ダブル・ミステリ (月琴亭の殺人/ノンシリアル・キラー) / 芦辺 拓

偏愛。「月琴亭の殺人」と「ノンシリアル・キラー」の二編を収録した短編集、――ではなくて、実際は、二編をどちらから読み進めても没問題だヨという構成の長編小説。「月琴亭の殺人」は招待状に導かれて孤島へ集まった人たちが極悪判事の殺人に巻き込まれるお話で、一方の「ノンシリアル・キラー」は、ヒロインの視点から車内暴力によって亡くなった妊婦の死の真相を探る物語。

一見するとまったく関係のない二つの話が最後には繋がりを見せる、――というのが本作の趣向ではありますが、個人的に本作で惹かれたのは、一見すると関連性のない二つの物語を繋げようとする際、必然的に生じうるアンフェアな事象をアクロバティックな筆致によって回避しつつ、驚きへと昇華させた斬新な技法でしょう。

どのようにアンフェアなのか、――という点についてはここで言及することはしませんが、このアンフェアな筆致を敢えて「月琴亭の殺人」と「ノンシリアル・キラー」の双方で行っているのが本作の大きな個性でありまして、普通であれば、アンフェアが二つも重なれば、それは二倍の低評価へと繋がる筈が、本作では、この同じ瑕疵を持つ二編を、「マイナスとマイナス」を”足す”のではなく、”掛け”てみせることで、プラスへと転化させてしまったところが秀逸です。

そして当然ながら、この綱渡り的な技巧は、単に本格ミステリにおけるフェアプレイを達成するのみならず、双方向から登場人物の姿形に光を当てることで、裁判をはじめとした社会制度において、人間の善悪を判断することの難しさをも明らかにしているところが素晴らしい。冤罪事件や裁判制度、さらには車内暴力やネットにおける暴走など、社会事象の描写や説明に、作者らしいアジテートが際だち、その過剰さゆえに「またいつもの芦辺節か」と苦笑しているだけでは、本作の仕掛けのさらに奥に隠された作者の思いをくみ取ることはできないような気がします。裁判という、事件の精査によって罪の軽重をはかるべき制度が、ときに事件当事者も含めた人間の善悪を判断して指弾する暴力装置として機能してしまう、――そうした暴走がもっとも危険な形で吹き出してしまう裁判という社会制度が「月琴亭の殺人」において大きく扱われているのはもちろん偶然ではないでしょう。

「月琴亭の殺人」においては悪の権化として読者の前に提示された筈の人物が、後半の「ノンシリアル・キラー」ではまったく違った光を当てられ、その印象が変わってしまう、――しかしながら「月琴亭の殺人」によって生じた登場人物への先入観を拭うことは難しく、読者はそうした揺らぎの中で、二つの物語の背景となった事件と人物の繋がりを辿っていかなければなりません。悪から善へ、そして善から悪へという転調を伴いながら、二つの物語の背景に隠されていた人間ドラマが明かされていく後半は相当にスリリング。森江探偵が傍点付きで語る本格ミステリとしてのフェアプレイに留意した技巧も勿論素晴らしいものなのですが、個人的には人物像の揺らぎの中から、二つの物語の連関が繙かれ、複数の事件をひとつに繋いだ本当の人間ドラマが立ち現れる構成に痺れました。

社会批判のアジテートも交えた「月琴亭の殺人」では、これまたいつもの作者らしい筆致で期待通りの本格ミステリを開陳しつつ、「ノンシリアル・キラー」では素人らしい文体模写まで演じて、二つの物語に陰影をつけた趣向も心憎い。そしてそのすべてが人間の善悪をはかることの難しさへと収斂していく見せ方など、綱渡り的な本格ミステリの技巧を凝らしつつ、朗々たる芦辺節によって豊饒な人間ドラマを描き出している本作、作者のファンであればまず安心して愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。

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