鳥辺野心中 / 花房観音

鳥辺野心中 / 花房観音これは偏愛。花房観音女史の最新作は、男が主人公ということで読み始めた当初はちょっと不思議な感じがしたのですが、読了すれば時間軸と視点に配慮した構成に唸ることしきりで、さすがと感嘆した次第です。

物語は、兄イに劣等感を抱く男が中学教師となるも、教え子の母親の死をきっかけにその娘と縁を持つにいたり、――という話。教え子と教師という禁じられた愛を主題に据えた作品という意味では、純文学的でもあり、また官能小説的でもあるわけですが、自制心を保ちながらも娘っ子の妖しいオーラに絡め取られていく前半は官能をセーブ、時を経て彼女と再会した二人がいよいよドロドロの関係となっていく後半は期待通りの官能シーンがテンコモリといったメリハリをつけた構成が心憎い。

本作の場合、あからさまな官能よりも、主人公の男が縁を持つにいたる様々な女性の様態とそこから描かれる逸話が素晴らしく、そうした複数の女性との関係の中で、主人公の男性と悪女めく娘ッ子との運命的ともいえる因縁をより際だたせるために凝らされた工夫が秀逸です。

物語はほとんど主人公の男性の視点で描かれており、また物語の序盤に、

あの頃の自分は、音葉という少女の「不幸」に欲情し、同情に酔っていた。

という一文がさらりと挿入され、この物語は主人公が過去を回想したものであることが仄めかされています。まだ少女と関係を持つ前から早くもこの物語が回想であることを明かしてみせることで、これからの主人公と娘ッ子との関係はどうなっていくのかということ以上に、現在、――すなわち今、「この物語を回想している」主人公はどうしているのか、果たして二人は紆余曲折あったすえに結ばれたのか、それとも、……ということに関心がいってしまうのですが、これこそは作者が本作の構成に凝らした大胆な仕掛けでもあります。そしてこの物語は、最後の「終章」で意外な人物にその語りを受け渡すことで、主人公の現在を明かしてみせるわけですが、これにはやられました。この「終章」、実をいえば教科書的ともいえる「小説的」作法からみれば破綻すれすれなのですが、その破格さゆえに読者の胸に迫ってくるという、転倒した作者の企みには完全にノックアウト。

本作の時間軸は大きく三つにわけられ、主人公と娘ッ子の出逢いと、数年の時を経て再会を果たす中盤、そして最の後「終章」で語られる現在となります。この間に、主人公は、彼を誘惑する悪女のヒロイン、教師の妻となる女性、さらには親友の旦那と不倫している同僚教師の三人の女性と縁を持つに至るわけですが(同僚教師とは肉体関係はナシ)、このほかにも直接姿を見せないものの、娘ッ子の母親も含めて、さまざまな女性の業が綴られていきます。男への執心、子供への執着といったモチーフによって、男性と女性を対照させてその性差から女性の本質を描き出す一方、ヒロインの娘ッ子とその母親、さらにはもう一つの母娘を描くことによって、本作は母娘という女同士の因業をも描き出しそうとした物語でもあります。今までは花房ワールドといえば、女、オンナ、おんなの性を全面に押し出して、男との官能を通じて女の業を描いた物語、――と認識していたわけですが、本作では、母娘の関係が、主人公と女たちとの関係に等しい比重をもって綴られているところが新機軸といえるカモしれません、――といっても、自分はまだ女史の小説をすべて読破しているわけではないので、そうした作品もあるのかもしれませんが……。

さて、以下はちょっとネタバレになるので文字反転。上にも述べた終章の「誕生」についてですが、この章は「優しい父でした」という一文から始まります。この語り手は、主人公の娘になのですが、いったいこの「語り」は誰に向けられているのか、――「優しい父でした」というからには、少なくともこの語りは主人公である父親に向けられたものではありません。ここでは、そのあとすぐに彼女の父親が現在どういう境遇にあるかが明かされ、「ねえ、お父さん、幸せ?」という父に対する問いかけを端緒として、彼女の口から、主人公の過去が語られていきます。

もちろんその過去の中には、主人公と娘っ子の「その後」も含まれているのですが、語り手である娘の彼女は、父のパソコンから日記ともいえないメモ書きを見つけます。このメモ書きが保存されていたフォルダ名と、その手記が書かれることになったタイミングなど、――主人公の心情を色々と忖度する要素が読者の前に提示されていくのですが、最大の疑問は、主人公の視点から綴られていた「終章」までの物語はどういうものなのかということでありまして――。もちろん、本作は本格ミステリではありませんから、その点についてはいっさい明かされることはなく、完全に読者に委ねられているのですが、語り手の意図も含めて様々な想像を誘います。

またこの「終章」は、空行によって、何者かへの語りと、父に対する問いかけが混在しているのですが、この破綻すれすれの技法が素晴らしい。父の過去を語りながら、終盤、「けれど私はあなたならば私を許して、私の行為を受け入れてくれると思うのです」という一文から、語り手はある事実を大胆に明かしてみせます。この一文によって語りは父への問いかけへと突然の転調を見せるのですが、これによって、語り手の複雑な心境を痛烈に描いてみせた試みがイイ。

しかも、この「終章」の語り手の恋愛遍歴と境遇は、今までこの物語に登場した女たちの要素をすべて包含していた集大成ともいえるものになっています。また、父がかつて愛した娘ッ子とその母親、そしてこの語り手と母親という二つの母娘を対蹠させることで、上にも述べた女二人の因業な関係を際だたせた趣向も秀逸です。

いつになく官能シーンはあっさりとしているものの、個人的にはかなり、かなり愉しめました。『女の庭』では変則的なフーダニットを凝らして物語に興趣を添えていた女史ですが、本作の手記の技巧などを見るにつけ、岡部えつ女史と同じく、案外、官能だけでなくミステリ的なセンスも持っているんじゃないかなァ、……と感じた次第。女史のファンであれば、文句なしに愉しめる一冊ではないでしょうか。オススメです。