鍵の掛かった男 / 有栖川 有栖

鍵の掛かった男 / 有栖川 有栖一言、長い(爆)。前半部にいたってはアリスが延々と聞き込みをして回るという、昭和のミステリさながらの鷹揚な展開が延々と繰り返されるため途中で挫折しかけたのはナイショです。物語は、大阪のホテルで自殺した男の死に疑問を持った人物から、彼の死の真相を突き止めてもらいたいとの依頼を受けたアリスは、――という話。

最終的に到達すべき地点は男の死の真相であって、この物語が本格ミステリーである以上、それは自殺ではなく、まず確実に他殺である「べき」であることはこの本を手に取った読者としては当然で、実際その通りに物語は進んでいくわけですが、前半部で執拗に続けられるアリスの聞き込みによって明らかにされていくのは、自殺か他殺かといった事件の真相ではなく、タイトルそのままに「鍵の掛かった男」の半生であるという構成が、ここ最近の過剰と性急が求められるミステリーには珍しい。

実際、こうした今回の事件の特殊性について、探偵の火村もまた「こんな調査は初めてだな」と言い、「いつも俺たちは、殺人事件の報せを警察から受けて捜査に加わってきた。あるいは、自分が殺人現場に居合わせた場合に捜査に乗り出した。ところが今回は違う。自殺とも他殺とも知らない死の真相を探るため、まず被害者について知ろうと躍起になっている。……(中略)……どんな時も被害者に多大な関心を払ってきたつもりではあるけれど、こんなに死者と向き合った覚えはない」と述懐しているほどですから、死者の謎めいた半生が本作の謎の中心にあることは明らかでしょう。実際、いいかんじのオジサンかと思われていた死者の過去にはある秘密があり、それがまた血の繋がりへと導かれていく展開は多島斗志之の『離愁』あたりを、そしてそれがやがて事件の影を匂わせてくるあたりは土屋隆夫を彷彿とさせます。

アリスが死者との霊界通信を試みながら(意味不明。読めば判ります)男の半生を明らかにしていくにつれ、彼がなぜこのホテルにずっと逗留していたのかという核心的な謎も解けていき、そこからは坂を駆け下りるようにアッサリと犯人が暴露されるのですが、じっくりと男の秘密を解き明かしていく前半部と、本格ミステリーとしてはキモともいえる事件の謎解きの淡泊さ、――その落差が面白い。またこの落差については、被害者である男の、再生を決意した半生が生真面目さに彩られていたのと比較して、犯人の動機のドキュンぶりとのギャップには思わず頭を抱えてしまいました。この犯人に対しては「そんなことで人を殺しちゃイカンでしょッ!」とマトモな感性をお持ちの読者であれば一晩中説教をカマしたくなるほどなのですが、この”カジュアルな”殺意はその一方で非常に今日的であるという見方も可能でしょう。

そもそも男の死もアッサリ自殺と処理されているところからも明らかな通り、事件の様態に外連もなく非常に地味ではあるのですが、本格ミステリーの見せ場としては、犯人が探偵の思惑を超えて妙な行動を起こしたがために、そこからあっさりと尻尾を摑まれてしまうところの謎解きは素晴らしいの一言。なぜこの犯人の奇妙な行動から探偵は犯人を指摘しえたのか、――という事件そのものというよりは、事件を眺める側へと向けられた謎かけには唸らされました。

全体として地味、鷹揚、と一昔前のミステリの風格を感じさせるものの、男の半生の謎を繙いていく前半部の長さを、それでもシッカリと読ませてしまうところは流石です。もう少し派手な物語を期待していたので、読後すぐはチと物足りなさを感じていたのですが(読了したのはもう数週間前)、今になってメモを頼りに読み返してみるとしみじみと佳い、という言葉が相応しい一冊だと思いなおした次第です。読後、じわじわと効いてくる逸品、といえるのではないでしょうか。ヤングよりはここ最近のド派手な現代本格にチとお疲れのロートル読者にオススメです。