『神狩り』、『氷河民族』に続いて読んだ一冊。人間”側”と神の”側”の対立という物語構造はなんとなく『神狩り』を想起させるゆえ、これって『神狩り』のアダムの肋骨なのカモという気もする内容ながら、かつてのSFならではの価値観の凄まじい転倒とその密度は『神狩り』を遙かに凌ぎます。
物語は、遺伝的体質から超能力を持つ独覚一族と、GHQの背後にいて朝鮮戦争を扇動する勢力とその親玉である「弥勒」との戦いを描く、――という話、って大昔に読んだのにこれまたスッカリその内容を失念しておりました(爆)。巻き込まれ型の典型である『神狩り』や『氷河民族』の主人公に比較すると、本作の主人公は、特殊な血を継承する一族の一人という点で、その戦いを宿命づけられてい、さらにその一族は滅ぶために存在するという奇妙な倒錯が、その戦いに悲壮感を添えています。
タイトルに戦争とあって、主人公たちが超常能力を有しているとはいえ、激しいバトルが展開されるわけでもなく、せいぜいが変形した「爆弾」を敵方から打ち込まれた主人公たちがサイキックで迎撃する、――というシーンはなかなかの発想ながら、時代ゆえかその描写はかなり地味。しかし本作の魅力はそうした映像的なところではなく、むしろ「弥勒」という存在に絡めた小乗大乗仏教に対する作者オリジナルの奇想ともいえる解釈と、超能力と人類の進化に対する価値観の転倒にあるような気がします。
特に超能力と進化というモチーフに関しての恐ろしいまでの倒錯は、半村良の『妖星伝』でボーダラカ人が口にする地球の印象にも通じるほどのおどろきで、中盤で明かされるこの解釈だけでも読む価値アリ、といえます。こうしたなにものかの存在や意味というものに対してまったく違った視点を見せてくれるという趣向は、やはりSFの独擅場で、『神狩り』の神というものに対する存在もかなり激しいものでしたが、本作での進化に対する視点も相当なもの。それでいて、本作における「弥勒」が人類にもたらす「救済」という行為の意味は、某テロルを体験した現代の日本人にとってはかなり複雑な感慨を持って受け止められるのではないでしょうか。
今だからこそ、この本を通して語られる「救済」というものの意味を深く考えてしまうという点で、やはり物語というのは時代を超えるんだなア、……という読後感を抱いたしまった本作、『神狩り』とセットで読むとより愉しむことができるような気がします。オススメでしょう。