傑作、――には違いないのですが、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作の本格ミステリミステリ作品としては、やや取扱注意でしょうか。
物語は、――かつて大学の先輩で恋敵ともいえた人物はアムステルダムの運河でバラバラ死体となって発見される。数十年を経たのち、彼の地へ赴任することになった私は、そこで過去の事件と再び向き合うことを決意するのだが、そこにはフェルメールの贋作にまつわる不穏な動きもあり、――という話。
御大も選評に詳しく書いているのですが、本作には本格ミステリに期待される驚きは薄く、事件の真相についても大方の読者が予想する場所へと着地します。それでも本作を傑作といってしまいたくなるのは、ひとえのその語りと構成の素晴らしさ、さらには本格ミステリというよりは「文学」としての巧みさで、従来のばらのまち福山ミステリー文学新人賞の風格を期待するとこのあたりは、ちょっと違うナ、という読後感を持たれるかもしれません。
物語のほとんどは、一人称の私が過去の追想と現在とを織り交ぜながら自身の生活を語っていくというスタイルで、彼自身が過去のバラバラ殺人事件に大きく関わっているわけではありません。彼がこの事件に関連があるとすれば、事件の被害者が彼の大学の先輩であり、先輩のカノジョとおぼしき人物にホの字だったという、ただそれだけのこと。それゆえ畢竟、過去の事件を語るといっても、その様相は多分に自らの郷愁や苦みを交えた私的な側面から語られるのみで、本格ミステリにおける「探偵」や「ワトソン」的な役柄が意識されているわけではありません。語り手が惚れていたM子との思い出や先輩に対する嫉妬も交えた思いなどが、本格ミステリの伏線やロジックなどはそっちのけでずーっと語られたあと、話が三分の一ほどを過ぎてようやく私に駐在の話が舞い込み、アムステルダムへと赴任することになってからいよいよ物語が動き出くいう、……それでも、彼が探偵となって過去の事件を再び再認証するというような、本格ミステリに期待されるような流れになるわけではありません。
では、そうした緩慢な展開がつまらないかというと決してそんなことはなくて、個人的にはむしろかなり引き込まれました。日本のバブル景気とその凋落、さらには語り手自身の回想もいれれば、それは高度経済成長期に団塊の世代がナンセーンス!なんて声を張り上げていた時代にまで遡り、語り手自身の個人的体験と日本経済の移ろいを重ねて物語に膨らみを持たせた構成はいっさい冗長なところはありません。正直、伏線とかロジックとかそんなことを完全に忘れてしまった方が本作の展開は愉しめるかもしれません(爆)。
そして彼が異国に赴任してのち、リーマンとしての仕事に絡めて闇の組織と邂逅し、それが過去のバラバラ殺人事件へと繋がっていくのですが、ここから次第に明かされていくバラバラ殺人事件の真相は完全に本格ミステリ読者の期待通り。ここに大きな驚きはありません。そうした事件の真相そのものよりは、むしろフェルメールの贋作から明かされていく彼の死の真相とバラバラ事件とを交錯させた構図の組み上げ方が素晴らしいと感じた次第です。さらには事件が収束し、――というか、語り手自身が内心で決着をつけ、再びM子との過去を追想するシーンで、フェルメールとともにある絵画的技法からもう一人のある画家の作品を想起して、先輩が描いた絵の謎解きをしてみせる趣向も美しい。
また松本清張の推理に異論を唱えつつ、語り手自身が犯人の側と被害者の側へと直接接触し、そこから得た事実によって、清張の「詭計」を暴いていく後半の推理もまた秀逸で、本作における驚きは、バラバラ殺人事件の「真相」そのものではなく、過去の事件とフェルメールの贋作、そして松本清張の三つの面を重ねたその趣向にあり、この微妙なずらしが本格ミステリにおけるストレートなトリックや驚きを期待する読者にはや違和感を持たれるところかもしれません。
なんとなーく本作を読みながら頭の中にあったのは多島斗志之の作品群で、氏の作品とかが好きな読者であれば、意外と”素直に”愉しめるような気がします。上にも述べたとおり、オススメながら、やや取扱注意ということで。