傑作。アマゾンの書評などにざっと眼を通していたら、今での恒川ワールドとはかなり毛色が異なるみたいな感想が多く、ファンタジーが苦手な自分はなんとなく敬遠していたのですが、読んでみて大正解。結論からいえば、世界観がファンタジーなだけで登場人物やその語りの技巧は恒川ワールドの真骨頂。安心して手に取ることができる逸品でありました。
物語は、不倫してバツイチとなったあと人生下り坂というダメ女が、ヒョンなことから異世界へと連れ出され、そこで十の願いを叶えることができる力を得たのだが、――という話。十の願いを叶えるという力を得ながら、なにしろヒロインは相当のダメ女ゆえ、のっけからその力を有効に使えていないことが情けない(爆)。しかし、自分と同じような境遇にある男性と知り合うことによって彼女は次第に極私的な願望から、他者の願いを考えるようになっていくという、――王道的な成長譚の構成となっているのですが、ヒロインの前に姿を見せる登場人物たちの一人語りをところどころに挿入して物語世界に深みを与えるという、恒川小説ならではの技巧がふんだんに活かされているところが素晴らしい。
ヒロインと同じ力を持つ先輩である男性や、彼女たちとは異なる外来者にして相当の曲者が彼女たちの敵となって立ちはだかる展開は王道的ながら、やはりそうした敵もまた自らの半生に暗いものを抱えている。そもそもヒロインの人生が下り坂を転がっていくきっかけとなった事件にしても、理不尽な暴力と狂気に起因するものであり、このあたりの因果を超えた理不尽さが恒川ワールドにおいては物語の異世界性や、幻想と彼岸を連結する機能を果たしていることは、氏の作品のファンにとっては馴染みでしょう。ヒロインの身に降りかかったこうした理不尽な暴力は、この敵となる人物がかの星に召喚された宿業にも通じるもので、スタープレイヤーと呼ばれるヒロインたちのこの星での人生の始まりもまそうした理不尽さの上に成り立っているところがかなり深い。敵者とヒロインを分けているのは、十の願いという力「だけ」なわけで、物語の最後でこの力をおおよそ使い果たしてしまった彼女の今後はどうなるのか、――何でも続編があるそうなのですが、それが果たして彼女をヒロインにしたものなのか、それとも別の主人公を当てて新たな物語が始まるのか。いずれにしても続きがとても、とても気になります。
『金色機械』もまた時代劇という、いままでの恒川ワールドとはやや異なる風合いでしたが、こちらもファンタジーで「期待していたのとは違うッ」と感じてしまうファンもいるのではと推察できるものの、登場人物たちの過去を、改行と一人語りによって描いてみせるという、――恒川小説では定番の技法を重ねていくことによって、主人公「だけ」の個人的な物語を全体へと拡げて深みとコクを増していく結構も健在で、物語世界の表層だけで好き嫌いを決めてしまうのはもったいない。『夜市』から続く人生の深淵は本作にもしっかりと継承されています。唯一の大きな違いといえば、本作はシリーズもので、本を閉じてもまだ続きを読むことができる、また近いうちにこの世界と再会できるということでしょうか。本を閉じたあとは、作品世界の余韻をしばし愉しむ「だけ」で終わっていた過去作に比較すると、恒川小説において続きが気になるというのは個人的にはかなり新鮮な体験でありました。ファンタジーが苦手というか、そもそもマッタク読んでいない自分でも没問題だったので、『夜市』から氏の作品を追いかけてきたファンではあれば、手に取ってみる価値は十二分にある傑作だと思います。オススメでしょう。