樹海 / 鈴木 光司

樹海 / 鈴木 光司富士の樹海を人間の生き死にの磁場として、複数の人間の縁が交錯する物語を描ききった一冊で、堪能しました。一応、巻末に掲載されている初出を見ると、冒頭の「遍在」以降は「別冊文藝春秋」に掲載されており、連作短編というほどではないにしろ、登場人物の因縁に繋がりを持たせた構成がまず素晴らしい。

「遍在」は、自殺するために樹海を訪れたダメ男が死から「意識」を取り戻し、あることを決意するまでが描かれているのですが、読み進めていくうちに主人公の男の半生をジックリと描きながらも、どこか突き放したような風格を感じてしまうわけですが、その「違和感」の所以こそは、本作の後半に仕掛けられたある試みのためだったことが明かされる幕引きがイイ。これを読んだ人の多くはコルタサルの某短編を思い浮かべてしまうのではないでしょうか。

続く「娑婆」は、これまた自殺する目的で富士の樹海に迷い込んだ女が、そこで見つけた遺留品から奇妙な因縁物語に巻き込まれる、――という話。遺留品の一つである免許証からその人物の家を訪ねていくのですが、樹海で自殺したであろう男と自らの父とを重ね合わせて、自制を取り戻そうとする主人公の振る舞いがなんとも悲劇的。そしてこの自殺した男の生前の痕跡を探し求める探偵的行為の果てに明かされる因縁の構図は、テレビドラマであれば陳腐、ミステリであれば強引、場当たりと揶揄されるようなものなのですが、富士の樹海という霊的な磁場から生まれ出た物語だからこそと読者を納得させてしまう作者の豪腕が心憎い。

「報酬」は、目が覚めたら真っ暗な狭い場所に押し込められていた男の視点から、いったい何があったのか、何が起こっているのかを明かしていく展開はミステリ的ながら、本編のキモは「遍在」にも通じる本作ならではの「視点」を活かした仕掛け溢れる構成でしょう。これもまた下手をすると臭い禁じ手と批判されかねない趣向ながら、登場人物の「意識」と「視点」に格別の配慮をくわえた本作中の一編だからこそ納得してしまいます。

「使者」は、複数人物の視点によって、現在進行形の状況から様々な逸話を絡めて展開されていくという、これまた非常に曲芸的な結構が素晴らしい。複数人物が不可思議な運命の糸で繋がっている、――というテーマは、「遍在」から「娑婆」へと縁が繋がる趣向にも通じるのですが、この点については、冒頭でもハッキリと述べられてい、そのあたりを軽く引用しておくと、

自分が下したちょっとした選択が、他人の不幸の遠因となっている光景が見えてしまったら、責任の重さに身体は硬直し、どんな決定も下せなくなってしまうだろう。
だから、出来事の裏に働く力なんて見えない方がいいのだ。
ただ、物語の語り手になりたいのであれば、その限りではない。空気のように遍く行き渡る者には、事象の裏で絡まり合う因縁の意図を見通し、「風が拭けば桶屋が儲かる」式の、因果の連鎖を目で追う力が必要だ。

この引用した地の文に続いて「さて、登場人物の顔が見えてきただろうか」、「第三者の目には、この三人にどのような因縁があるのかまったくわからないはずた」といった、ちょっと古い小説に見られる、作者が狂言回しのようなカンジで物語を説明していく文章が綴られているのですが、もちろん本作は現代小説でありますから、一見すると古風な技法を用いたかに見えるそんなところにも、作者ならではの深慮が働いていることはいうまでもありません。そして「遍在」という冒頭の一編のタイトルを想起させる『遍く行き渡る者』という表現にも要注目でしょうか。「遍在」という言葉は、最後の一編「禁断」でもある引用を通してふたたび使われているのですが、冒頭の「遍在」、そして「使者」の中の表現と、最後の「禁断」との違いを比較してみるのも一興でしょう。

続く「奇跡」は、「使者」の続編とでもいうべき一編で、「使者」で提示された謎や伏線が、意味のある偶然の一致を通じて繙かれていく展開が秀逸です。偶然から自分が進むべき正しい道を確信する登場人物の振る舞いなどは、多分にスピリチュアルっぽいんですが(爆)、そうした登場人物たちの行動を俯瞰することになる「視点」の存在に留意すれば、作者がこの物語の中で描ききろうとしたことはそうしたものとはまた少し風合いが異なるものであることも理解できるのではないでしょうか。

最後の「禁断」も、男女の視点を交錯させて、二人の運命の偶発的な交わりを描いたものなのですが、ここではディテールを凝らして妄想が爆発した薬物トリップの描写がキモ(爆)。また冒頭の「遍在」同様、ある「視点」から身体の細部を緻密に描写した技法がここでもタップリと活かされているところにも注目でしょう。登場人物がふたたび樹海へと回帰することで物語は幕を閉じるのですが、エンタメ小説のような明快な答えは用意されていないというか、……そのあたりは評価が分かれるところではないかと推察されるものの、個人的には大満足の一冊でありました。ここしばらく、――といっても『リング』のころに過去作を一気読みしたものの、その後はスッカリ忘れていた作者の作品でありましたが、これはとても、とてもヨカッタです。ホラーにもSFにも、また純文学にもよりかからない、作者ならではの本領が感じられる本作、ちょっと海外小説っぽい香りが感じられるような気がするのですが、いかがでしょう。『リング』のころは読んだけどその後は、……なんて自分のような氏の強烈なファンではなかった読者でもコレはかなり愉しめると思います。オススメでしょう。