エイトハンドレッド / 植田 文博

エイトハンドレッド / 植田 文博経眼窩式』で第6回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した作者の第二作目。『経眼窩式』はそのキモチワル過ぎる描写から、ホラーとして読んでしまった自分としては、二作目である本作をサスペンスミステリーとして出してきたその方針転換(?)にまず吃驚。とはいえ、『経眼窩式』もそのベクトルが社会派ミステリであったことを考えれば、物語の展開はサスペンスといえど、本作も処女作の路線をシッカリ踏襲した一冊といえます。

物語のあらすじを簡単にまとめてしまうと、新宿でホームレスをやっている男の復讐譚ということになるのですが、一人称で語られる男の語りがまず一筋縄でいかない。その語りは当然読者に向けられているわけですが、そこに仕掛けがあることは容易に予想できるものの、中盤、語り手の正体が明かされたところから、物語はストレートな復讐譚の構造を脱して、フーダニットを基軸にしたサスペンスへと姿を変えていきます。

ホームレスを相手に何やらヤバげな団体が金儲けを企んでいるというところは、貧困ビジネスというテーマが基本になっていた『経眼窩式』にも通じるものの、今回の敵方はもう少し巨大な権力を持っていて、そこに主人公が策略を巡らせて敵のアジトに挑んでいくというハードボイルドタッチな中盤からの展開がイイ。

フーダニットといっても、シンプルなコロシではなく、そこには語り手の過去と出自にまつわる復讐譚がベースとしてあるわけですが、語り手の正体が反転する中盤からは、限定された「容疑者」の中からある人物を探し出すという趣向で見せてくれます。しかし実をいえばこの謎に関しては、登場人物の振る舞いや言動を注意深く観察していればおおよその予想はついてしまうような気がするのですが、まあそこはそれ(爆)。いよいよ疑惑の人物の正体を突き止めていよいよ対決というシーンのあと、ふたたび語り手の正体が反転し、前半の復讐譚へと回帰していく展開にはやや違和感アリながら、それらをさしひいても、タイトルにもある『エイトハンドレッド』や、途中で登場する薬品名に込められていた陰謀の内実など、冒頭から大胆に明かされていた医療過誤と、断片的に語られる主人公の妻の逸話から想起されるイメージとはかけ離れた意想外な構図が開示される真相が素晴らしい。

その構図はほとんど幻想、――というかSFに近い印象さえ与え、そこからふたたびフーダニットに関してのどんでん返しが披露されるのですが、姿を隠していた人物の正体と、語り手たちが気がつかなかったミスディレクションが、現実離れした奇想に裏打ちされながらも巧みな伏線を凝らしてある盤石さは、紛れもなく本格ミステリ。

『経眼窩式』は登場人物の視点が混在しているところから、物語がやや散漫に見えたのに比較すると、本作ではストレートな復讐譚としながら、フーダニットや語り手の正体の反転をフックとして物語の構図が様変わりを見せる展開にも多くの工夫が見られるという一冊ゆえ、『経眼窩式』とはやや質感は異なるように感じました。個人的にはこちらの方が断然好みでしょうか。また、最後に語り手に希望を託した後日譚的なエピソードが心地よい余韻を残すところも好印象で、キモチワルイ場面はナッシングという風格ゆえ、『経眼窩式』の”あのシーン”が堪えられなかったという自分のような臆病者でも安心して手に取ることができるのではないでしょうか。オススメです。