、考えながら、脚本として起こしていきました。で、ロケハンから撮影までで何が一番大変かっていうと、ロケ地を決めるってことと、それをスケジュールにはめるっていうことが一番大変で、雨があったり、その撮影を……どうしても撮らなきゃ行けないのに撮れないとか、まああとは、ロケ地がこの時間しか使えないとか、そこは朝のシーンを撮りたいのに夜しか使えない、とか。そういう交渉っていうのを制作部と呼ばれる方々と演出部と呼ばれる方々と、撮影、照明、みんなでバスに乗って、ロケ地をいっこいっこ交渉したりとか、観に行くっていうのに、撮影一ヶ月前ぐらいまでずっとそれに追われてて、その作業をしながら脚本を修正していくっていうことが、すごく多かったですね(「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その3」に続く)。

 

  1. 成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その1
  2. 成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その2
  3. 成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その3
  4. 成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第二回「映画『幻肢』が完成するまで」@成城大学 その4