第6回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞優秀作。「瀬戸内のある軍港都市で起こった女性連続殺人事件。被害者には能面が被せられていた」という簡単なあらすじ紹介と、作者が女性であることから、なんとなーく流麗な筆致で描かれた古き良き探偵小説の香り漂う物語をイメージしてしまうのですが、さにあらず。ジャケ帯に『審査員刮目の「動機」が物語を一変させる傑作』とある通りに事件の背景とその曰くまでを含めれば、決して”心地良い”小説ではないので、そのあたりは取扱注意カモしれません。
物語は、戦後まもなくある目的で瀬戸内海の軍港都市を訪れたボーイが女性連続殺人事件に巻き込まれる。はたして被害者の顔には能面がかぶせられてい、どうやらそれは新古今和歌集の歌をモチーフにした見立て殺人らしい。この和歌の通りに犯人が犯行を起こしているとすれば、次なる彼の標的はあきらかで……。果たして彼とメリケン技師の探偵は事件を防ぐことができるのか、――という話。
和歌に見立てた連続殺人事件というところから、御大も選評で述べているとおり、どうしても横溝をはじめとした昔の探偵小説を思いだしてしまうわけですが、実際戦後まもなくという物語の舞台や、鷹揚に過ぎる展開から、一昔どころか二昔まえの雰囲気がムンムンに漂う風格は、ここ最近の技巧を凝らした現代本格を読み慣れている読者にとってはある種の読みにくささえ感じさせるカモしれません、――っていうか、自分がまさにそうだったのですが(爆)。
実際、物語の前半ではしっかりと人死にが起きているのになかなか物語が進まず、探偵役のガイジンさんが登場したあとも、ワトソン役をその場の雰囲気で押しつけられた主人公のボーイとともに事件関係者の聞き込みを延々と繰り返すばかりで、このあたりの読者に忍耐を強いる展開は近年の作品のなかではかなり珍しい部類のような気もします。個人的にはこうした展開の鈍さや、御大が選評で述べているとおりの前半部の展開における「どうにも標準的、平均的、すなわち平凡である」ところはアンマリ好みではないのですが、ここはジッと我慢の子でページをめくり、ついに和歌をなぞった第三の事件が発生したあたりから、ようやく物語の展開は速度をあげていきます。
実を言うと、和歌をなぞった見立て殺人という明快さの背後には複数の人物が入り乱れた構図が隠されてい、真の事件の構図の了解については一筋縄ではいきません。最後の最期に犯人が「穴だらけの事件を上手に取り繕って」と述べているとおりに、それぞれの思惑とそれぞれの「動機」が交錯しているため、この全体像が探偵の口から明かされても、上質な本格ミステリが見せてくれるおどろきや外連は薄く、どうにもモヤモヤした感覚が残るばかりなのですが、それでも本作を「焼け跡」の戦後という時代背景から俯瞰すると、作者が企図したものかどうかは不明なのですが、そこには本格ミステリでしか書き得ない人間の業と悲哀が描かれているように感じ、自分は最後の最期でこの作品の評価を完全に改めた次第です。
このあたりはネタバレになるので、ところどころに文字反転を入れて書いていくつもりですが、まず「戦後」とはいえ、それが敗戦というかたちで登場人物たちすべての人生を一変させてしまった事実に留意しておくべきで、こうした時代背景を描きつつ、また事件に能面や新古今和歌集などの見立てを駆使した古き良き探偵小説のモチーフをふんだんに凝らした作品世界を構築していながらも、大横溝の作品群と大きく異なるのは、やはり本作における探偵役の出自でしょう。
造船所の技師という彼は、軍から内密に捜査依頼を受けて、――いうなれば軍の任務として件の殺人事件に関わることになるわけですが、第二の事件の目撃者となったがために巻き込まれるかたちでワトソン役を引き受けることになってしまった主人公のボーイとは、その事件に関わることになった目的が大きく異なります。主人公がこの事件の舞台にやってきたのには多分に個人的な、そしてナイーブな目的があるわけですが、「公」の立場として事件に関わることになった探偵と、「極私」的な立場から事件に巻き込まれたワトソンとの相克した関係は決して表面では語られることなく、物語は上に述べたとおりに緩慢に進んでいきます。
見立ての連続殺人事件に見えたものが、「穴だらけの事件」で、そうした背景を知るものが「上手に取り繕っ」た結果として連続殺人事件に見えていたという、――不連続性の背後にあった操りが明かされる犯人と探偵の対決が個人的には一番の見所で、ここでは先の戦争という惨禍の体験を背負った犯人が、大上段から探偵を告発するシーンが描かれています。まさに本作のタイトルが明示する「焼け跡」を舞台とした事件であるからこそ、その「焼け跡」という事件の舞台をつくりだした「探偵」の側が「犯人」によって告発される、――この転倒には息をのみました。もっとも探偵とは相克するべき存在である我々(こちら側)から、探偵もまた「闇」を抱えていたということが語られ、彼の存在ですら「闇に繋がる非人道的な記憶の上に成り立っている」と明かされるのですが、――ここはあくまで個人的な感想ではあるものの、物語を最後まで読了した限りにおいて、探偵の側にそうした「闇」はマッタク感じられませんでした。
これが作者の筆の巧拙によるものなのか、意図的なものなのかは不明なのですが、例えば犯人がなぜ死体に死に化粧をしたかの推理を披露し(280p)、探偵がそのホワイダニットを明かしながらもさりげなく犯人を告発する場面において「(一応伏せ字)アメリカ人の全てが……心から……そう、思っているわけじゃない」と「感情を極力抑え、初めて本心を口にした」シーンなどはむしろイラっさせられてくらいで(苦笑)。これもまた個人的希望ではありますが、むしろ次作ではマンザナールのキャンプを舞台にした彼の過去を是非とも描いてもらいたい、そして彼の本心と苦悩を作者には描ききってもらいたいと感じた次第です(というか、むしろそうした読者の期待を鑑みて、本作では彼のことについてサラッと流しているだけなのカモしれません。シリーズ探偵ということを考えれば、当然そうなるでしょう)。
上にも述べたとおり、本作における事件の構図にはさまざまな人物たちの思惑と行動が入り乱れているため明快な絵図は描けていないのですが、「焼け跡」という舞台を考えれば、やはり第一の殺人発生のきっかけをつくってしまった被害者とのやりとりに隠された動機はかなり痛烈で、作中に描かれた「焼け跡」から見事な復興を果たし、そしていま再び311を経て「こちら側」の世界に生きている我々は、この「犯人」について様々な思いを巡らさずにいられないはずで、――たとえばこのテーマを真っ正面から描いてみせたものは、(一応伏せ字)こうの史代の作品など枚挙に暇がないわけですが、本作ではそうした深刻なモチーフもまた「戦後」の「焼け跡」という大きな絵図の中に呑み込まれてしまい、この「犯人」の個人的な事情は遙か後方に退けられ、能面や死に化粧によって過剰に装飾された事件の舞台においても明るいスポットライトを浴びることはありません。
それとは対照的に、この第一の殺人から第二の殺人へと至るまでに、事件の構図に織り込まれることになってしまったある人物の、多分に卑俗的な動機についても「焼け跡」という舞台が大きく関わってい、この人物は事件をきっかけに「天命」にも似た動機を得て、生きるための目的を見出すという、――原因となりえる動機と結果としての事件が転倒した構図は秀逸で、これがまた主人公をも巻き込んだ操りの構図の開示を経て、ある人物の手記からふたたび物語は主人公であるワトソンへと回帰としていく結構が見事です。
エピローグ的に明かされる過去の事件の真相は、探偵と犯人の対話とともに手記の中でもその奸計の真意が明かされるのですが、かように悲壮な背景に彩られた物語のなかでも、上にも述べた「探偵」というよりは「探偵”側”」の人物たちへの犯人の告発を経て明かされる操りに対して、主人公が「全てを知っても不思議に不快な気分ではなかった」ことが大きな救いでもあり、「天真爛漫、遠く眩しい夏」によって幕となる読後感は存外に爽やかです。
たしかに人工的な結構を至上とする本格ミステリとしては、「穴だらけの事件」を「上手に取り繕っ」た構図を描いたがゆえに、本格ミステリとしてはいささか物足りない外観を持ちつつも、「焼け跡」を舞台にした本格ミステリだからこそ、「探偵」の立ち位置やその背景について様々な思いを巡らせることになるという本作、――個人的には傑作とも佳作とも評価できず、また問題作とするにはあまり物語に描かれている背景が大きすぎるゆえに、生半可な見方ではとらえることのできないという、……なんとも一筋縄ではいかない一冊でありました。いや、もちろん和歌や能面の見立てなどの本格ミステリ感溢れるガジェットを無邪気に愉しむのも読者の自由なわけですが、……うーん、どうなんでしょう。作者がどれだけの覚悟をもってこの物語を描いたのか、その点については次作を読んで確かめたいと思います。
それと物語とはマッタク関係ないんですが、作中でいきなり「カメラ。ツァイス・イコンだ。すごいな、どうしたんですか」「オリンピアゾナーだ」「ライカもいいけど、僕はコンタックスの方が好きなんです。いいレンズがたくさんあって。触ってもいいですか」「ファインダーが暗いなんて嘘だな……手触りもいい」なんマニアックなカメラ話がでてきたのにはかなり吃驚。フィルム時代からコンタックス・ツァイスのレンズを使い続け、いまはα7でオールドレンズと戯れている自分としては、作中のボーイの言葉にウンウン、そうだよねーと強く頷いてしまった次第です。もしかして作者はカメラ女子なのかと、ブログやツイッターをざーっと見てみたのですが、それらしい痕跡はナシ。とりあえず、作者が「やっぱり私……日和見のチョートク先生より、竹田先生の方が好き……」なんて独り言を呟きながら、美しくネイルアートを施した指先で、防湿庫から取りだしたプラナー T* 55mm/F1.2やアポゾナー T* 200mm/F2.0を撫でている姿を妄想しながら次作を待ちたいと思います(爆)。