残穢 / 小野 不由美

残穢 / 小野 不由美実話怪談系の作品から離れてしばらく経つので本作もスルーしていたのですが、ちょっと前の産経新聞だったかの書評で、怪異の所以をロジックで突きつめていく、――みたいな作風であることが述べられていたゆえ、それだったら面白そう、と迷わず購入。確かに怖い(爆)。しかしながら、この怖さは読者を選ぶような気がします。

物語は、作者である小野氏自身を想起させる語り手の私が、読者から怪異を述べた手紙を受け取ったことを端緒に、その怪現象を調べていくと、……という話なのですが、畳を擦る音から始まり、赤ん坊の泣き声、さらには首吊り死体の幻影、床下から聞こえてくる不気味な声など、怪異の様態としてはありふれたものが、その原因を突き止めていくうちに、不気味な因果の連なりへと広がっていく展開が素晴らしい。

ある部屋での曰くかと思われていたものが、その建物の疑惑へと拡がり、さらにはその建物が建てられる以前の過去へと遡っていく、――という構成で、この時間軸のさじ加減が絶妙です。バブル時代、高度経済成長期、戦前、そして明治大正期まで過去を下っていった暁に仄見えてきた怪異の根源が意外なブツから掘り起こされ、それで終わりかというオチはついているものの、どうも作者自身が助っ人たちとともに乗り込んでいった廃屋の様子から察するに、その因果はさらに闇が深そう。ミステリのような因果関係のつなぎ合わせでここまで辿り着いたあとの、どことなく据わりの悪い感覚と、怪異を信じない作者の立ち位置とを重ねた幕引きも巧妙で、この穢れが読者にも伝播してしまったのではないかと不安にさせる読後感を醸し出しています。

実をいうと、個人的には怖かったといっても、中盤までは”よくできた”実話怪談としてフツーに愉しめていたものの、それほど怖いとは感じていませんでした。うわー、いやだなー、怖いなー、とおぞけを感じるようになったのは、作中、語り手の助っ人として平山夢明氏が登場したあたりからでありまして、さらにここへだめ押しとばかりに福澤徹三までがジモティとしてご登場して、連鎖する怪異の根源へ辿り着いた語り手にいやーな話を聞かせるあたりが怖さマックス。怪異が物語を抜け出して読者へと向かってくる有り様がありありと頭に浮かんできて、思わずニンマリとしてしまいました。作中でもこの怪異のメカニズムを説明する際の引き合いに出されている『呪怨』が、物語の中で完結している恐怖だとすれば、本作はメタ的な趣向でもってその怖さを読者に体感させる技巧で魅せてくれる一編といえるでしょう。

往々にして因果譚は、怪異の元が因業に帰着することでどうにも味気ないものとなってしまうのですが、そうしたオールド怪談の持つ定石に微妙なずらしを行い、さらにはメタ的な趣向を凝らしたところが素晴らしい。初な怪談読みであれば、本作を読み終えたあとは、この本を持っているだけでなにか悪いことが起こるんじゃないかナ、……と不安になってしまうこと請け合いという一冊ゆえ、実話怪談の怖いやつに慣れていない人には取扱注意、ということで。しかしながら、個人的には作者のように、「怪異を信じない人」「”視えない”人」に読んでいただき、本作のメタ的趣向が醸し出す怖さを堪能していただきたい、と感じた次第です。

[追記 2016.02.14]
実を言うと、本作を読了してすぐの感想は「映画『ノロイ』をスタイリッシュにしたカンジかな」というもので、ふと「そういえば『ノロイ』に出てた松本まりかって今、どうしてるんだろ」と思ってググッたら、昨年は大変な目に遭われていた様子。この”怪異”が、本作に描かれたものなど吹っ飛んでしまうほどの不気味さで、「やっぱり幽霊より何より、一番怖いのは人間だよなー……」と感じてしまったのはナイショです(爆)。