萌えいづる / 花房 観音

萌えいづる / 花房 観音花房観音にハズレなし、――本作もまたその事実を確信させてくれる一冊で、堪能しました。『花祀り』、『神さま、お願い』、そして『女の庭』と読み進めてきましたが、この中ではもっともセックスに関してはストイックな一冊ながら、意外にも一番好みかもしれません。

収録作は、社長の愛人から淡泊男を押しつけられた女の物語「そこびえ――祇園女御塚」、セックスもアンマリ知らない年下のボクちゃんを足フェチの変態男に調教してしまった女の末路「滝口入道――滝口寺」、イマドキの仲良し夫婦だったはずが、旦那に好きな女ができたことから離婚を切り出された女の当惑「想夫恋――清閑寺」、おキャンな年下娘に愛人の座を奪われてしまった女の過去を想う哀しみ「萌えいづる――祇王寺」、子供を事故で亡くし離婚した女の今に、もう独りの女の哀しみを重ねた傑作「忘れな草――長楽寺」の全五話。

それぞれが平家物語にゆかりのある場所を舞台に、その逸話をなぞるかたちで現代を舞台にした女の物語が描かれているのが本作の趣向でありまして、冒頭を飾る「そこびえ――祇園女御塚」は、水商売をしてたところを拾ってくれた社長の愛人となった女が、この社長にすすめられるまま結婚をしたももの、――という話。観音ワールドですから当然、男と女の縁を描くためのセックス・シーンも濃厚に盛り込まれているわけですが、以前に読んだ作品に比較すると、官能描写はかなり控えめな気がします。まずもって、男と女の”アソコ”については、伏せ字めいたやりかたで記されているのみで、社長との過去のセックス・シーンが中盤にコッテリと描かれてはいるものの、その描写もかなり少なめ。何よりも愛人からフツーの結婚をして、フツーの夫の妻となりながらも、体はオンナとしてかつての社長との愛欲生活を忘れられないという、ヒロインの業をドロドロではなく、敢えてさらりと描いてみせた筆致が素晴らしい。

観音ワールドの男衆は総じて鬼畜かダメ男かというのが相場ながら、この物語の社長さんは、愛人を囲っているとはいえかなりの賢人で、過去の愛人に対しても責任をもって彼女の将来までシッカリと考えてあげているというまさにデキる男の鑑のようなカンジなのですが、それに比較してヒロインの夫の淡泊さ、情けなさときたら、もう……いや、確かに仕事がフツーにできて、社長の掌の上で踊らされているとはいえ、フツーに出世もできているわけですから悪い輩ではないのですが(苦笑)。ヒロインが求めていたものを読者の予想通りのかたちで得ることになった幕引きはハッピーエンドではあるものの、この物語の後がチと心配になってきます。

「滝口入道――滝口寺」は、年上の美脚女がヒロインで、その女の武器を使って年下の初なボクちんを凋落するものの、この男が司法試験に失敗したから今度は作家を目指すんダイ、なんてことをほざくでくの坊。パパとママに反対されて二人の仲は引き裂かれ、――というところから、彼女のボクちん争奪戦が始まるという展開では、男のダメさから自然と彼女を応援したくなってしまうものの、ここにきても年下男のバカさ加減に気がつかない彼女も実を言えば五十歩百歩で、挙げ句には男の両親からストーカー扱いされてしまう始末。ついに夢叶って、彼女はふたたびボクちんとサシで話をすることができるのだが、――というところから、自らの”武器”を駆使して復讐を果たす結末が痛快です。

「想夫恋――清閑寺」は、傍から見たら仲良し夫婦に見える二人だったが、夫から突然離婚を切りだされて、――という話。セックスには淡泊な二人の関係はなんだか最近の純文学っぽいノリで、中盤までは二人の妙に飄々としたやりとりが続くのですが、あまり感情的になることのなかった冷静なヒロインがあることをきっかけに観音ワールドの住人としての本懐を露わにする後半の官能描写がイイ。

「萌えいづる――祇王寺」は、かつて愛人として囲われていた女が昔の男との過去を回想していると、自分の後釜となった女が突然家に押しかけてきて、……という話。個人的には、この物語のヒロイン陶子は、本作の主人公の中ではもっとも好みであります(爆)。かつての男がすでに癌で亡くなっている事実が冒頭から早くも告げられる構成も見事なのですが、濃厚な官能描写のあと、彼女がふと、自分を捨てた過去の男についてある想像を巡らすシーンが素晴らしい。彼女は自身の想像を「あまりに都合が良すぎる美談」として「その考えを一瞬にして振り払」い、「今となっては真相は藪の中だ」と考えるのですが、ほとんどの読者は彼女の視点から描かれる過去の男に関する逸話を思い返すにつけ、おそらく彼女の想像は正しい、――と思うのではないでしょうか。しかしこの物語のヒロイン陶子はおそらく自分でもそう確信しながら、「真相は藪の中だ」と一蹴してその考えを退けてしまう、――しかしそれこそは彼女の矜恃に違いなく、自分はそんな彼女の”強さ”に強く惹かれてしまいます。

「忘れな草――長楽寺」は、子供を事故で亡くしたことがきっかけで離婚した女が主人公で、彼女は旦那と別れたあとも彼と逢瀬を続けるのだが、――という話。子供ができない夫婦を描いた「そこびえ――祇園女御塚」、子供がいないゆえに友達のような関係でいられる夫婦を続けていた「想夫恋――清閑寺」など、本作では夫婦関係の鎹ともいえる子供がなかなかに重要なモチーフを担っているわけですが、本作では、その子供を義母が不慮の事故で死なせてしまっているところがかなり辛い。これまでの物語では、基本的に夫婦であったり、恋人関係であったり、あるいは愛人関係であったりと、男と女の関係が物語の軸になっていたのですが、本作では離婚した夫婦二人の影に隠れていた人物があるところからふいに表舞台に躍り出てくる転調が素晴らしい。

これによってすべての物語は一つの磁場へと引き寄せられたのち、「序」の描かれていたシーンとの精妙な繋がりをみせ、本作は見事な連作短編として完結します。この結構は、最新作の『神さま、お願い』にも通じるもので、女の業を哀しくも強いものとして肯定的に描いたみせた本作を「白」とすれば、『神さま、お願い』は「黒」というか、――この二冊をいわばコインの裏表として観音ワールドを愉しむのも一興でしょう。エロも適度で、大盤振る舞いというわけではないゆえ、官能小説ということを意識せずに、初な純文学少女もカジュアルに観音ワールドにドップリと浸かることのできる本作は、極度にエロすぎる『花祀り』にはちょっと躊躇していたビギナーでも観音小説の入門編として容易に手に取ることのできる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。