恋と禁忌の述語論理 / 井上 真偽

恋と禁忌の述語論理 /  井上 真偽中程まで読み終えたときの印象は「中途半端に『スーパーくいしん坊』を本格ミステリでやられてもねえ……」というものだったのですが、(なぜ『スーパーくいしん坊』なのかについては後述します)、最後の最期、連作短編集ならではの趣向を明かしたところで印象は一変、評価を改めました。悪くはありません。ただ、この作品とは離れたところで妙なことになっちゃうんじゃないかなあ、という危惧がどうしても拭い去れず、……というあたりも後述します。

物語は基本的に、語り手のボーイがすでに名探偵によって解決済みの事件の真相を再確認するべく天才の叔母さんに相談するのだが、――というもので、三つの「レッスン」と、すべての短編の背後に隠されていたあるものの意図を明かすことで連作短編集としての趣向を見せる「進級試験」からなっています。

それぞれのレッスンのタイトルが「スターアニスと命題論理」、「クロスノットと述語論理」、「トリプレッツと様相論理」と、まあ、その言葉を眼にしただけが、コ難しいことは大嫌いな自分などは語り手のボーイならずとも「脳内がてんやわんや状態」になってしまうのですが、実をいえば天才型の叔母さんがズラズラズラーっとまくしたてる論理学の話を軽くスッ飛ばしてもノープロブレム(爆)。いや、もちろん探偵の数理論理学講義を一字一句読み逃さずにジックリと取り組めば、もっと愉しめるのかもしれませんが、……自分のようなボンクラはまず何よりも最後の一ページまでにたどり着くというのが最優先事項ゆえ、難しい話はさらーっと読み流すだけにとどめてしまった次第です。

レッスンIとなる「スターアニスと命題論理」は、カレーを食べてご臨終というコロシにおいて、「毒殺と事故死を論理的に見分けることは可能か」という謎を提示しつつ、探偵の叔母さんが数理論理学を駆使した華麗な推理を披露する、――というもの。推理のノッケから探偵が「動機の接続詞は論理記号ではない」とか「動機は恒真的事実ではない」と傍点付きで語られるものだから頭がくらくらしてしまうのですが、上にも述べたとおり、「論理記号」とか「恒真的事実」とかいう難解用語の意味が分からなくても没問題。ひとまずここは「とにかく動機については深入りしないってことだナ」というだけを了解しておけば、事件の謎解きを愉しむことも十分に可能です。

ちなみに真打ちの探偵である叔母さんが推理論理学の本丸推理を披露する前に、この事件はもうひとりの探偵によって解決済みであるという趣向が興味深い。ここで焦点が当てられるのが、「犯人に殺意があったかどうか」というところなのですが、「公理」を披露したあとに、前座探偵の得意分野の知識からある事実を見出して、容疑者の一人の嘘を探り当てるという推理の端緒は素晴らしいものながら、――実をいえば、推理の展開の魅力って、あんまり数理論理学とかは関係ないんじゃァ……と感じてしまったのはナイショです(爆)。それと、この端緒を切りだしたあとに傍点付きで展開される探偵の推理が「なかったはず」「ずがない」という言葉で示されるのもチと気がかりで、これがフツーのミステリであれば、探偵が足を使うなりしてその推測の裏取りを行うのが定石ながら、本作はあくまで論理だけで謎解きを押し進めていくという趣向ゆえ、こうした重箱の隅をつつくような行為は御法度でしょう。

最終的に犯人を指摘しても、犯人は「……動機は知らない。言ったでしょう。私は人の心にあまり踏み込みたくないって……」とはぐらかしてみせるものの、この徹底して動機にこだわらないという探偵の立ち位置が、最後の「進級試験」では、「事件の外からその様相を俯瞰する」という探偵の立場から”敢えて”逸脱してみせることで意外な着地点を見せる試みが素晴らしい。

続くレッスンII「クロスノットと述語論理」では、多すぎる容疑者の中からロジックだけで犯人を指摘する、――という直球のフーダニットが読者から見える謎ながら、探偵の視点からすれば、最初の探偵が解いてみせた謎はそうではなくて、……という真打ち探偵の指摘によって、事件の見え方を切り替えていく推理の展開が面白い。何が証明されたのかを明示して、そこから推理の過ちを取りだすことで、謎解きの方向を操作していく趣向はなかなかのもの。数理論理学とかをまったく理解できなくても、レッスンIのように、ある事実の指摘を端緒として容疑者の嘘を見抜いていく推理は十二分に明快で、古典ミステリを読み慣れている読者であれば愉しめると思うし、本作のようにフーダニットというストレートな謎の明示をさらに細かく切り分けて、分析していく手法はなかなかにスリリング。

ここまでは大きなトリックもなく、いうなればスマートなロジックの仕分けのみで、謎解きを終わらせていたのですが、レッスンIII「トリプレッツと様相論理」では一転して、ロジックからトリックを導き出すという荒技を披露。トリックそのものはきわめてシンプルながら、トリックをロジックによって説明していくのではなく、ロジックから隠されたトリックを導き出していく過程はなかなか愉しめました。

――と、ここまでは、作中でタップリと説明される数理論理学もよく判らずに、本作の個性を評価してきたわけですが、もちろん不満がないわけではありません。というか、本作にはやはり致命的ともいえる弱さを感じるのもまた事実で、それが上にも述べた中途半端な『スーパーくいしん坊』という印象にも繋がってくるわけですが、このあたりについて述べてみたいと思います。

『スーパーくいしん坊』は、ご存じの通り、ハープをズバーン!とやってイカの握りをつくったり、車のホイールキャップをギュルルーン!と廻してお好み焼きをつくったり、洗濯機をブルルッ……と廻してラーメンをつくったりする漫画なわけですが、その奇天烈な調理方法に相反して、できあがった料理は寿司にお好み焼きにステーキにラーメンといたってオーソドックスなものばかり。むしろたかがラーメンにそこまでやるかよ、という転倒に、我々本格ミステリ読みとしては大いに興味をそそられるわけですが、本作に描かれる事件の様態もまた毒入りカレーでご臨終だの、レストランで絞殺だの、双子のいる屋敷のコロシだのと、現実の事件でもありそうなものだったり、黄金期本格をそれなりに読んできた読者であれば既視感ありまくりというものばかり。

コ難しい論理によって明かされる真相が、常軌を逸したものであればその落差にも感嘆できるわけで、またそうした驚きを体験することこそが本格ミステリを読み続けている大きな動機の一つであったりするわけですが、本作で明かされる真相や事件の構図は、『スーパーくいしん坊』で調理される料理の数々、――寿司にお好み焼きにステーキにラーメンのごとくに極めてありきたりなものばかり。だからこそ、作中で探偵が長いページをさいて講義をしてくれる数理論理学がもっとモット愉しめれば、そうした凡庸な事件の構図は脇に置いても本作の魅力をモット堪能できたのカモしれませんが、あいにく自分のようなボンクラはそれさえもできず、最後の「進級試験」で明かされる連作短編ならではの企みには感心するのみ、……いや、この趣向だけでも本作は十分に愉しめるので、それ以上を求める必要もないといえばないのですが……。作者の次作もこの探偵なのかどうかについては、「進級試験」の結末を読んだ限りではちょっと難しいような気がするものの、いずれにしろ次作も本作と同じ傾向の作風だったら、次回はスルーするカモしれません(苦笑)。

とはいえ、論理学を前面にバーンッ!と押し出した本作の華麗なる登場に、難しい本からの引用を駆使して難しい論考を難しい言葉で書き綴っているようなミステリ評論家は色めき立っているに違いなく、案外、すでに巷では本作をネタにして論理学のお勉強をしてみましょう!――なんて本が出ているやもしれず……と、ここまで書いてからアマゾンで本作を検索したら、すでにそうしたブツが出ていることを知って大苦笑(爆)。これからもこういうモノがどんどん出てくるのかな、と暗澹たる気持ちに沈んでしまったことはナイショです。

ネタとして消費するには恰好の一冊ともいえる本作、「なんか論理学とか難しいことはよくわかんねえし……」というボンクラ紳士の方々も、「とりあえず」は愉しめるかと思いますが、あくまで取扱注意、ということで。