黒百合の雫 / 大石 圭

大石氏の小説の中ではかなり短い部類に入る本作、それもそのはず、物語はある一夜の出来事だけを描ききったという一冊です。二人の女性にまつわる過去のエピソードをふんだんに盛り込んだ百合小説としてはかなりゴージャスで、百合といえばネコ役は可愛い系、タチは男っぽくというオーソドックスな設定はシッカリとおさえつつも、過去の逸話の中で様々なバリエーションを凝らしたサービスぶりがまず秀逸。

もちろん百合エロ小説としても「むっ……うむっ……むううッ……」「ああっ、ダメっ……あっ……いやっ……」「あっ……ダメっ……いきそう……あっ……うっ……」「あっ……いやっ……あああああああっ!」「あッ……うッ……」「いいから、なめなさい」「どう?おいしい?」「うっ……ああっ」とプロローグだけでも、かなりアレな台詞回しがテンコモリで、口淫アリ、被虐プレイもありと、ワンパターンないつもの大石小説的なエロシーンをご所望の御仁も大満足。

とはいえ、あまりエロに関しては氏の小説の熱狂的ファンほど響かないのでは、という気がなきにしもあらすで、それはこうしたシーンが大石氏らしいサンプリングを効かせたワンパターンな描写であるということも勿論あるのですけれども、本作ではそうしたエロ描写のほとんどは二人の女性の心理をより鮮やかに描き出すために費やされているところが大きいような気がします。

幸せな同棲生活を送っていた二人の百合女性。しかしネコ役の娘が冴えない男を好きになったがために部屋を出ていくことになって、――という設定からして、二人の女性の間には様々な心の葛藤が生じるはずで、特に本作のヒロインであるタチ役の彼女には、作者である大石氏ならずともドップリと感情移入してしまうのではないでしょうか。今は長距離トラックの運チャンをやっているという男まさりの彼女も、最初から直球のタチ役だったわけではなく、ここにいたるまでにはいくつかの曰くがあり、一方のネコ役の彼女もまた最初から百合嗜好ではなかったことが次第に明かされていきます。

本作が興味深いのは、過去の逸話を丹念に掘り起こしていくことで、タチ役とネコ役の女性との陰影がよりハッキリしてくるようなお定まりの展開に流れることなく、むしろ二人の女性の類似が鮮やかになっていくところでありまして、そこにはタチとネコといった役割をも超えた、一人の人間としての心の葛藤が大石氏らしい繊細な筆致で描かれています。また本作においても、同じシーンを二人の心理の側面からかき分けることでそれぞれの心の陰影をより鮮やかに際立たせるという、『奴隷契約』や『檻の中の少女』で見られた大石小説の技法が非常に巧みに用いられているところも素晴らしい。

フられることになったタチ役のヒロインは、ある決意をもってこの一夜を過ごすことになるのですが、通常の大石小説であれば、ここで「絶望的なハッピーエンド」を期待してしまうものの、本作では確かに絶望ではあるとはいえ、むしろささやかな希望を強く押し出した仕上がりになっているところは、一夜の出来事だけを切り取った設定である本作にマッチしています。

確かにエロシーンはふんだんに盛り込まれているものの、百合女性たちの心理を細やかに描き出した心理小説としての趣が強く、エロ描写が多ければ多いほど、むしろエロくなくなっていくという大石小説らしい風格を強く感じさせる本作、そうした大石小説「らしい」技巧を期待しないノンケのファンであれば、フツーに百合エロ小説としても愉しめるものの、そうした上澄みだけで満足してしまうのはもったいない。「あっ……ダメっ……いきそう……あっ……うっ……」の大盤振る舞いにニヤニヤしながらも、登場人物の心の深淵にわけいり、ヒロインの決意がどのような結末を迎えるのかにドキドキしながら読まれることをオススメしたいと思います。