情人 / 花房 観音

情人 / 花房 観音恐るべき作品。現時点での作者の最高傑作といえるではないでしょうか。あらすじは、阪神大震災と東日本大震災を通じて、ヒロインの視点から、家族とはそして官能における男女の情とは何かを描き出した逸品です。

確かに官能小説らしい情交シーンもテンコモリながら、今回は二つの震災がヒロインも含めた登場人物たちの生き様に重くのしかかってい、観音小説にたびたび見られた軽さは大きく後退し、その一方でヒロインの立ち位置から家族のありかたを問う重さと暗さに満ち満ちている風格が何より素晴らしい。震災という重いテーマを持ちながらも、登場する男たちがそれぞれにダメ野郎であるところは観音ワールドにおける定石ながら、個人的にはヒロインの父親と彼女の旦那の内面が明かされ、彼女視点から描かれていた人物像が大きな反転を見せる後半の破急にゾクゾクしました。一見すると気弱で不甲斐なさげな人物が心の奥に鬼のような恩讐を孕んでいたり、お互いの不義を暗黙の了解で見逃していたかに見えていた人物がその一瞬、その一言で鬼へと変じる恐ろしさ、――観音小説には確かに相当風変わりな人物も勿論登場していましたが、ここまでダークな凄みを見せる人物像とその反転劇は今までなかったのではないでしょうか。

本作では、何よりヒロインの視点から家族や男のありようが語られていく構成がある種の騙しともなっており、彼女の視点からでしか廻りの人物は語られません。例えば彼女の父親は、妻が不倫してもじっと堪え忍ぶ気弱な男であったり、その兄は流されるだけの引きこもりであったり……。そして二度の震災を体験しながらも、”世間”という理不尽な圧力を躱しながら奔放に、自らの欲望のままに生きている彼女は、そうした廻りの人物たちに比較すると痛快なヒロイン像をまとっているように映るものの、これが罠。

親族でありながら血が繋がっていない、かなり風変わりな男と彼女との関係が物語を大きく牽引していく展開から、本作は「男と女」の物語であるように錯覚してしまうのですが、その実、この男とその背景が繙かれていく後半、この物語は同時に「家族」のありようを「世間」に重ねた強烈な「家族劇」でもあったことが明かされます。ここで明かされる家族の真相はある種、ホラーといってもいいほどの戦慄を誘発するものながら、それでもヒロインはそうした闇の部分をしなやかにかわしてみせ、世間や家族といったしがらみから解放されて新たな一歩を踏み出そうとする。しかしその向こうは光なのか、それとも闇なのか――。

敢えて共感を求める女性読者を突き放したような幕引きにゾーッとしながらも、この怖さも観音小説の醍醐味だよなァ、……などと感じ入ってしまった次第です。従来からの女性読者はこの結末をどう受け止めるんだろう、とか、ちょっと複雑な思いを抱いてしまうのですが、紛れもなく重苦しいテーマを作者らしい目線で濃密な官能とともに描ききった傑作といえるのではないでしょうか。もちろん作者のファンならずとも本作から入るのは没問題ですが、やはりこの重さと暗さとそれゆえの爽快さは、作者の処女作から読み進めていった読者だからこそ堪能できるのではないかな、とも思います。『花祀り』からここまでの高みに上りつめた作者はこれからいったいどこに向かうのか。観音を極めるのか、それともさらなる修羅の道を突き進むのか。とにかく次作を持して待ちたいと思います。

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