偏愛。『肺魚楼の夜』が二〇〇八年のリリースだったので、もうかなり前の話。有希が希望を見出すラストが心地よかった前作のその後を知りたかった自分にとって、本作がノン・シリーズものであったことはチと意外だったのですが、――ひとまず物語のあらすじを簡単まとめてみると、引きこもりの更正施設のようになっている金持ちの奇妙な屋敷で続発する人死に。果たしてそれらは本当に自殺だったのか。絵描きの男が持ちかけた事件に興味を持った玩具店の店主がその屋敷に押しかけていくと、果たしてさらなるコロシが発生して、……という話。
妻を不慮の事故で失い、心の底には未だ喪失感を抱えているというワトソン役・多舞津
人物設定は有希を彷彿とさせるものの、彼が探偵役となる鴉原を訊ねていく冒頭のシーンや、探偵役のキャラ設定などなど、それ以上にどうにも京極っぽい雰囲気がムンムンしているとろこが面白い。とはいえ時代背景もあってかあそこまで怪奇趣味は強くありません。むしろ引きこもりという現代日本特有の現象や鬱病といった現代の病理がクローズアップされた事件の構図など、ストレートな社会派としての色彩が色濃くでた、作者らしい一篇に仕上がっているように感じられました。
本格ミステリとしての事件の様態については、連続密室事件に見える死体の装飾がいずれもある定番のモチーフであるがゆえに、フーダニットという点では極度に限定されてしまうものながら、本作ではそうしたフーダニットの興趣よりも、もっぱらなぜ事件がある事柄を引き金に続発するのか、という事件の連続性にまつわる謎に焦点が当てられてい、続発するコロシの連鎖が真犯人像へと収斂した刹那、その点の疑問が一気に氷解するロジックの手際が秀逸です。一つ一つの密室殺人については、いずれも既視感のあるトリックが用いられているものの、すべては上に述べた定番のモチーフを読者の意識から隠蔽するために費やされている点にも注目でしょうか。既存のガジェットを二重三重に折り合わせ、そこにケムール人の被り物や天才作家の作品に絡めた見立ての装飾などを、そうした点から俯瞰してみるのも一興でしょう。
探偵の推理方法については細部の解明に注力しながら真相を解き明かしていくというよりは、御手洗式の直感に依拠した「美術構造推理法」ゆえ、ロジック重視派にはやや物足りなく感じられるのでは、という点が危惧されるものの、個人的には、上に述べた定番のモチーフを複数つなぎ合わせた事件の連続性を、唯一人の人物の悲壮へとフォーカスしていく構図の美しさに強く惹かれました。そして後日談の中で、その構図の中心に配置されていた人物が背景へと退き、本丸の操りが開示された瞬間、石持浅海にも通じるテーマが明かされる趣向も興味深い。よくよく思い返してみれば、このテーマはある意味、作者の『殉霊』にも通底するものがあるようにも感じられる、――というのはうがち過ぎでしょうか(爆)。
妻を喪なったワトソン役・多舞津が事件を通過することによって、”希望”を見出す幕引きには、『肺魚楼の夜』よりもいっそう踏み込んで、肯定的な物語を描いていこうという作者の強い意志が感じられます。しかしながら個人的には『赫い月照』の読後感による”喪失感”はハンパなく、作者にはまだまだこれからも多くの作品を書いて頂き、この喪失感と渇望を癒やしていただきいと願ってやみません。作者のファンであればまず文句なく愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。
あと蛇足ですが、この作者のシリーズものを読んだあと、最近刊行されたこの傑作を読み、さらにそこから本作を読んでしまうと、ちょっとモヤモヤ、ムズムズしてしまうかもしれません。まあ、このあたりは取扱注意、ということで。